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雪解けに咲く花  作者: 弥生秋良
9/9

生きる


「…………深雪っ‼」

 突然鼓膜を震わせた声に反応し、私は閉ざしていた視界を開けた。

 其処は見覚えのある場所。口元には、最後に付けていた酸素マスク。

「……ぁ……」

「深雪っ‼」

 隣で私の名前を呼んでいた夏が、目に溢れんばかりの涙を溜めて私の手を強く強く握った。私は何が何なのか状況が全く呑み込めずに困惑する。

「…………っ?」

 言葉にしたつもりが全く音にならなかった。

 ……夢だった?

 そんな思いが一瞬過るが、そんな訳はないと改めて考え直す。自分が此処で目覚めた事が何よりの証拠だ。

「……っ‼」

 俄かに思い出される記憶の断片を手繰り寄せていくと、一番訊きたかった問いが急に頭に浮かんだ。夏の手を握り返し、必死に訴える。夏はそれを読み取ったかのように微笑んだ。

「加宮君なら学校だよ。ずっと深雪に付き添ってたから単位が危なくなってて、仕方なく学校に行ってるの。だから大丈夫」

 夏は私の無言の問い掛けに違わぬ答えをくれた。私はほっと胸を撫で下ろす。此処にいないのは寂しいが、理由が理由だから仕方ない。

 安心したせいか、また眠気が襲ってきた。

医師せんせい呼んで来るからねっ」

 そう告げて病室を出て行く夏の後ろ姿を霞んだ視界に入れながら、私は再び目を閉じた。



 何だか不思議な気分だった。

 もうこの世界を目にする事はないと思っていたのに。

 見慣れた景色を前にして「天国って意外と現実と変わらないんだ」なんて考えたりしてた。まさか本当に現実だったなんて。

 これが【奇跡】っていうのかな。

 あぁ、早く春樹に逢いたい。



 それからというもの、私は飽きる程検査を受けて経過を待った。

 相変わらず空を見上げるだけの生活だったけど、不思議と苦痛ではなかった。

 外では紅葉が色づき始めていた。……それだけの時間を費やしてたんだと、改めて実感した。


 けれど月日が経つにつれ、私に大きな疑問が浮かび上がる。



「……ねぇ、夏」

「ん? どうかした?」

 私は笑顔で花を飾る夏に躊躇しながらも口を開く。

「……春樹は?」

「え……?」

 その時、確実に夏の手が止まったのを私は見逃さなかった。その反応に嫌な胸騒ぎを感じるのを止められなかった。

「あ、加宮君? 今日は追試だって」

「本当に?」

「本当だよ」

 彼女は笑った。今まで見た事のない、歪な笑みで。


 私が目を醒ましてから、既に一つの季節を跨いでいた。



 何か、おかしい。

 医師も、夏も、間違いなく隠し事をしている。

 確信はあった。けれど、恐くて訊き出せないでいた。

「そういえば……」

 以前書いたノートはどうなっただろうか。

 確か引き出しの中に仕舞った筈だ。

 徐にその個所を引き出した。

「……え……?」

 そこに、ノートはなかった。

 代わりに綺麗に折り畳まれたメモが残されていた。

「何、これ……」

 無意識に震える手でそれを掴んだ。膝の上に置き、恐る恐るそれを開く。

 記してある文字をゆっくりと声にした。



『親愛なる、秋月深雪様。

 このメモを見る頃、俺は何処で何をしてるんだろう。

 そんな事を考えながら今これを書いています。

 深雪にこれが見つかった時、傍に俺が居なければいいなとは思ってる。

 絶対恥ずかしいし、見てらんねぇから多分逃げるわ。なんてな。

 それよりお前! 何勝手な事ばっか言ってんだよ!

『結婚した事後悔してないか』とか、『何もしてあげられなかったのが心残りです』とか、何で決めつけてんだっつの!

 後悔してる訳ないだろ! 俺がしたくてしたんだから!

 何もしてない筈無いだろ! 深雪がいたから俺は生きてこれたんだぞ!

 後悔してるのは俺の方だ。何もしてないのは、俺の方だよ。

 もっともっと、笑わせてやりたかったのに。

 不安や痛みから、守ってやりたかったのに。

 結局俺は何も出来なかった。

 ごめんな。何の役にも立てなくて。

 

