選挙始めるなら居酒屋で
選挙のことを知らないながらに書いてみました。
三本目の短編です。
よろしくお願いします。
廉田は新橋の駅を降りて、線路と垂直にまっすぐ進んで、
吸い込まれるように大衆居酒屋に入った。
今日も疲れ切っていた。
入り口の引き戸を開けると、
女性定員の大きな声がぶつかってきた
「一名様でしょうか」
一名でこんな店に来るわけないだろう、と廉田は心の中で悪態をついた。
「先にツレの者が入ってると思うんですが」
廉田は疲れ切っていたためか、
それとももともとの彼の性分なのか、
ぼそぼそと不機嫌そうな返事しか返さなかった。
お連れ様のお名前を、と尋ねる店員には、
「小笠原」と面倒くさそうに答えた。
席に通されると、小笠原が待ち構えていた。
「私はとっくに君のツレじゃあなくなったんだけどねー」
軽快かつ意地の悪い声で小笠原はそう言った。
「聞いてたのか」
廉田は苦虫を噛み潰したような顔をしそうになったが、
プライドが許さなかったので、平静を装った。
茶髪、ショートカットの二十五歳。
小笠原カナは廉田の元・彼女だった。
大学を卒業したタイミングで別れていたので、二人で会うのは二年ぶりだ。
「久しぶりだな」
「そうね」
二人が交わした挨拶は淡々として愛想のないものだった。
「どうして今日は俺を呼んだんだ」
廉田は彼女に率直に尋ねた。
「いやぁ、私に偉そうにしていた元カレが今どうしてるかなと気になってさ。
たまにはいいかな、と思ったんだよね」
ふん、と廉田は返事の代わりに鼻をならした。
わざわざ呼び出したのだから、何かしらねらいがあるのかもしれない。
もしかするとヨリを戻すつもりなのだろうか。
彼女の腹の底が読み切れず、廉田は落ち着かなかった。
二人は、一杯目と二杯目にビールを飲み、
固い焼き鳥を食いちぎりながらとりとめもない話をした。
廉田が仕事や世間の愚痴を言い、
小笠原はそれらにつまらなさそうに相槌を打つ。
二人が付き合っていたころから変わらない、
山もオチも意味もない内容が続いた。
二人がいる居酒屋のテレビでは
今の政権が解散と総選挙に乗り出すかどうかについて、
識者と呼ばれる白髪頭の老人がとうとうと意見を述べていた。
その画面を見るともなく眺めながら、小笠原は呟いた。
「またやるのかなぁ、選挙」
「そうだな、どうせ、意味なんてねぇのにな」
廉田は政治が嫌いだった。
「どうせ、解散してさ、選挙して、候補者が車で名前連呼して、
よくわかってねえぇ奴らが適当に投票するんだろ」
「まぁ、そうだけど。でも、選挙して、
ちょっとでも世界が良くなるかもしれないと思うから、
別にいいことなんじゃないの」
「さぁ。期待はできないかな。政治家も馬鹿だし、
それを選ぶ国民だって馬鹿ばっかりだろう」
とりつく島もない面前の相手に、小笠原は溜息をついた。
「廉田が大学の頃から頭いいのは知ってるけどさ、
もう少しポジティブにいろんなことに興味持ったほうがいいんじゃないの」
諭す様な小笠原の声が癪に障ったのか、
梶田は小さく舌打ちして、黙った。
二人は黙ってビールを飲み、焼き鳥をかじった。
鶏肉のちぎれる音とあおったグラスを置く音だけがした。
テレビ画面では識者のコメントが終わり、
街角の人々の意見を紹介している。
小笠原はそれを見るともなくぼんやりと見て、
ビールをひとくち飲み、それから口を開いた。
「私ね、彼氏ができたんだ」
廉田は思わず目を見開いた。
「何で」
私ね、彼氏ができたんだ。驚きのあまり、
廉田はその台詞を心の中で丁寧に復唱した。
目の前の女が何を考えているのかがさっぱりわからずに狼狽した。
「何でって言われても、ねぇ。まぁ、好きだから・・・かな」
へらへらと笑う小笠原に、廉田は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
顔はすっかり紅潮していた。
「もうさ、帰っていいかな」
「だめに決まってんでしょ」
立ち上がる廉田の袖をつかみ、座らせると、
小笠原はビールのおかわりを四杯注文した。
ほんとになんで俺を呼んだんだよ。
彼の中で狼狽は苛立ちに変わりつつあった。
「だれと付き合ってると思う」
「知らねぇよ」
吐き捨てるように言ったが、目の前の女の機嫌よさそうな顔が
崩れる気配はなかった。
「会社のヤツか」
「ブー残念。もう少しリアルは生々しいんだなコレが」
先を促すように廉田が溜息をつくと、小笠原はその名前を口にした。
清彦重徳。それは二人の通った大学の後輩だった。
ひょろりと背が高く、口数は少ない。
清彦は廉田にしてみれば凡庸な人間だった。
