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雪解けに咲く花  作者: 弥生秋良
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 その日以来、彼女は一切の外出を申し出る事はなかった。本当に、あの日がたった一度きりの我儘だったのだ。

 我慢しているのが顕著に見て取れた。だけど俺には何もしてやれない。

 ただ傍観者でいるだけ。

 それが、悔しい。



 瞬く間に数日が経った。天気も良く気温もちょうど良かったので彼女と共に病院の中庭を散歩した。彼女を乗せた車椅子を押しながら当てもなくフラフラと歩く。

 すると突然思い立ったのか、彼女は自力で歩きたいと強請ねだってきた。外出をした日以来の我儘だった。

 俺は戸惑いながらもその願いを聞き入れてやりたくて辺りを気にしつつ許可した。バレると大目玉を喰らう事は目に見えていたが、それよりも彼女の気持ちを優先させた。俺が怒られるのなんて屁でもない。彼女に後悔を残させたくなかった。……違う、俺が後悔したくなかっただけ。

 とんだ偽善者だ。

「……わぁ……」

 いくつか言葉を交わした後、急に感嘆の声を上げた彼女。

「……?どうし」

 途中まで告げて、思わず言葉を無くした。

「……満開の、桜」

 眼前に広がる光景に立ち尽くす。あまりにも立派なその佇まいに目を奪われた。

「……私みたい」

 ポツリと呟かれた言葉。一瞬にして深雪に意識が移った。心臓が嫌な鼓動を刻む。

「それは図々しいか」

 軽く流せるような科白ではない。俺は込み上げる怒りを抑えられなかった。

「どういう意味だよ……」

「……綺麗に咲くのは一瞬で、春が終わると散ってしまう運命さだめ。……なんて、私は綺麗に咲いた事もないけどね」

「……何でそんな言い方すんだよっ」

 強い口調で詰問してしまう。だが彼女は淡々としていた。

「本当の事だよ」

「何で決め付けるんだよっ‼」

「だって事実でしょっ⁈」

 お互い感情が高ぶり声を荒げた言い合いになってしまい、騒ぎを聞きつけた担当医と看護婦が慌てて駆け寄ってきた。

「秋月さんどうしたのっ⁈」

 看護婦が焦った様子で俺達を交互に見遣る。俺の手元にある車椅子。隣で立ち尽くしている深雪。状況を把握した看護師は俺達を叱責してきた。

「秋月さん、外に出てもいいけど車椅子には乗っているように言ったわよね? 君も一緒にいるならどうして止めなかったの!」

「「…………」」

「まぁまぁ。ちょっと魔が差しただけだよね、秋月さん」

 無言で俯いたままの俺達に助け船を出す担当医。俺は顔が上げられない。

「それが取り返しのつかない事にっ」

「解ってるっ‼」

 叫びにも似た声が空気を震わせた。忽ち彼女に全ての視線が注がれる。

「ならどうして」

「あなたには解らないよっ‼ 縛られた世界で何をするにも許されない苦しみがっ‼ 毎日監視されてるみたいに病室に閉じ込められて……空を眺めるだけの生活だよっ? この前の一日だけ自由が許されたけど……本当に束の間だった。どうして……」

