下駄箱にねるねるねるね仕込んだ奴ちょっと出てこい
『全滅』
その言葉が現実味を帯び始める。
振り向けばその言葉は今にも背後に忍び寄っているかのように。
自分がしっかりしなければならない。
その責任に潰されそうになるウォルターをニールは見ていた。
(さぁウォルター、ここが君の分かれ道だよ)
まるでこの状況を楽しむかのようにニールは微笑む。
絶体絶命のこの状況、その中で彼……ウォルター=ハーディスがどのような選択をするのか。
それをニールは傍らで見守っていた。目を瞑り、苦悶の表情を浮かべるウォルター。握る拳の先は、薄っすらと血が流れていた。
どれくらいの時間が経過したのだろうか。ふと、気づけばウォルターの目に強い意志が見えた。
どうやら彼は選択したらしい。
己が、皆が運命を。
「ニール、作戦に変わりはない。
戦力の低下で多少難易度が上がるが、やってくれるか?」
決意した彼の目は曇りなく澄み切っていた。
それでこそ、それでこそ僕が選んだ器だよウォルター=ハーディス。
「違うよウォルター、そうじゃない。
君は命令すればいいのさ。この僕にただ“やれ”と。そう一言だけ告げればいいんだ」
その言葉をわかっていたかのように、ウォルターは紡いだ。
「作戦を実行しろニール=ラインフォール!」
その命を受け、ニールはいたずらする子供のような笑顔で頷いた。
「ニール=ラインフォールの名にかけて、必ずや成し遂げてみせるよ」
深々とお辞儀すると、すぐさまニールは行動を開始した。
蒼穹の狩人から離れた位置へと移動したニールは、一人様子を伺っていた。
(ドラゴンは攻めあぐねているみたいだね。だけどこの状況は長くは続かない。んー、困ったもんだ)
今のところは善戦している。この拮抗状態を長引かせれば先生方の救援も間に合うかもしれない。
しかし、そんな希望的観測に頼るほどニールは楽観的ではなかった。
残存戦力は火属性が14名、水属性が9名、雷属性が9名、土属性が11名、風属性が4名、その他の属性が13名の計60名。その内、治療に専念しているのが5名。差し引きで55名といったところ。
対するドラゴンはほぼ未知数ときてる。
こりゃ無謀もいいとこだね、とニールは愚痴をこぼすが、その言葉は誰も聞いちゃいない。
「でもまぁ、僕が頑張ればそれも何とかなるんだろうけど……よっと!」
不意に向かいくる尻尾をバックステップで躱す。
「狙ってやったのかな?……んなわけないよね」
そう言いつつ、少しだけ後退する。
ニールが今いる位置は蒼穹の狩人の向かい側、つまりドラゴンの背後だ。
ここからならば状況が瞬時に判断出来るし、何より作戦を実行しやすい。
ウォルターの考えた作戦。
そのキーマンは何を隠そうこのニールだ。逆に言えばニールがいなければ成り立たない、そんな綱渡りのような作戦。
ニールは理解していた。
この作戦での自分の重要性を、自分の立場を。
そして、それに伴う危険性を。
だからこそニールはウォルターに進言した。
『自分を好きなように扱ってもらって構わない』と。
ウォルターが自分のところに来た瞬間、いや、ドラゴンがやってくるという報告を耳にした瞬間に。
その身を投げ打つ、覚悟を決めた。
さてと、感傷に浸ってる場合じゃないね。
そう気持ちを切り替えるとニールは目の前の光景から情報を得ようと試みる。
前方では未だ激しい攻防が繰り広げられている。
水属性と雷属性による魔法の嵐。
その他の属性による身体強化を使った近接戦闘。それによりドラゴンの体には無数の小さな傷が出来ていた。
要となる陣形、蒼穹の狩人を守るように展開される土属性魔法。
先ほどとは違い受け止めるアースウォールから受け流すアースウェーブに変わっていた。
おかげでドラゴンの攻撃も隙なく防げているようだ。
火属性はそれぞれに出来た隙を埋めるように魔法を展開している。
そして風属性は作戦のために温存、と言ったところか。
ここまで並行状態が続いてるなら、そろそろ動き出すんじゃないかな?
ニールがそう思った瞬間、戦場は動きを見せた。
膠着こうちゃくしていた戦闘が、目に見えて移り変わる。
攻撃を受けていたドラゴンが、その大きな翼を動かそうとしていた。
その翼の羽ばたきにより巻き起こる強風。
足下にいたせいとは問答無用で吹き飛ばされる。
どうやら空中に一旦戻るようだ。
そしてそこから導かれるモノ、それは───
───二度目の咆哮。
今度ばかりはひとたまりもない。
何度か羽ばたくと、ドラゴンの巨体が徐々に浮かび上がる。
「ニールッ‼︎」
ウォルターの甲高い声が辺りに響いた。
作戦の合図だ。
「やれやれ、人使いが荒いよね君は。
こりゃとんだ貧乏くじ引いちゃったかもね」
ニールはそう苦笑交じりに言葉をこぼすと、飛行しようとするドラゴン目掛け疾走を開始した。