私達家族の歩み
高校では優秀な成績にも拘らず退学する羽目になる所だったけど通信制で高校卒業、大学は諦めて
働きながらユウリを支えるが裏切られ、私の人生進んだ方向正しかったのか?間違っているのか?
迷いながら日々奮闘するゆきと家族の物語です
ユウリにユウを託したことで、私から巣立っていってしまうのかなぁと考えると、心が折れそうになります。でも無理強いは出来ないし、やはりユウの気持ちを尊重するのが一番だから、大好きなユウリを選んでも仕方ないと心の中で思っています。
そこで、今現在の家族構成は花白雪24歳 一人息子 花白悠6歳 ユウの父親 花白悠里24歳 3人家族です。
私とユウリの出会いを簡単に話します。
高校1年の文化祭、バンド演奏でユウリ達が先輩を差し置いて優勝した時、実行委員の
私が優勝賞品を渡したことがきっかけで、話すようになりました。母子家庭のユウリは母を助けるために夕方からアルバイト兼バンド活動しながら働いていました。友好を深める切っ掛けはライブハウスの通りに私が通う塾がある事もあり、学校が終わると一緒に帰るようになりました。その頃から、将来は音楽で食べて行ける様になり母を楽にさせたいと良く話してくれていました。その頃の私は大学行ってから将来の事、考え様とフワフワした気持ちでしか無かったのに、もう将来進む道を決めているユウリがその頃は眩しく頼もしくて惹かれていった。
実際に高校2年頃には付き合い出しました。どちらから言う訳でもなく学校からライブハウスまでの、わずかな時間を楽しんでいました。この頃ユウリに刺激を受け自分は将来何をしたいのか見つめ直したんだよね。
見つけた答えは、絵をかくのが好きなので、イラストレーターを目指すことをユウリに話した時、良いんじゃない。ゆきの描く絵、すごくいい感性だよと言ってくれた事が凄く嬉しかった事を覚えています。
そして、高校二年の2月寒い雪の降る日 体調不良で婦人科の病院行って診断された答えは一人息子ユウがお腹にいると言うことが分かった日でした。自分の夢を見つけたと思っていた頃だったので、どうしていいかわからなく困惑していたというのが正直な気持ちでした。私自身まだ子供だった。
そんな時でも一言、籍入れる?いっもと変わらないユウリでした。
お互いの親に納得してもらいユウリ18歳の誕生日を待って私は17歳で入籍しました。私はお腹が目立ち始めた高校3年7月夏休み入る頃学校を辞める事になりましたが通信制に編入して、10月には早産でユウが産まれました。両方の親にお世話になりながら生活していましたがユウ生後2か月目終る頃、一緒に暮らしはじめて直ぐに仕事を見つけ、、ユウを園に預けて働きはじめました。
高校は単位も取れて卒業できました。ユウリは卒業と同時に本格的に音楽の道に入り私とユウ二人の生活が此処から始まりました。売れない時期は私が全面的に生活面は支える形になりました。
地元で4年ぐらい活動している時にスカウトされ、東京に拠点を、移してからは1年のうち数回しか
会えなくなり、昨年頃から、一気に活躍、売れ出したと同時に週刊誌やワイドショーが賑やかになつて、
なんだか人気モデルと深夜の密会等など
この1年知らない顔していましたが、自分達の所にもパパラッチが来るようになり、ユウを守りたいからユウリと話さなければいけないなぁと思い東京へ。
事務所が用意した部屋で話したんだけど、私から決断してあげないとユウリからは言えないんだろう。
だから、別れましょうと言ってユウリを手放すことにしました。
今日もありがとうございました