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柊姫は紙を手に取った。
本当にこれがすさまじい魔力を持っているというのか?
とてもそうは見えない。
が、柊姫にはもはや、この紙片以外に頼れるものはない。
「ネコノミコンよ」
柊姫が呼びかけた。
「私は…わらわは…」
尼ではなく、姫であった頃に口調が戻った。
「美剣家に復讐したい! お前の力を貸してくれ。お願いじゃ!!」
何も起こらない。
柊姫の顔が蒼白となった。
全ては無駄だった。
暗闇の中、ほんの少し射した小さな希望の光。
それが今、消えた。
同時に激しい怒りが爆発し、柊姫は紙片を一気に破り捨てようとした。
刹那。
紙の真ん中に黒い点が出現した。
柊姫は最初、紙に穴が空いたのかと思ったが、そうではない。
黒い点の向こうには闇があるだけで、何も見えない。
「!?」
柊姫は驚き、思わず紙から手を離した。
すると黒い点の中から同じ色の無数の触手が飛び出し、一瞬にして柊姫の全身に巻きついた。
自由を奪われ、なおかつすさまじい力で引き寄せられ、柊姫は宙を舞った。
そして。
紙片に出現した黒い点の中へと吸い込まれた。
人が入れる大きさではない。
しかし。
吸い込まれた。
紙は空中で、ひらひらと漂った。
紙の周りの空間が、ぴしぴしと高い音を立てる。
ごくごく小さな稲光が紙から発生する。
突如。
紙片の中心の黒い点が、紙そのものよりも大きく広がった。
紙の上にあった点が、逆に紙を呑み込んだ。
黒い点はぐにゃぐにゃと姿を変え、かさを増していく。
もはや平面ではない。
それは人の形に変わった。
闇が人の姿になっている。
闇の人間の頭の部分に、何かが浮き出てきた。
顔だ。
女の顔である。
先ほど闇に吸い込まれた柊姫の顔。
闇の人型は顔から首、身体、四肢へと次々に元の柊姫の姿に変化していく。
しばしの後、そこには紙片に吸い込まれたはずの柊姫が立っていた。
しかし、その両眼には白眼の部分は無い。
真っ暗な闇が広がる双眸。
全身から人とは思えぬ、尋常ではない邪気を立ち昇らせている。
着物は真っ黒に染まり、肩の辺りで切っていた髪が、姫であったときの長さ以上に伸びていた。
柊姫がふらつき、両手で頭を抱える。
「うううう…」
うめき声を上げる。
意識が混濁していた。
「ネコノミコン」に呑み込まれた間の記憶がない。
だが、今の自分自身に強力な魔力が宿っているのは、はっきりと分かった。
魔導書の紙片は彼女の願いに応えたのだ。
(これで…復讐できる…)
柊姫は蔵の外へと出た。
不規則に襲ってくる意識の混乱に、足元はおぼつかない。
転倒しそうになる。
すると全身から「ネコノミコン」の紙片より飛び出してきた触手が半透明で出現し、身体を支えた。
もはや脚を動かさずとも、触手が柊姫を運んでくれる。
裏口から本堂に入った柊姫は、彼女を信じていた尼たちを皆殺しにした。
魔祓い師どもを呼ばれ、復讐の邪魔をされては面倒だ。
そして本堂にこもり、復讐の策を練り始めた。