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猿助と陽菜は二間(約3.6m)ほどの間合いで、にらみ合った。
陽菜の姿に何ら変化はない。
しかし、全身からにじみ出る気配はまるで違うものだ。
猿助の邪気にも負けていない。
(な、何だ、こいつは!?)
内心の焦りを出さぬよう、猿助は必死に自らを抑えた。
「あなたは」
陽菜が口を開く。
かわいらしい声。
「忍びですか?」
質問のあまりのおかしさに、猿助は意表を突かれた。
つい先ほどまで刃を交えていたのだ。
そんなことを知って、何が変わるというのか?
「おう、俺は八神家の忍びだ」
猿助は答えていた。
動揺している心を落ち着ける時を稼ぎたかったからだ。
が。
これが猿助の運命の分かれ道となった。
「陽菜、後は我に任せよ」
突然、女のしわがれ声が響いた。
猿助は驚き、我が耳を疑った。
その声が眼前に立つ陽菜のかわいらしい唇から発するのを聞いたからだ。
陽菜の声とは、まるで違う。
別人の声だ。
「少し手伝わせて」
今度は元の声。
「忍法」
陽菜の左手が上に伸びる。
人差し指と中指だけが立てられていた。
「花嵐!!」
叫びと同時に陽菜の身体から無数の花びらが舞い上がる。
花びらたちは渦を巻き、猿助へと吹きつけた。
視界が奪われる。
猿助は思わぬ反撃に慌てた。
しかし、熟練の忍びの鉄の精神は、同時に敵の狙いを瞬時に見破った。
敵はこちらの視界を塞ぎ、その向こうから攻撃してくるに違いない。
その瞬間を迎え撃つ。
相手の技量は自分より下。
後手を取っても勝てるはず。
だが。
女の妙な雰囲気が気になる。
そして、あのしわがれた声はいったい?
目まぐるしく舞う花びらに全神経を集中しつつ待つ猿助の首に、上方より分銅付きの鎖が巻き付いたのは、そのときだった。
「何っ!?」
驚愕する猿助が反応するより速く、がっしりと首に絡みついた鎖が、すさまじい勢いで引き上げられた。
「ぎゃははははっ!!」
猿助を絞め上げる鎖の元、すなわち頭上から女のけたたましい笑い声がした。
女とは思えぬ膂力で、つま先立ちにされた猿助の天を仰いだ視界の端に、逆さまとなった陽菜の顔が入ってきた。
否。
束ねていた髪を解き、樹の太い枝に両脚を絡ませ、ぶら下がった忍び装束の女の顔は、今や陽菜の顔ではない。
猛烈な憎しみに満ち満ちたおぞましい双眸が、ぎらぎらと輝き猿助をにらみつけている。
唇から笑い声がするが、女の瞳は微塵も笑ってはいない。