 先の言葉が消えてなくなる。その綺麗な瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちていく。

 俺にはもう、耐えられなかった。

「……っ、なぁ先生っ! 本当にもう手はないのかよっ⁈ 頼むからっ……深雪を……助けてくれよぉ……っ」

 医師に縋り付いてくずおれた。

 少しでいい。ほんの少しでいいから、希望が欲しい。

 そんな思いで彼の言葉を待つ。

「……手がない訳じゃ、ないよ」

「「……っ⁈」」

 それは思いも寄らなかった一縷の望み。俺も、きっと深雪も、期待の眼差しを医師に向けた。

「様々な問題を一つずつ解決していかないといけないけど……一番は、君と同じ要素を持ったドナーが見つかれば、君は助かる」

「でも、可能性はゼロに近いんですよねっ?」

 現実を叩き付けるかのような言葉。それを発したのは、他の誰でもない深雪本人だった。

「…………」

 重い静寂が支配する。奈落の底に突き落とされた気分になった。無気力になってしまい、その場から立ち上がれない。もう何の感情も湧かない。

 それなのに、一滴の涙が床に落ちた。

 その時、桜の花弁が散った。



 その日の夜、彼女の容態が悪化した。

 まるでこれが最後みたいな言葉を残して、それきり目を開けようとはしなかった。



「もしかしたらこのまま目を醒まさないかもしれない」

 そう言い渡され、愕然と床に膝をついた。言葉にならない慟哭が木霊した。



 どうして。

 どうして彼女なんだ。

 疑問ばかりが頭に浮かぶ。

 怒りと、哀しみと、混沌とした思いが込み上げる。



 その時、ポツリと医師が溢した一言を俺は聞き逃さなかった。

「……ドナーさえ見つかれば……」

 前もそう言っていたのを思い出す。俺はみっともない姿を晒す事も厭わず彼の足を掴んで視線を捉えた。

「その話、詳しく教えて貰えませんか」



 俺の気持ちが落ち着いた頃、彼は椅子に座るよう促すと一から詳しく説明してくれた。

 端的に言えば、深雪と同じ年齢ぐらいで同じ大きさの臓器を持った人物が、臓器提供の意思があり尚且つ脳死と判断されればドナーとして認定され、臓器を提供して貰える事が出来るらしい。

