バカめ! それはバウムクーヘンだ!
その光景に思わずロイドは固唾を飲む。
あれだけ先ほど苛立っていたのが嘘みたいに頭が冷える。
ウォルターの、その粛然とした有様に敬意を表したくなるほど。
だが、自分は上流貴族。フレズベルク家の者だと考えを改める。
フレズベルク家たる自分がこんなことで嫌悪してきたウォルターと馴れ合うなど、貴族としてのプライドが許さない。赦されない。
「戦うだと? 相手はあのドラゴンだぞ!
敵うわけがないだろう⁉︎」
だから、ウォルターの言うことに異を唱える。自分は貴族だから、民を守らなくちゃならない責任があるから。
そんな程のいい言い訳を逃げ道に用意していた。
自分のことながら最低だ。だけど、これが正しい判断。
そう信じずにはいられなかった。
「本当に、逃げることが正しいと思うか?」
不意にウォルターはロイドに問う。
眼鏡越しにロイドを見る目は、まるで彼の迷いを射抜くように鋭い。
ロイドが絞り出した言葉。
それが正解なのか、誤りなのか。
鋭い眼光はそのままに、ウォルターは言う。
「いったい何人が逃げ切れると思う?
いったい何人が生き延びれると思う?
個人の力はあまりに弱く脆いというのに、君は逃げろと言うのか?
それこそ死にに行くようなモノだ」
「じゃあどうしろって言うんだ!
未だに帰って来ない先生を待てってのか?
それとも逃げずに戦って立派に死に遂げろとでも言うのかよ⁉︎」
声を荒げる。ロイドの懸念はさも当然だ。
先生が転移魔法陣を使用して2分が経過した。本来なら報告を終えてすぐにこの場に戻り生徒を先導し、何かしらのアクションを起こすはずだ。
それにも関わらず姿を見せないとなると、何か問題が起きた可能性が高い。
そしてこちらに来れなくなった、というのが現状だろう。
ならばこれは最悪の事態。
救援はなく、連絡も出来ず、逃げ場もない。
檻に入れられた家畜のように、ただただドラゴンに嬲り殺されるのを待つだけ。
一瞬過ぎったその考えに、ロイドは背筋を凍らす。
餌の前で舌舐めずりをするドラゴン。
その牙は今にも自分の体を刳り、咀嚼せんと鈍く光る。
その爪は今にも自分を体を引き裂き、猛威を奮わんとする。
逃げ惑う生徒をまるで虫けらのようになぎ払い、その咆哮にて焼き尽くさんとする様が刹那の間に脳裏に描かれる。
先ほどの自分の言葉によりますます周囲がざわめき立つ。
その中でウォルターは静か、と形容出来るほどの声量で言った。
「本当に、そう思うか?」
ロイドはこの言葉の意味がわからなかった。
この状況で、この現状で。
いったい何が出来ると言うのか。
目の前にいるウォルターが、もう一度言葉を紡ぐ。
「本当に、……逃げるしかないと、勝てるわけがないと、そう思っているのか?」
再度かけられた言葉。
その真意をロイドは読み取れない。
いや、本当は彼自身もわかっていた。
その言葉の意図するものを。
しかし、
「何が言いたい、ウォルター=ハーディス!」
理解することを、彼は拒んだ。
あり得ない。あり得ないあり得ないあり得ない!
そんなことが実現可能だなんて、あり得るわけがない!
そんな思いとは裏腹に、ウォルターは集まってきた生徒全員に聞こえるよう高らかに言った。
「今からここにやって来るのは人々に畏怖される存在であるドラゴンだ。
それは紛れもない事実。
あと5分程度でやつは現れるだろう。
助けもない、逃げ場もない絶対絶命のこの状況を、君たちはどう思う?
恐れるか、戸惑うか、嘆き喚くか。
もうダメだと、悲観するか?
……違う。そうじゃないはずだ!
そんなことをする暇があれば現状を打破しようと画策しろ!
生き延びるために何をすべきか考えろ!
何をしても無駄だと思っている死人もどきは、どうせなら私に命を預けろ!
私が君たちを救ってやる。守ってやる。
だが、私一人では無理だ。だから君たちの力を貸して欲しい!
私一人では無理でも、君たちの力があれば例えドラゴンであろうと倒すことができるはずだ!
さぁ諸君に告ぐ、武器を取れ!
剣を構え、弓を担ぎ、杖を立てろ!
そして示せ! 我らの生き様を!
見せつけろ! 我らの力を!
刻みこめ! 我らの誇りを!
ここには私がいる。
そして君たちがいる。
我らは運命を共にした者だ。だからあえて言おう。
───誰一人失うな! そして誰一人失わさせるな!
それが出来るだけの力が、我らにはあるのだから!
敵はドラゴン、相手にとって不足なし!
やつの喉もとに我らの剣を突き立てるのが先か、我らが皆なす術もなく朽ち果てるのが先か。
───さぁ諸君、我々の生死をかけた戦いを始めようではないか!」