44
ターシャの身体は浮き上がり、二人は離れた。
空中で後方へと翻ったターシャが、天井の隅に四肢を突っ張る。
「あははははは!!」
ターシャの笑い声。
否。
そこに居るのはターシャではない。
幻術が解けた今、隼人には女の正体が分かる。
鵺だ。
天井の隅に鵺が張りついている。
「鵺っ!!」
再び隼人が吼えた。
「馬鹿っ!!」
鵺も怒鳴り返す。
その表情は笑ったままだ。
「もう少しで完全に刀たちと繋がれたのに!! 魔祓いどころか白虎と青龍の、もっとすごい力を解放できたんだよ!!」
「騙したな!!」と隼人。
隼人の顔は激しい怒りで歪んでいる。
「ああ、騙したさ!! 考えてもみな!! そもそも、やりたくもない魔剣鍛治を脅されて始めたんだよ! 好みの男が来たときくらい、楽しんだって罰は当たらないだろ!? そんなに目くじら立てるほどのこと!? あんたは稀に見る器さ! 白虎と青龍との相性が抜群に良い! あのまま最後まで続ければ、刀の最大の力を引き出せた! 八神の怨霊なんか、簡単に倒せる力だよ! それなのにあんたは、それを棒に振った! たかが一人の女のためにね! とんだ大馬鹿野郎さ!!」
一気にまくし立てる鵺を隼人は唇を噛み、両拳を関節が白くなるまで強く握りしめ、にらんでいる。
一歩前に踏み出したが。
そこで大きく息を吸った。
ゆっくりと吐く。
怒りの形相が静かに収まっていった。
香の匂いと呪文による幻術の効果の間に脱がされていた着物を身につける。
自分の二刀に手を伸ばした。
「待って」
天井の隅に居る鵺が、油断なく隼人を見つめて言った。
声に怯えはないが、さりとて先ほどの激情ぶりも見受けられない。
むしろ、ばつの悪さに近いものが鵺の顔に浮かんでいた。
「それで私を斬るつもりじゃないだろうね?」
隼人の動きが止まり、鵺を見た。
隻眼は恐ろしく冷たい。
その眼光の鋭さに、鵺は思わず顔を背けた。
情事の最中の汗とは違う冷や汗が、じっとりと湧き上がる。
鵺がいかに魔物の力を持つとはいえ、それは戦いに使う類いのものではない。
あくまで魔剣鍛治の技術だ。
隼人が本気になれば、ひとたまりもなく斬られるだろう。
(調子に乗りすぎた…まさか、そこまで惚れ込んだ女が居たとは…)
今度は鵺が唇を噛む番だった。