 偽らずに生きていくのって、本当にしんどいよな。

 でも誰か一人でもそれに気付いてくれる人がいれば、頑張れると思うんだ。

 俺にとっての深雪がそうだった。

 諦めそうになった時、挫折しそうになった時、必ず深雪の顔が浮かんだ。

 あの日から、ずっと。

 深雪は俺の希望だったよ。生きる希望。

 眠り続けてからも、ノートに想いを綴って背中を押してくれたんだよな。

 俺が絶望するのを見越して。

 そんなお前の優しさに、俺はいつも助けられてきたんだ。支えられてきたんだ。

 だから、何もしてないなんて言うなよ。もう充分だよ。


 家から病院に来る時にさ、学校の通学路通ったりするんだけど、その度に思い出すんだ。

 あの公園で初めて深雪に声掛けたんだよな、とか、憩いの場で自分の過去を聞いて貰ったな、とか。

 病院の桜が咲いてた場所に立つと、あの情景が蘇ってくる。あんなに見事な桜で感動したのに、お前を泣かせてしまって、凄く苦しくなる。

 あの日に、還りたい。そして、今度はお前に笑って欲しい。

 次に目を醒ました時は、あの桜の樹の下で、笑って。

 そしたら俺の苦しい記憶も、単純に幸せな記憶に書き換わると思うから……だから、その日をずっと待ってる。

 ……なんて、自分勝手なエゴだよな。ごめん。


 俺は幸せだったよ。深雪と一緒にいられて。

 俺も同じ。生きてて良かった。

 深雪に出逢えて、良かった。

 ありがとう。愛してる。これからも、ずっと。

                    加宮春樹』



「……勝手なのは……どっちよ……っ‼」

 メモを持つ手に力が入り、下唇を噛み締めて耐えるように強く目を瞑る。

 次の瞬間、私は病室を飛び出していた。



 ただ衝動に突き動かされるまま駆けた。

あの時見た、満開の桜の樹の下へと。

 外に出ると、地面には僅かに雪が残っている。気温もまだそんなに高くない。桜が咲いている確証もない。

それでも。

「……春樹……っ」

 無我夢中で走った。周りの人達が怪訝な顔をして私を一瞥する。でも私にはそんな事を気にする余裕なんて何処にもなかった。

 あの場所に、きっと彼がいる。

 そう思うだけで胸が高鳴り、泣きそうになった。

『今すぐ、あなたに逢いたい』



「……っ、はぁ、はぁ……っ」

 目的の場所を目前にして息が上がり、足を止めて膝に手をつく。気持ちが身体を急き立て、フラフラと、それでも一歩一歩踏み出していく。

 その時、ふわっと花弁が舞い降りてくる。導かれるように掌を差し出すと、それに応えるかの如く淡いピンク色の花弁が乗った。

「……っ」

 パッと顔を上げた。

 そこには、あの時と同じく満開の桜の姿。

「……咲いて……くれたんだね……」

 桜の樹の根元にはまだ白く残った雪が積もっていた。

 それでも、その樹は咲いてくれたのだ。

 まるで私が此処に来るのを待っていたかのように。

 その時、声が聴こえた。

「深雪っ‼」

 私の名を呼ぶ声。鼓動が大きく跳ねた。

 ゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには……

「……お父さん……お母さん……」

 駆け寄って来る、両親。

 目を見開いて佇む他なかった。

「深雪‼」

 母に抱き竦められる。父は優しく頭を撫でてくれた。

「……良かった……っ」

 その言葉は誰のものだっただろう。

 さぁ……っと風が流れ、桜の花弁が舞い散る。

「……深雪、これを」

 父が手にしていた紙袋を差し出す。その紙袋はいくら娘に渡すとはいえ薄汚れた装いをしていて私は眉根を寄せた。

「彼からだ」

 彼、が誰を差しているのかは言わずとも知れた。視線を上げて父を見る。だがそれ以上父は口を開こうとしない。

 私はその紙袋を受け取り中を確認した。

 中には、真っ白な箱が一つ。

「…………」

 震えの止まらない手でそっと箱を取り出す。紙袋とは違いその箱は傷一つ付いておらず、とても綺麗な純白を保っていた。

 其処に何が入っているかなんて、見なくても解ってしまう。

 それでも、その箱を開けた。

「……何で……」

 鎮座される、大小二つのリング。お互いの誕生石があしらわれたシンプルなデザイン。陽の光がリングに反射し輝々としていた。

 そっと小さいリングを手に取ると、内側に文字が刻印されていた。

『I wish you can make smile and live.』

『君が生きられる事を、笑える事を、願ってる』

「……何でよ……っ」



 本当はあなたに付けて欲しかった。

 二つ並んだリングがやけに輝いて見える。

 まるでこれからの二人の未来を暗示するかのようで。

 ……それなのに。

 何故あなたは今、此処に居ないの?



