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アルタナ    作者: 夢見無終(ムッシュ)
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5章  アルタナディア姫がエレステルに入国、その六日後――――。

5章  アルタナディア姫がエレステルに入国、その六日後――――。



 もうすっごいんですよ! イオンハブスの騎士団より強い人ばっかりだし、女兵士もたくさんいて、力もスピードも男勝りなんです! しかもエレステルって基本の剣技の他にもう一つ技を体得しないといけなくって、戦法に幅がありますし、弓兵と剣士が勝負することもあったりして、単純に腕力だけじゃ勝てないし、なんというかもう、戦いの奥深さを思い知らされて、私の剣もどんどん冴え渡っていく感じです―――!


「フッ、カリアはそんなことを言ってたのか」

「ええ。初日は勇んで出て行き、ヘトヘトになって帰ってきましたが、三日目になると目を輝かせていました」

「ハハハ、無邪気だねぇ」

 アケミは笑うが、アルタナディアは特に面白そうではない。アケミにはその理由がわかる。

「カリアはわかってるのかな? その実力差が国レベルの軍事力の差だということを」

「正しく理解していないでしょう。しかしそれで構いません。カリアの役目は私の護衛です。それ以上は必要ありません」

「とはいっても、自覚が足りないな。いや、実力が足りないというべきか。少々……足手まといじゃないか?」

 アケミはアルタナディアに少し探りを入れてみる。アルタナディアは思った以上の器。年若い姫君でありながら、王としての基礎はすでに完成されているといっていい。だからこそ、なぜカリアのような未熟者を側近にしたのか気になる。

「カリアは未熟ですが、役目に対する一途さと、立場に甘んじない謙虚さを持っています」

「なるほど。姫様大事だし、姫の側近でありながら偉そうな雰囲気は微塵もないしね。でもそんなのは、これからヨイショされれば変わるんじゃないのか」

「そうなれば役目を解きます。ですが……今の私にはカリアが必要です」

「ふん?」

「バレーナが現れたとき、私は自分の命一つで事を収められないかと考えていました。しかし是が非でも私を守ろうとするカリアがいたからこそ、ここまでこられたのです。私に足りないものを……カリアは持っています」

「足りないもの、ねぇ?」

 ちょっと驚いた。そして興味深かった。今のはアルタナディアらしくない。国のトップであれば、民衆はおろか、他国の人間に隙を見せる事はありえない。それを知らぬアルタナディアでもないだろう。

まだ少女だからか? それとも、何か意図があってのことか?

「それよりも、クマイル卿のところにはまだ着かないのですか。昼過ぎに出発してから大分陽が傾いているようですが」

 アルタナディアがちらりと目を向けるも、馬車の窓はカーテンで遮られていて、外の様子は伺えない。カーテンに透ける陽の光で判断しているらしい。

「心配せずともちゃんと向かっているさ。あたしが嘘をつくと思うのか?」

「どうでしょう。しかし、釘を刺しておかなければならない気はします」

「イマイチ信用がないな。まあいいけど」

 鋭い――。今のところアケミにアルタナディアをどうこうしようという気はないが、絶対ではない。これからのクマイル卿との会談次第ではどうなるかわからない。だから「釘を刺して」くるのだ。

 状況を読んでいるのだろうが、それ以上にこちらの内情を察しているような気がする。この辺りはバレーナに似て直感的なのだろうが、タチの悪い事に妙なポーカーフェイスを持っていて、底が見えないという厄介さ……。

 実際のところ、アルタナディアに大したことはできないはずだ。実績はなく、前評判といえばこの神懸った美貌くらいだ。しかし自分の第六感が、何かあるかもしれないとも訴えてくる。何一つ、根拠らしい根拠はないのだが………いや、一つあった。今こうして自分が動かされていることだ。この国で自分を使おうとする人間も、使える人間もそういない。現に、バレーナには迎合しなかったではないか―――。

「大物だな……」

「はい?」

 微かな自嘲だったはずだが、アルタナディアは聞き拾っていたらしい。

「何でもないさ。ほら、着いたぞ」

 到着したのは湖畔の屋敷。クマイル卿の別荘だ。アルタナディアがアケミを通じて卿との会談を希望したのだが、卿の邸宅では他の貴族たちにあらぬ嫌疑を掛けられかねないため、この場所をセッティングした。

 アルタナディアは卿と顔見知りのようだ。何を話すつもりなのかは知らないが、アケミも仲介役として同席する。もしアルタナディアがバレーナを倒すために戦力の提供を求めたら鼻で笑うだけだし、とんでもないことを提案して国に不利益をもたらすようなら即座に斬る。それは当然、暗黙の了解のはずだ。