大学のころから頭の悪そうなぼんやりした雰囲気を醸し出していたし、
入った会社もパッとしないところだったはずだ。
廉田は呆然と小笠原の顔を見た。
「清彦のいったいどこがよかったんだ」
俺の方があいつなんかよりもずっと優れている、
というニュアンスが言外に溢れだしていた。
「清彦くんのいいところはそれほど悪い奴じゃないところかな。
誰かさんみたいに傲慢じゃないし、世の中ナメてないし、
私の話をちゃんと聞いてくれる」
小笠原の口からは棘が飛び、はじけていた。
「別に、俺は人の話は聞く方だけどな。だいたい・・・」
だいたい清彦はオタクだ。大学のころに廉田は部屋に行ったことがあるが、
気持ちの悪いマンガやポスターで溢れていた。。
飲み会でもサークルで旅行にいったときでも
清彦は人とはつるまずにケータイをいじってるような男だった。
話す相手は似たような部類の人間ばかりで
廉田は自然と彼から距離を置いていた。
彼にとって、清彦は何を考えているのかが
全く理解できない部類の人間だった。
「だいたい、あいつのことがよくわかんねぇんだけど。
小笠原には悪いけど、オタクだし、ちょっと気持ち悪いって思ってた」
「まぁね」
小笠原は少し遠い目をしてから話を継いだ。
「確かに私も告白された時は冗談じゃないって思ったんだけど、
付き合ってみると、なかなか面白いんだよね、アイツ。
清彦の勧めてくるアニメとかも見てみると結構面白いし」
廉田は唖然とした。
「なんだ、お前もオタクになったってことなのか」
「そのつもりはないけどさ、好きな作品の話をしたりとか、
新発売のマンガを買って興奮している清彦はなかなかかわいいんだよね」
ふふん、と誇る様に小笠原は鼻を鳴らした。
「何かに没頭するって、素敵だなぁって
私は清彦に教えてもらった気がする」
廉田はアニメについて興奮気味に語る清彦と
それに笑顔でうなづく小笠原を想像した。
そしてなにやら胸糞が悪くなったような気がした。
いつまでも子供のような趣味に没頭している人間は無様だ。
大人には大人のたしなむべきものがあるのではないか。
彼はそう考えていた。
そんな彼に構うことなく、
小笠原は清彦が勧めるアニメの動画を
廉田に見せてなぜそれが面白いのかを説明している。
だが、そのケバケバしい配色と
目をそむけたくなるようなアニメ絵のせいか、
廉田にはこれっぽっちも良さが伝わってこなかった。
「悪いんだけどさ、俺はまったく興味ないんだわ」
溜息をついて、小笠原の携帯を手で押しやり、廉田は言った。
「そんな趣味に没頭できるお前と清彦が俺には理解できないわ」
押し戻された携帯を一瞥し、鞄にしまうと、
小笠原はじっと廉田の目を見た。
「実は途中から、そう言われるんじゃないかと思ってたんだよね。
もしかしてだけどさ、廉田は私たちのこと馬鹿にしてない?
廉田はさっきからそういう顔してると思う」
「さぁ。でもそんなものに没頭してる人間は理解できないかな」
「別に理解しろとは言わないけどさ。
廉田はなにか没頭するものはないの?
夢中になるって素敵なことだと思うけど」
廉田は黙った。答えは明白だった。
「夢中になるものがないってさ、淋しいことだと私は思うんだ」
一変して憐れむような顔をする小笠原が腹立たしかった。
「なぜ、俺はアニメオタクにつきあってアニメを見ている女に
説教をされているんだ。そんな筋合いはまるでないだろ」
廉田は憤然として、言葉をつなぐ。
「没頭することがないやつが淋しいヤツなら、
この世の中は淋しいヤツだらけだろ。だから俺は別に気にしない。
だいたいそれは所詮価値観の押しつけだろう。
俺はそういう価値観はすきじゃない。
何かに没頭すると考え方が偏りそうで嫌なんだ。今のお前みたいにな」
小笠原は話を聞き流しながらビールを煽ると、ふぅ、と舌なめずりをして、
大きく息を吐いた。
その様子をいらだたし気に一瞥すると廉田は続けた。
「偏っている奴はヤバイ。こだわりとか持つとな、
インプットが偏執的になる。似たようなものばかり吸収してるもんだから、
そのせいで脳も偏る。犯罪者だってだいたいそうだ」
だいたいそうだ、のニュアンスが自分たちをさしていることを悟り、
小笠原はカチンときたようだった。
「ずいぶんと雑に言ってくれるじゃない。
やすいマスコミの話に踊っているのね。
だいたいその考えって要するに変人になるかもしれないのが怖くて、
何にも固執できないってことでしょう」
小笠原は断言した。二人の言葉で店は静まり返っている。
「別にそれでいいじゃないか。
オタクでないことによっておこる問題は何ひとつない」
侮蔑を込めた言葉を廉田は投げた。