「……やだ……」

「深雪」

「やだやだやだ……っ」

 何か言い募ろうとする母の言葉を聞きたくなくて、駄々を捏ねる子供みたいに何度も何度も首を横に振った。

 本当は解っている。その真実がどういうものなのか。けれど心がそれを拒否する。全身で現実から目を逸らしたがっている。

「深雪っ」

「止めてっ‼ 聞きたくないっ‼」

 両目を閉じ両耳を塞いで蹲る。

 ……その時、父が動いた。

「深雪、聞きなさい」

「嫌っ‼」

「それじゃあ加宮君が可哀想だろうっ‼」

「……っ‼」

 耳を塞いでいた手を取られ、直に届いた父の凛とした声。私は衝動を抑えられなかった。

「……っ、わぁああぁあぁぁぁッッ‼」

 自分でも聞いた事のない喚き声だった。

 涙が決壊した。



 知っていた。気付いていた。

 本当はもう、此処に彼はいない事。

 でも認めたくなくて、受け入れたくなくて、誰にも訊かなかった。訊けなかった。訊けば最後、あなたのいない現実を思い知る事になるから。

 春樹はそれを望んでいないと解っていたのに。

 私、そんなに強くないんだよ。弱くて、泣き虫で、自分に自信が無くて……あなたがいないと生きていけないんだよ?

 何で置いていったの?


 これから私は、何を糧に生きていけばいいの?



「……深雪、よく聞きなさい。彼は死んでない。ちゃんと深雪の傍で生きてる」

「綺麗事だよっ‼」

「綺麗事じゃない。ちゃんと深雪と一緒に生きてるんだ」

 感じないか? 彼の鼓動が。

 その言葉で一つの結論に思い至る。私は自らの胸に手を置いた。

「……嘘でしょ……?」

 私は問い掛けた。母にでもなく、父にでもない。けれど答えが帰って来る訳もなく、寂然たる空気が流れる。

 その時、一際強い風が吹いた。

「……っ‼」

 桜の花弁が盛大に舞う。同時に彼との想い出が走馬灯の如く駆け巡った。



**********



『良い子ぶってんなよ。……そんなんじゃ疲れんだろ?』


 出逢いはありふれたものだったのに。


『俺は……誰かに愛して欲しかったんだ。笑えるだろ……?』


 一緒にいる内に惹かれていった。


『好きだからだろっ‼』


『一生分、愛していくから……』


 もったいないぐらい愛してくれて。


『お前はずっと、笑ってろよ』


『……結婚しよう』


『……代われたらいいのに……』


 でも愛される度に、辛くも感じた。


『……笑ってくれれば、もっと嬉しいと思うけどな』


『解った。俺が何とかするから……だから、泣くなよ』


 いつも甘やかされて、何でも許されて。


『俺も……俺も忘れねぇっ、絶対に……忘れねぇから……っ』


『頼むからっ……深雪を……助けてくれよぉ……っ』


『大事な奴一人、守れない……っ』


 幾度となく私の為に泣いてくれた。


『……俺さ、深雪の為なら死ねるよ』


『……っ、俺も、愛してるっ‼ ずっと、ずっとだ……っ‼』


 誰よりも一番、愛していた人。


 ……これからもずっと、愛し続ける人。



**********



 見上げると、あの日が蘇ってくる。と同時に手紙に認められていた言葉を思い出す。

「……ずっと、待っててくれたんだね……」

 私はそっと桜の木に触れると額を寄せた。

「ごめんね……」

『そんな言葉聞きたくねぇ』

 ひらひらと、一片の桜の花弁が髪の上に落ちてきた。

「……ありがとう……っ」

 私はその花弁を手に取り自分の胸にそっと寄せて握り締める。

 服の袖で涙を拭い、改めて両親に向き直った。

「お父さん、お母さん。あのね――……」



 ねぇ春樹。

 あなたはいなくなっても猶、私の背中を押してくれるんだね。

 まさかもう一度こうやって両親と向き合える日が来るなんて、思ってもみなかった。

 あなたが折角作ってくれたこのきっかけを無駄にはしない。

 私、心に留めていた思いを全部打ち明けようと思う。

 たとえ受け入れられなくても、それでもいい。

 伝えられないまま後悔したくないから。

 こんな風に考えられるようになったのは、春樹のおかげ。

 ありがとう。

 あなたは私の、永遠のヒーローだよ。

 ……なんてね。



「――……伝えたい事、沢山あるの。聞いてくれる?」

「……あぁ、勿論だ」

「えぇ。聞かせて?」

 二人共、この上なく優しい微笑みを浮かべてくれた。また涙で視界が揺らぐ。

「……生んでくれて、ありがとう。……私、生きてて良かった……っ」

 堪え切れずに頬を伝う涙。今まで再三泣き続けてきたけれど、その殆どが哀しみの涙で。

 こんなに生きてる事を嬉しく思える日が来るなんて、想像もしていなかった。

 私は自然と笑顔が零れた。

 彼の笑い返す顔が目に浮かぶ。



『俺も同じ。生きてて良かった』



 ーー彼の声が、聴こえた気がした。




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