「アルタナディア姫」

 あえて呼ぶ。非公式だが、そういう場だ。

「卿にお会いになる前に、こちらの部屋でお召しかえを」

 今のアルタナディアは宿舎での労働着しかなかったから、会談に臨むにあたり、ドレスの用意を頼まれていた。もちろんアケミもいつものロングコート姿ではなく、官兵としての正装だ。

 アケミがドレスをメイドに渡そうとするが、その前にアルタナディアが横から手を伸ばす。一人で着替えるということらしい。

 さすがに見知らぬ人間に肌は見せられないか。そう考えたからこそカリアとの相部屋にしたのだが、しかし……。

 十数分待ち、ドアをノックする。

「構いません」

 部屋に入るとアルタナディアはすでに着替え終えていた。サイズを合わせるために一度試着したドレスだから手間取らなかったのだろうが、これは……。

「何です? 何か用があったのでは?」

「立場上、身体検査をさせて頂きますよ。メイドに着替えを手伝わせていれば必要なかったのですが……事前にお知らせしなかったのは申し訳ない」

「いいえ…どうぞ」

 どうぞと言っておきながら、アルタナディアは自分から動こうとしない。目を閉じ、無防備に立ち尽くしている。

 なんだ……この緊張感は? 白い首筋から鎖骨の柔らかな影が妙に生々しく見えて、息を呑む。おかしい……なぜ今、こんな気分になる? 

 一度意識してしまえば、もうダメだった。瞼を閉じ、唇を結んだ静かな面すら触れるのを戸惑ってしまう…。

「…どうして後ろに回るのですか」

 アルタナディアの背後から伸ばしかけた手がピタリと止まってしまい……

「どうして、と言われてもね…」

 普段の口調に戻し、とうとう両手を挙げた。

「アルタナ……アンタは綺麗過ぎる。正直なところ、魅入られたような気分だ。無礼を承知で言うが、もはや魔性の域だな。このまま顔つき合わせながら触れるのは酷というか、鍛え上げたつもりのあたしの精神が崩れそうで怖い」

「それは錯覚です。もしそう感じるのなら、このドレスのせいでは?」

「あー、そうしておこう。そのほうがあたしとしては楽だし、そのドレスが曰くつきなのも確かだ」

「どういうことですか?」

 アルタナディアが半身振り向き、目元で疑問を投げかけてくる。

「それはバレーナがアンタのために作らせていたドレスだよ。一回り大きかったのは今の体型がわからなかったからだな。予め詰め直させるつもりだったんだろうさ」

「バレーナが……」

 白いレース地を組み合わせたドレスはバレーナのものに似ているが、艶やかさよりも清楚さを感じさせるのは色が違うからか。丁寧な作りから、アルタナディアに対する想いがこれでもかと凝縮されているのがわかる。

「あー、検査はヤメだ。無闇にアンタに触れたらバレーナに呪われそうだ。その代わり部屋には剣を持ち込ませてもらう」

「結構です。行きましょう」

 コツ、と静かにヒールが鳴る。

 敵地で、逃亡の身で、これほどまでに堂々と背筋を伸ばせるものか? アケミは思う。恐れ知らずといえばそうなのかもしれないが、しかしそれで一笑に付していいものだろうか。アルタナディアには何かがある。自分も認める何かが……。

 奥のリビングルームでは、すでにクマイル卿が待っていた。齢七十を越えるご老公。政治の重鎮でもあったが、すでに隠居している。アルタナディアとは祖父と孫ほどの年齢差だ。

「お待たせいたしました。ご無沙汰しております、クマイル卿」

「よく参られた、アルタナディア姫。お父上のこと、まことに残念であった。私も最近あまり体調が優れんでな、葬儀に参列できなんだ。許されよ」

「いえ。そのお心遣いに、旅立った父も喜んでいることでしょう」

 満足げに頷いたクマイル卿はアルタナディアに着席するよう勧め、後ろについていたアケミにチラリと目を向けた。

「意外な交友関係ですな。何時知り合ったのかな?」

 クマイル卿が訝るのは当然だ。シロモリは武官の家柄であって、外交に関わる事はまずない。それが他国の王族と繋がっているとなれば、些か問題である。

「出会ったのは偶然です。賊の手から助けていただいたことがきっかけです。お若いながらもエレステルに知れ渡る武人と伺いましたが、周囲への細かな配慮も怠らない、非常に尊敬できる方です。私もよくしていただき、感謝の念に耐えません」

