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「どこから来た? 陽菜じゃないだろ」
隼人の言葉で陽菜の愛らしい表情が、みるみるうちに歪んだ。
口の両端が吊り上がり、美しく輝いていた双眸には、どす黒い闇が現れる。
怒りに満ちた視線が隼人に浴びせられた。
「勘の良い奴」
陽菜の口から、しわがれた低い声が出る。
一瞬にして、そこには陽菜ではない女が居た。
八神家の忍び、猿助を殺した女である。
「お前は誰だ?」
再び隼人が訊いた。
「我は」
女が答える。
「月影」
「何故、こんなことを?」
「深くは考えずに、まずは我を抱いてみてはどうだ? それから話をすれば良い」
隼人が顔をしかめる。
「俺を手玉に取るつもりか? あいにく俺には好きな人が居る。その人ともう一度逢うまでは、お前の申し出は絶対に受けない」
月影は焚き火の灯りに反射する、ぎらつく瞳で隼人の隻眼をしばらく窺っていたが、「ちっ」と舌打ちした。
隼人から身体を離す。
ここでさすがに隼人は月影から眼を逸らした。
脱ぎ捨てた忍び装束の上着を月影が身に羽織る。
「何か事情があるのか?」
眼を伏せたまま、隼人が訊いた。
「我はこの世の全ての忍びを殺す」
「!?」
月影の告白に隼人が思わず視線を上げる。
月影の憤怒に満ちた眼差しと、かち合った。
「そのために新将軍家、新田定秀の剣術指南役、美剣家に取り入る狙いよ」
「新田家に?」
月影が頷く。
「新田家に召し抱えられれば、その威光を使って公然と忍び狩りが出来る。我の宿願への近道となる」
「あははははは!!」
突如、隼人が笑いだした。
「何が可笑しい!?」
月影が気色ばむ。
「俺は美剣といっても破門された身。新田どころか美剣家にすら、つては無い。俺に取り入っても何も手に入らないぜ」
隼人の言葉で月影の口が歪んだ。
確かに名前と剣の腕前のみで美剣に縁のある者と決めつけたのだが。
まさか破門されていようとは、思いもしなかった。
「慌てすぎだ。その程度の調べで身体を張るもんじゃない」
そこまで言った隼人が、ふと何かを思いついた表情になった。
「お前が身体を擲つのを陽菜は知っているのか!? その身体は、お前一人だけのものじゃないだろ!?」
隼人の陽菜を気遣う物言いに、今度は月影が笑いだした。




