179 魔法
白魚の様な透き通った白い肌の小さなクリスの手の甲にはグサリとナイフが刺さっている。ナイフは手の平まで貫通していたが刺さったナイフを抜かない限り血は吹き出てこない。だが血は滴となって少しずつ手の甲から滴り落ちてテーブルに血の模様を作っている。
この場にいる全員がクリスが何を行っているか理解できなかった。状況を理解出来ていない侍女が悲鳴を上げている。
護衛の者達もどう対処していいのか戸惑っていた。
『お静かに。大丈夫です。決して乱心した訳ではありませんよ。
今から魔法をお見せします。正確にはもう既に魔法は発動しています。私の左の手の甲にナイフが刺さっていますが、既に左腕の痛覚を遮断しているので私は痛みを感じておりません』
続いてクリスは刺さったナイフを抜いた。
本来であればナイフを抜くのと同時に傷口から血が吹き出てくるのだが、ナイフが抜けたその跡には傷口は見当たらず何事もなかったかの様に白魚の様な透き通った白い手がそこにあった。
クリスがナイフを抜くのと同時に傷口付近が白く輝いていた。
『これはナイフを抜く際に傷口を治癒しました。これは絶対治癒と申しまして怪我をする以前の状態まで時間を巻き戻して治癒を行う時間魔法と治癒魔法の組み合わせです。魔法としては高等な技術で魔術師でも使える者は多くありません』
クリスは体術系に特化しているため本来治癒魔法が使えない。だか自身の治癒は長年の修行の末に体術の応用として使う事が出来様になっていた。
『あなたはマジシャンなのでしょうか?似たものをマジックで見ましたが。マジックはトリックでさも行為が行われたかの様に見せる目の錯覚を利用したショーの事です』
副総理が以前に見た人を箱に入れて胴体を切断して元に繋ぐマジックを思い出し発言した。
『主人から聞いた手品というものですね。これはトリックの類などではありませんよ。魔法を発動させた結果のものです。例えが判り難かったでしょうか。同行している軍の隊長であれば色んな魔法が使えるのですが・・・』
クリスは戦闘系として剣術や体術に関わる魔法を主に使うためデモンストレーションする様な派手な魔法は無かった。
仕方がないので別の派手そうな魔法を試してみることにした。これなら納得してもらえると思えるものだ。
『それではこれはどうですか?派手なものをお見せします』
クリスが念じるとクリスの周りに5本の剣が召還された。剣はサーベルタイプのものだった。
5本の剣は宙を舞いクリスの周りを飛び回っている。そのうちの一本がクリスの意思で一直線に飛びテーブルの上に飾ってある林檎に刺さった。
食べ物を粗末にする訳には行かないので剣で林檎を割り等分にして皿の上に並べた。
クリスの剣技系魔法で一番派手なのがこの護身剣群だ。召喚する剣の種類はクリスの意思で自由に選べる。
目の前に急に現れる5本の剣とそれを自由自在に操るのはマジックでは不可能だ。
CGやフォログラムといった仮想現実は映像の世界で造る事が出来るのだが、それではテーブルの上の林檎を切り刻むことは出来ない。林檎は現実にそこに在るものというのは誰もが理解していたのでこれがトリックという疑いは誰も持てなかった。
『これはすばらしい。剣はどこに隠してあったのですか?』
『この剣は召還術で異空間から呼び出したものです。魔法でいつでも呼び出したり消したり出来ます』
『本当に魔法があったのですね。狐につままれた様な感じです』
総理は物事を正確に判断する目を持っている。目の前に起きた事は現実だという事を早々に理解した。
『魔法というものは攻撃に使えば恐ろしい兵器となりますが、生活に用いれば非常に便利で役立つものです。この技術を使えばこの世界も或いは救える道が見えてくるかも知れませんね』
『魔法というものをキチンと理解していないので見当違いな質問をするかも知れませんが、魔法というのは我々でも簡単に使える様になるのでしょうか?』
『魔法はマナエナジーと呼ばれるものがその力の源となっています。人の体に血が流れるのと同様にマナも体を流れています。
マナの量には個人差があり、魔法を使える程のマナを蓄えていなければ発動はできません。体にあるマナを体外へ放出させる行為が魔法発動となるのです。マナは生命力と直結していますので過剰に使うと枯渇して生命に危険を及ぼすこともあります。
ある程度の修行を積めば簡単な魔法程度は使える様になりますが、それ以上は適性がなければ使う事ができません』
『なるほど。では、我々にも適性を持つものがいる可能性があるのですね』
『希望を閉ざす事になって申し訳ありませんが、この世界には魔法と言う存在がありませんでしたので潜在的な適性者は皆無かと思われます。訓練によって引き出すことは可能です』
『訓練とは一体どの様なことをするのですか?』
『仙人界で数十年の修行を行うのです。何を修行するのかは人それぞれで得られる物も人によって異なります』
『皇女や隊長殿は非常にお若く見えますが、その修行を成されたのですか?』
『はい、私は十年程度ですが、隊長のソフィアは三十年程修行を行っています。私の主人は百数十年になります。ただし、時間はこちらの時間の流れとは異なります』
『そうですか・・・とにかく大変そうですね・・・』
目の前の女性は一体何年を生きているのだろうか?そういった疑問よりも総理達は一瞬希望の光が見えたかと思ったのだがそんなに甘くは無い事に落胆した。今の危機を目の前にして修行に数十年も費やしていられなかったからだ。今すぐにでも解決したい切迫した状況だった。