 むず痒くなることをよく言う…。クマイル卿に目で問われても、アケミは失笑を堪えて会釈を返すしかなかった。

「ふむ。私もアケミについてはある程度評価している。単独行動が過ぎることと、不真面目な点をのぞけばな」

「クマイル卿、私は非常勤の武術師範でありますが、己自身も修行中の身。独り旅は修行の一環です」

「そうは見えんな。ブロッケン盗賊団の件以降…いや、それより前から、若い兵士たちはバレーナ王女とお前を英雄視しておる。バレーナ王女は期待に応えようと精進しておるが、お前は負うべき役目から逃げているのではないのか?」

 おっと。ただの仲介人のはずが、とんだとばっちりだ。

「誤解ですよ、クマイル卿。卿が仰る役目というのが何かは存じませんが、その役に就いていないということは、私にはまだふさわしくないということなのでしょう」

「まったく口がよくまわる。剣を振り回すより先に社交界に出ておれば、もう少し違う人生だったろうに」

「あはは…」

 苦笑いしながら内心舌打ちした。失礼なジジイだ。

「話が逸れたな……。アルタナディア姫、今回参られたのは、何のお話なのかな?」

 アルタナディアは差し出された紅茶を一口啜ってから、口を開いた。

「今の私と、イオンハブスの事情はご存知ですね?」

「……なぜ尋ねるのかね。自国の王族の行動を知らないとでも?」

「私には疑問なのです。戦争の正当性もですが、それ以上にバレーナが行動を起こしたその原因がわかりません。それにヴァルメア王が崩御されて二年……なぜ女王ではなく、未だに王女なのですか? 何か王位を継承できない理由でも?」

「ふむ……」

 クマイル卿は顔を曇らせる。

「……イオンハブスは、今後王座をどうされるかお決まりか」

「王室のことについては結論が出るまでお答えできません………と申し上げるところですが、具体的な議論の前にバレーナが襲来しました」

「そうか……申し訳ないことをした。実は未だに王女であるのは、バレーナが女王になることに賛同しない反対派が多数いるからなのだ」

「反対派? なぜ反対するのです? この二年間で伝え聞くバレーナの噂は、盗賊団の一件を始めとして、目覚しい成果ばかり。悪評は何一つとして聞こえてきませんでした」

「バレーナ自身に落ち度があるわけではない。むしろ力を尽くしておる。しかし反対派はバレーナの方針にケチをつけ……とにかく騒ぐことを止めぬ」

「方針?」

「イオンハブスに対する友好姿勢だ」

 さすがのアルタナディアも眉を顰めた。

「それが何か問題なのですか? これまでと変わらないのでは?」

「エレステルは長きに渡りイオンハブスを守護した歴史がある。しかしその功績に見合う関係ではないのではないかという………不満だな。それが長きに渡り、民草にまで鬱積しておる。国家レベルで見ればそれは正しい主張とは言えん。エレステルは敵対勢力から自己防衛する事で、背後のイオンハブスを間接的に守っているに過ぎんし、イオンハブスからも事あるごとに物資などが供給されておる。しかし両国の友好が深まり、相手を知ることで、対等でないことは不平等だという錯覚した認識が生まれてしまっていたのだ」

 思い当たる所があったらしい、アルタナディアがわずかに表情を変えた。

「奇しくもエレステルとイオンハブスでほぼ同時期に王が崩御し、代替えの期になってしまった。せめてあと五年経っておれば事情は違ったかもしれぬ……」

「どういうことです?」

「うむ………」

「そこからは私が申し上げましょう、クマイル卿」

 言葉を詰まらせたクマイル卿を見かねて助け舟を出す。クマイル卿も老いたのだ。孫娘を見るような眼差しの老人に言わせるのはいささか酷すぎる。

「つまりだ。エレステルの三分の一は、イオンハブスの『小娘』を王として認めないのさ。そしてその小娘と対等の立場をとろうとするバレーナもまた、能力を疑われているってわけだ」

「…………!」

 アルタナディアは少なからず衝撃を受けたようだった。茫然自失の表情で、唸る。

「私のせい、だったのですね……」




 日も沈み、静寂と暗闇が支配する帰りの馬車の中、アルタナディアがポツリと呟く。

「貴女が以前、国同士の争いでないと言っていたのは、こういうことだったのですね…」

「そうだな。バレーナの行動は国に対する決意表明だ。自分の手勢だけで攻め込んだのも、己の実力を見せるためだな」

「それでイオンハブスを奪う事で反対派を押さえ、国を纏める。貴女も納得のいく結果になったわけですね」

「あん?」

「バレーナの方針に賛同できないと言っていました。貴女も反対派なのでしょう?」

「ハッ、それは違う」

 アケミは大仰に肩を竦めてみせる。冗談じゃない。気分の悪いカン違いだ。

「言ったろ? あたしは政治には頓着していない。それにあたしらが剣を振るのは自分の国を守るため、イオンハブスはついでだ。そこに利益や立場云々を求めるヤツは自分の剣に誇りも自信もないザコだ、一緒にされちゃ困る。あたしが賛同できないのは、無理してやりたくもないイオンハブス襲撃をやってることだ……っ!」