 ただ、いつ深雪にドナー適合者が現れるかは不明らしく、もしかしたら現れない可能性も否めないという。

「……加宮君、自分の命を犠牲にするような事、考えないでね」

 医師は俺に釘を刺してくる。俺は沈黙を破る事無くただ彼の話に耳を傾けた。

「自殺と判断された場合、いくら臓器提供の意思があっても移植はされないんだよ」

 真摯な瞳で訴えかけられ、俺は視線を外せなくなる。

「今は彼女にドナーが現れる事を祈ろう」

 そう諫めるように告げて彼は席を立った。そのまま看護師と共に病室を後にする。

 規則正しい機械音だけが、虚しく鳴り響いていた。



 何時までそうやっていただろう。

 彼女の顔をずっと見つめていた。

 安らかな寝顔だった。

 ただ寝ているだけだったなら、こんなに不安にならないのに。

 心許なくて、苦しくなって、焦って、でもどうしようもなくて。

 その繰り返し。

 俺の存在が酷く無価値に思えて、もう一人の自分が罵倒の言葉を浴びせてくる。

 それはいつかの、弱い自分。

 そしたら、自分が問い掛けてきた。

『このままでいいのか』

 何も出来ないからと嘆くだけで、本当にそれでいいのか、と。

『まだ終わっていない』

 諦めそうになる自分を叱咤して奮い立たせる。

 そう、だって彼女はまだ――――


 ――――此処で、生きている。



「……ごめんな、こんな弱い俺で」

 そっと彼女の髪を撫でた。無論反応はないが、俺は微笑い掛けた。

「でも俺、やれるだけやってみるから」

 だから、お前も頑張れ。

 そう言い残して病室を後にした。


 それから俺はまずSNSで臓器提供の協力を仰いだ。そして自らも臓器提供の意思表示カードを記入した。

 当然自殺なんてものは考えていない。言われた通りそれは無駄死にだから。

 ただ、もしも自分に何かあった時、それで深雪が助かるなら……と思ったのは事実だ。

 その後、深雪の両親に会いに行った。そこで深雪の容態について話をした。深雪には口止めされていたが、何処の病院に入院しているかも教えた。

 出来れば彼女に会って欲しい。そうお願いした。

 そしてもう一つ、望みを請うた。

 その話をしたら二人は複雑な顔を浮かべていた。

「……どうしてそこまであの子の為に?」

 今にも泣きそうな顔で、お母さんに訊かれた。

「彼女に貰った命だからです」

 何の躊躇いもなくそう答えた。



 そうしてまた数日が過ぎた。

 気が気でない毎日を送っていた。それでも、諦めなかった。

 来る日も来る日も彼女の目醒めを待った。

 同時に、ドナーが現れてくれるのも。

 そんな風に思い募らせ彼女の身の回りの整理をしていたら、引き出しから一冊のノートが見つかった。

 日記でも書いていたのだろうか。

 そう憶測を立てながら、彼女には悪いと感じつつもそのノートを開いた。

「……何だよこれ……」

 思いがけず表情が歪む。

 そこに記されていたのは、俺宛の手紙だった。



『親愛なる、加宮春樹様。

 私は今、あなたと出逢えて幸せです。

 ずっと言おうと思っていたのに、なかなか言葉に出せませんでした。ごめんなさい。


 初めてあなたを見掛けた時、本当に恐い印象しかありませんでした。

 自分の噂、知ってる?

 もの凄い言われようで、何処からそんな情報が流れたのか不思議に思うぐらい。

 でも実際に話をして、最初は「この人何でこんなに人の心に土足で踏み込んでくるんだろう」って酷く困惑して、正直あなたの事嫌いだと感じました。

 でもね、その内あなたの前だと本音を出せるようになった。自分の心に素直でいられたの。こんな事、今まで生きてきて一度もなかった。

 だから今は凄く感謝してる。

 私を解放してくれて、ありがとう。


 そうやって色々あなたの事を知っていく内に、あなたに惹かれていきました。

 表面上悪く見せてはいたけど、自分の心にはいつも正直でいるあなたが羨ましくて、格好良くて。自分には無いモノを持ってて、尊敬しました。それからどんどん好きになっていったの。


 あなたの過去を知った時、なんて声を掛けてあげればいいのか全然解らなくて内心戸惑いました。けれどそれを打ち明けてくれたっていう事実が、不謹慎だけど嬉しかった。

 私なんかでも、誰かの力になれるんだって思えたから。 


 あなたは、どうだった?

 私といて、幸せだった?


 私と結婚して後悔してないか、それが気掛かりです。我儘ばかり言って困らせて、それでもあなたは文句一つ言わず全て聞き入れてくれた。辛い思いも、数え切れないぐらいさせてしまったと思う。そんなあなたに私は何もしてあげられなかった。それが心残りです。