一方の小笠原は店員から新しいジョッキを受け取り、
一気にそれを飲みほした。その表情には余裕があった。
「問題あるわよ。大問題ね」
「馬鹿馬鹿しい。言ってみろよ、その問題とやらを」
「つまらないのよあなたは。
話していても全然面白くない。
ええ偏執していないでしょうよ。
無駄にスカして格好つけているものね。
でも、その分知識が浅いから、
いつもどこかで聞いてきたようなことしか
話さないし、人を見下す癖にそれに匹敵するものを自分の中に
構築していない。あなたは人の話に難癖をつけて切るだけなのよ。
一方で面白さのバリエーションだって知らないし、
なぜそれが面白いかのバックグラウンドもろくに知らないのだから
まともな考察ひとつできやしない。
そんな一般論者の話が面白いはずなんて断じてない。
だからあんたはつまんないのよ!」
一気に言い終えると、小笠原は勝ち誇ったように廉田を見た。
廉田の目は血走っていた。
「つまらなくねぇよ。さっきから聞いてりゃなんだよ。
好き勝手言いやがって。少なくともアニメオタクのお前が知らないだけで、
俺はお前なんかより頭もいいし、
いくらでも面白いことをやってみせてやるよ!!」
「じゃあやってもらおうじゃないの」
小笠原は居酒屋のテレビを指さした。
廉田はその指の先を見た。
番組の内容は先ほどとかわらず、
司会者と識者が不景気な顔で話し合っていた。
どうしてこんなことをやっているのだろうか。
廉田は苦笑した。
苦笑しながらスーツの上から襷をかけて、
ハイエースの天井に設置したお立ち台の上に登った。
ハイエースが止まっているのはJR新橋駅の駅前広場だった。
灰色のスーツを着たサラリーマンたちがせわしなく家路へと向かっている。
そんななかに自分もいたはずなのだが、
あの居酒屋で踏み外した一歩が大きかったのか、
いつのまにか自分は全くの別次元に来てしまったみたいだ。
少子高齢化に年金問題。金利と景気のコントロール。
自分があの背広の群れにいたときには
それほど関心がわかなかった言葉の意味と解決するための妙案。
それをいかにして考え、理解させ、人に伝えるか。
すんなりと全てがうまくいく答えはなかなか存在しない。
なぜわざわざ解散してまでしょうもない選挙を開くのか。
そこには政治家の保身や利益の保持だけでは説明できない
高度な政治論理があった。
外交面でも景気の面でも、コントロールしきれない要因がたくさんある。
そんなそこかしこで蠢く波長を何とかしていなしながら
この国を運営しなければならない。
その一方で、どうしようもなく解決が困難でくだらない問題もある。
出馬を決めてから、国に潜む問題と解決のことばかりを考えるようになった。
廉田は吸い寄せられるように勉強をするようになっていた。
ハイエースの周りでは小笠原と清彦が必死で声を上げながら
選挙のビラを配っている。
馬鹿みたいに毎晩毎晩徹夜して作り上げたビラだ。
これを作るのに小笠原と何度喧嘩したかもわからない。
それでもその内容を少しでも伝えたくて、
会社を辞めてから必死で勉強をしたし、
いろんな人に教えを乞うた。
演説をしていると、たまに酔ったサラリーマンからいいぞーと声がかかる。
どうせ内容なんて半分も聞いていないだろうと思いつつも、
自分の声がとどいているような気がして、廉田の胸を打つものがあった。
名前だけでも覚えて帰ってください。よろしくお願いいたします。
廉田がそう言うとパラパラと拍手が起こる。
そんなこともときどきあった。
駅の反対側では同じ選挙区から出馬する大物議員が
大人数を連れて演説を打っていた。
実績と知名度を考えても、勝つのは困難な戦いだった。
でも廉田は不思議と笑っていた。
ここ数か月、選挙のことしか考えて来なかった。
俺はすっかり偏ってしまったみたいだ。そう思った。
選挙の為に会社をやめてしまったし、
もう安定した生活にはもどれないかもしれない。
きっかけは実にどうしようも無く仕様もない事だった。
清彦の勧めるアニメにはいまだ手をだしていない。
でも馬鹿みたいに同じことばかりやるのは悪くないのかもしれない。
彼の考えは変わりつつあった。
マイクにスイッチを入れて、声を張り上げ、汗をかく。
京浜東北線が新橋駅に止まると、新橋駅は大量の人間を吐き出した。
気合を入れて、今の気持ちと考えをを伝えないといけない。
俺は選挙に勝ちたいんじゃない。時代を変えたいんだ。
いつのまにかそんなことを思うようになっていた。
ぞろぞろと吐き出される人の群れに、廉田は対峙した。
手にはマイクを握りしめ、声を張り上げて。
廉田は自分の名前を連呼した。




