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7.開かぬ本


 氷雪の吹雪く、容赦ないガガンの極寒の中、ダルシアンは何度目か分からぬため息を吐いた。彼の顔は苛立ちと憔悴に埋め尽くされていた。理由は彼の手の中にある本だった。長年追い求め、ついに手に入れたブックオブシャドウは、しかし、ダルシアンが望む力を見せようとはしなかった。ブックオブシャドウの力は本物だった。それはこうして表紙に手をかざすだけで分かる。並々ならぬ強力な波動が掌を伝わり、頑丈に閉ざしたはずの心を激しく揺さぶるのだ。


「何故だ。何故開かぬ」


 ダルシアンにとって本を服従することなど手下の首を刎ねるより容易いことに思えた。本の背表紙を優しく撫でてやるだけで、自ずとこの身に流れる血に本が反応し、従うのだと疑いもしなかった。まさに彼の傲慢さがなしうる故の思考だったが、それは彼に仕えるガガンの卑しき者達にとっても同じだった。ダルシアンはガガンの民の英雄であり、この本を所有するのに彼以外に相応しい人物はいなかった。だが、本は闇の末裔であるダルシアンを、古より続く習わしにより拒んだ。そうして、まるで、謎かけのような言葉をダルシアンに突きつけた。本の力を自由に扱うには何としてでも答えを見つける必要があった彼は一日中、本の謎を頭の中で反芻し、ときに口に出しては答えの欠片を手探りで探した。


 しかし、謎に包まれた答えはある日、いとも簡単にダルシアンの前に導き出された。それは小石に蹴躓いた勢い同じく、ダルシアンの前に転がり出た。小石は、本が開くのを待ち侘びる、グリムズの些細な言葉だった。


「この本が開きさえすれば、奴らに変わってこの地を支配するのは我々になりますのに。闇の本のくせして、同じ眷属の我らを試すなど、なんて天邪鬼な本なんでしょう。奴ら、ヴェラシードの者達の力を奪い、屈服させたいという願いは共通であるというのに」


「力……」


「ブックオブシャドウは我々に等しく与えられるサヴマをはるかに凌ぐ力を秘めているとか。奴らを奴隷にするにはまず……ご主人様?」


「いいや、待て。この世に等しく与えられる力などない」


「しかし、お言葉ですが、サヴマを持たぬ者などこの世界で暮らしていけるはずがありません」


「……奴隷という言葉がある。はるか昔から、力を取り上げられた弱き者達を指す言葉だ。それは今も同じ」


ダルシアンは顎を撫でた。


「力を持たぬ者は弱い。愚かで虫けらにも劣る、屑のような奴らだ。生きている価値などない」


「仰る通りです」


 グリムズは自分がそのような生き物にも劣るとは考えもしていないような口ぶりで言った。ダルシアンは鼻で笑った。


「奴らは他人にすがり、生きていくことしか能がないのだ。まるで産み落とされたばかりの赤子のように、その魂はどんなに願おうとも力に穢されることはない。力を持たざるが故に叡智に触れることも叶わん」


 ダルシアンは左手に書物を持ち、右手で左腕を掴みながら、一定の間隔で二の腕をとんとんと叩いた。

 グリムズは主君を見上げて濁った目を瞬かせた。


「それでは、本の奴隷というのは」


「……サヴマを持たない役立たず共のことだ」


「ではそいつを見つければ、本の力はご主人様のものになるのですね」


 グリムズは手を叩いて、興奮しながら言った。

 ダルシアンは頷いた。


「ああ、そうだ。……お前達! 掃き溜めを漁れ! 何としてでも、サヴマを持たない虫けらを見つけて、俺の前に連れて来い」


 ダルシアンとグリムズを見守るように後方に控えていた従者は突然、声を張り上げた主人に驚いた顔をし、背筋を正すと深く頭を下げた。


「俺は長くは待てぬ。一刻も早く、そいつを見つけて、俺の前に連れて来るのだ!」


 するとそれまで二人の会話に耳を澄ませていたオークの長がおずおずとダルシアンに近づき、彼の前にひざまずいた。


「畏れながら殿下。奴らヴェラシードの者達が厄介者を囲っているという施設の噂を聞いたことがあります。我が領地、ガガンにもそれと同じ施設が建てられているとか」


「牢獄なら珍しいものではなかろう。奴らは何を勘違いしているのか知らんが、このガガンに罪人を好き勝手に放り込むからな」


「それが、そこに入れられる者は重い罪を犯した者というわけではないらしいのです。ヴェラシードの魔術師達にとって、どうにも厄介な奴らが集められているとか」


「……サヴマを持たない虫けらが息を潜めて暮らすのに最適というわけか」


「確証はありませんが」


「ふむ。よかろう。調べてみる価値はありそうだ。聞いたか、お前達! まずは手始めにその収容所を探してこい! 奴らが必死になって隠そうとしているものを一つ残らず暴いてくるのだ」


 不気味な黄色の目玉と赤黒い嘴を持ち、全身を黒い羽にびっしりと覆われた生き物の群れが仰々しくお辞儀をすると、黒い羽を羽ばたかせて、白銀の空に飛び立った。主君に助言したオークもまた、自身も探索の群れに加わるべく、ゆっくり後ろに下がっていった。

 ダルシアンは左手に持った本を見下ろすとにやりと微笑んだ。


「お前の謎解きに付き合ってやるのはこれきりだ。本を開いた暁には、俺の言うことに従って貰おう」


 本は語らなかったが、ダルシアンは表紙に置いた右手に伝わる期待感を感じていた。



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