113 酒場
酒場は予想してたよりも大きかった。魔都と呼ばれるだけのことはある。恐らくここも夜明けまで飲み明かしたりするのだろう客もまだ結構いた。
酒場の雰囲気としては人間のそれと大きく変わることはない。酔って気が大きくなって声も2段階くらい大きく話すのも人間の酔っ払いと同じだ。
『いらっしゃい、インキュバスの旦那。見掛けない顔だねえ?ここは初めてかい?』
種族は判らないがトカゲの様な姿の酒場の女将と思われる女性が声を掛けてきた。
『ああ、そうだ。元々田舎住まいなんだが北への侵攻に駆り出されて向うで人間に囚われてたんだ。つい先日送還されて戻ってきたところなんだが、家に帰る前にちょっとゆっくりしていこうと思ってな。一息ついたら家に戻るんだが遠いから準備もそれなりに必要になるからいつになるやら』
『おや、そうかい?あんたも帰還兵かい。それは災難だったね。それで何にする?』
『とりあえずビールとつまみをもらおうか』
リュウは無難と思われる回答をしてありきたりのオーダを頼んだ。女性も何ら不審に思う事はなかったみたいだ。遠い田舎はどこだとか詳しく突っ込まれたら返事に困ったのだがそれは杞憂に終わった。
『ここは帰還兵がよく来るのかい?』
『どうだろうねえ?客の三割ってところじゃないのかねえ。何しろ五万もの兵が招集されて連れて行かれたもんだから、出兵した後のこの街はそりゃあ寂しいもんだったよ。お蔭でこっちも商売上がったりさ。先日からあんたみたいな帰還兵がまとめて戻ってきたのでようやく活気も取り戻してきたところだよ』
『ちょっと嫌な噂を聞いたんだが、また侵攻作戦があるかも知れないらしいな。こっちはまだ家にも帰ってないのに勘弁して欲しいよ』
『そうらしいね。だけど魔族だけで足りないからって魔族以外の他の種族も駆り出されるみたいだけどね。そこまでしてやらなきゃならないものなのかねえ』
既に他の種族の援軍については情報が広がっている様だ。実際は援軍というより強制連行なのだが。
飲み屋の噂話は”ここだけの話”として広まりやすいものだったりする。
『で、いつ頃の出兵とかは聞いてるかい?気が気じゃなくてね』
『昨日兵士達が話ていたのを小耳に挟んだだけなんだけど、今新兵の訓練を行っていてそれが終わり次第らしいね。2週間後くらいとか言ってたね。
帰還兵も多くいるだろうからもう少し休ませてあげたらいいのにねえ』
『全くだ。まあ俺はまだ家に帰らない限り通知が来ないからやっぱりしばらくバレスに滞在してた方がいいかもな』
出兵が二週間後というのを聞いてリュウは少し安心した。これで城への侵入を慎重に行えるからだ。
リュウはビールを飲み干すと代金を置いて酒場を後にした。
酒場は繁華街にあるのだが既に日付が変わっており明かりの灯っているところも少なくなってきた。
隠れ家にはすぐに戻ることが出来るのだが、途中立ちんぼに声を掛けられた。もう既に酒場で知りたい情報が手に入ったのでこれ以上は単にトラブルを抱えるだけだとあっさり断った。
翌朝、帰りが遅かったリュウが一番最後に起床した。
『おはようございます。伯爵様。珍しいですね、伯爵様が起きるのが遅いなんて。夜なかなか寝付けなかったのでしょうか?』
『ムーア、おはよう。昨晩、この目で街の状況が見たかったので酒場に出掛けたんだ。それで帰って来て寝たからなかなか起きれなかったんだ』
『そうだったのですね。で、何か有益な情報はありましたでしょうか?』
『そうだな、やはり別種族を新兵として訓練しているらしい。二週間後の出兵を予定しているという情報を得た。まあ、ソースは酒の場の話だから信憑性というのにはいささか不安があるが、この情報に関しては恐らくその通りだと思う』
『それは貴重な情報ですね。流石タイラ伯爵です。諜報部隊の私が形無しですよ』
ムーアとのやりとりにクリフが入ってきた。恐らくクリフもその辺の情報をこれから聞き込みに行こうと思っていたのだろう。出し抜かれた感があって些か不満なのだろう。
『二週間後ということは母達の救出に専念出来そうですね』
ラナも安心した様だった。
『それで伯爵様、酒場に行かれて胸ときめく出会いはありましたでしょうか?男前のインキュバスが行けばさぞかしおモテになったことでしょう』
ムーアが意地悪な目つきでリュウに問い質した。
どうしたのだろう?これは嫉妬なのか?リュウは一瞬思ったが単にからかっているだけなんだろう。
『そういうのは残念ながら無かったな。話をしたのは酒場の女将さんだけだ。勿論そんな雰囲気ではなかったけどな』
ひょっとしたらムーアは自分を連れて行かなかったことを拗ねているのかも知れない。女性は面倒臭いなと思うリュウだった。
『まあ、今回は一人で行ったけど、次があればムーアと一緒に行くとする。その時は宜しくな』
リュウが一応ムーアにも気を遣ってかけた言葉にさっきまで機嫌が悪そうな顔をしていたムーアが一気に表情が変わった。