 伝えたい事は山程あるのに、いざ言葉にしようと思うと上手く纏らないものだね。

 それが凄く、もどかしい。

 ただ一つ言えるのは、

『あなたが生きていてくれて良かった』

 だってあなたと出逢わなければ、生きていく事がこんなにも素敵なものだったなんて気付けなかった。

 あなたがいてくれたから、私の人生は輝いたの。

 喜びや怒り、哀しみや楽しみ、期待や不安も知り得なかった。

 辛くて苦しくて、挫けそうな時もたくさんあったけど、同じぐらい嬉しい事もあった。

 全部春樹が教えてくれたんだよ。

 ありがとう。私を見つけてくれて。

 あなたに出逢う前に、死ななくて良かった。

 心からそう思える。

 あなたとの想い出は、私の一生の宝物。

『ありがとう』って何回言っても言い足りないし、『ありがとう』以上の言葉も持ち合わせてないから、それしか感謝の気持ちを表せられないけど。


 私を愛してくれて、ありがとう。

 愛してました。今でも、愛しています。


                 秋月深雪』


「……っ、何、言ってんだよ……っ‼」

 嗚咽が止まらなかった。立って居られなくなって床に座り込んだ。ノートを持つ手に力が篭る。そこに滴り落ちる雫で字が滲む。

「後悔なんて……してる訳ない……っ」

 俺も、幸せだったよ。深雪が居てくれれば、それだけで。

「……何も、してやれなかったのはっ、俺の方だ……っ」

 俺は無力だ。彼女を、彼女の笑顔を守りたかった。それすらも叶わなくて、すぐ泣かせてしまった。些細な気を回す事は出来ても、肝心な事は何一つ出来なかった。それに、

「見つけてくれたのは……お前だろ……っ」

 俺が絶望の淵に立たされていた時、見つけて手を差し伸べてくれたのは、君だった。

力を振り絞り、彼女のベットへと這い上がるようにして静かに眠る彼女を見つめた。

 彼女の手を強く握る。反応は、ない。

「……目ぇ開けろよ……っ」

 伝えたい事があるんだ。返したい言葉が、無数に溢れているんだよ……っ

「頼むから……っ」

 両腕で顔を覆いベットに突っ伏した。服の袖の色が変わる程、号泣した。



 一頻り泣いた後、伏せていた顔を漸く上げた。目が腫れぼったい。瞬きを何回か繰り返し、ふと腕に敷いてしまっていたノートに目が留まる。

「……そうだ」

 思い付いた。ノートを開いて白紙のページを何枚か破いて切り離す。棚の上に転がっていたペンを手に取り、一度深呼吸した。

「……『親愛なる、秋月深雪様』」

 同じ書き出しで、俺は文字をしたためた。



「出来た」

 書き終わったメモを丁寧に折ってノートの代わりにそれを引き出しに戻す。使用したペンも元あった場所に置く。

 するとタイミング良く坂下が来訪してきた。

 俺の顔を見た彼女は、途端に痛々しい顔を浮かべて口を開いた。

「……私見てるから、ちょっと休んできた方がいいよ」

 酷い顔してる。

 そう溢して、彼女は無理矢理笑みを張り付けた。

「そんな顔してたら深雪が起きた時心配するでしょっ! だからほらっ! 息抜きしておいでってば‼」

 有無を言わさず背中を押されて病室を追い出される。呆然としつつも彼女の好意を無駄にするのは気が引けて、とりあえず顔を洗いに手洗い場に向かった。

「……確かにひでぇ顔」

 顔を洗い、鏡を見て思わず呟く。嘲笑にも似た笑いが洩れた。

「……俺がこんなんじゃ駄目だよな」

 両手で両頬を叩く。パンッと小気味の良い音がした。

「よしっ!」

 気合いを入れ直して一旦病室へと戻り、彼女に深雪の事を任せて財布と携帯片手に病院を後にした。



 一つ、遣り残していた事があったのを思い出した。

 結婚したのに、買っていなかったモノ。

 迷わずジュエリーショップへと足を運んだ。

 幸いにも彼女に出逢う前はバイト三昧でお金を貯めていたから、それを買う余裕はあった。

 店内では相当悩んだが色々とアドバイスを貰って選んだ。

 彼女が目を醒ました時、これを見てどんな顔をするだろうか。

 思い浮かべたら自然と顔が綻んだ。

 それを目にした店員さんに言われた。

「幸せそうですね」

 俺は躊躇なく二つ返事した。



 その帰り道、いつか彼女と行った憩いの場へと立ち寄った。

 夕刻と言う事もあり、人は疎らだった。

 朱色がその場所を照らし、噴水が反射して幻想的な情景になる。

 彼女にも見せてやりたい、と思った。


 ――――そう思った矢先、不釣り合いなブレーキ音がけたたましく鳴り響いた。


「きゃあっ‼ 葵ちゃんっ‼」

 女性の叫び声が轟く。悲愴な表情をした彼女の前方には、砂場で座り込んで遊んでいる一人の男の子がいた。

 その男の子の後方から迫る大型トラック。舵がとれなくなったそれは、容赦なく男の子に突っ込んでいく。

「……っ‼」

 その一連の動作は一瞬だった筈なのに、俺にはスローモーションのように映った。

 否応なしに、身体が動いていた。

 間に合えっ‼

 両手を目一杯広げ、男の子に飛び付く。



 最後に頭を駆け巡ったのは、彼女の笑顔だった。




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