 言い切った後、思わず舌打ちした。そこまで喋ってはいけなかったのだ。バレーナが本意ではなかったと知られれば、付け入る隙を与えてしまう。国益に関わる事情を漏らしてしまったのだ。

 もう一度舌打ちし、アルタナディアから顔を背けた。

「言っちゃったモンはしょうがないが……ここからはあくまで独り言だ。本人から直接聞いたわけじゃないが、おそらくバレーナはイオンハブスの中央を一気に占拠し、争う暇なく降伏させるつもりだった。国を丸ごと入手できればこれ以上ない戦果だが、それだけじゃない。女王としての地位を得る事で、アンタを生かすことに文句をつけさせないつもりだったんだろう。命は救えるが恨まれる、苦肉の策だ。そういうバカに、あたしは協力できなかった。確かに反対派の中でも頭のイッたタカ派連中は、クーデターを起こすか、さもなくば勝手にイオンハブスを襲撃するかって騒ぐバカ野郎どもだ。先に行動を起こすことでそいつらからアンタを守る算段だったのだろうが、あたしに言わせりゃ、そんな奴らこそ斬ってしまえばいいんだよ」

 吐き捨てると、アルタナディアは冷たい目を向けてきた。

「意見が異なるとはいえ、同胞ではないのですか? そのように簡単に切り捨てていいのですか」

「王に従わないのなら反逆者だろう。つーかそういうことでなしに、何が一番大事かってことだ! あたしはバレーナからアンタの事を、耳にタコが出来るほど聞かされ続けてきた。アルタナが、アルタナがってな」

「……………」

 アルタナディアは押し黙った。表情こそほとんど変えないが、スカートの裾をぎゅっと握っている。それを見たアケミは荒っぽく息を吐いた。

 くそっ、ヤキが回ったな……。

「……実は、反対派を扇動しているヤツらがいる」

「そうなのですか?」

「そいつはタカ派を利用して、本当にクーデターを起こそうとしている。アンタたちを追い回した兵士………アイツらもそうだ。調べを進めているが、おそらくはバレーナとアンタをまとめて暗殺することが本来の目的だったんだろう。バレーナに付き従っていると見せかければ、エレステルの兵士がイオンハブス領内にいても違和感のない、絶好のタイミングだからな」

「では貴女はそれらの動向を探るために……バレーナのために?」

 アケミはアルタナディアを無視した。余計な勘ぐりだ。

「準備が整い次第ヤツらを叩くが、その前にアンタたちには強制的に出て行ってもらう。これは内々でケリをつける話だ。さっさと国に帰れ」

「帰る……」

「そうさ。気づいていたか? バレーナはずっとお前を監視している。それでも急ぎ捕らえる気配がないってのは、殺すつもりなんてないってことさ。堂々と帰ればいい」

「……果たしてそうでしょうか」

「あ…?」

「バレーナに剣を突きつけられたとき、私は降伏勧告を受け入れませんでした。大臣たちは捕らえられ、騎士団は抑えられ、私は逃亡しました。イオンハブスにとっては戦争なのです。私一人が身の振り方を選べるはずはありません」

「お前……!?」

 思わず身を乗り出す。何を言い出すんだ、この女は!

「この期に及んでバレーナと戦うつもりなのか!? バレーナに、お前を殺させるつもりなのか!」

「私が負けるとは限りません」

「やりたくもない殺し合いなんてやめろ! 巻き込まれるほうが迷惑だ!」

「私はイオンハブスの王女です。アルタナディア=イオンハブスなのです。私には王としての責務があります!」

「お前はっ……二年前の王様の葬儀の日、バレーナとキスしてたんじゃないのか!?」

「え…」

 そう、あの日見ていた。口元を拭いながら足早に通り過ぎていくバレーナと、頬を赤く染め、指先で唇を抑えて立ち尽くすアルタナディアを……。

「姉なんかじゃないだろう、お前とバレーナは、お互いにっ…!」

「……関係ありません」

「…なんだと…!!」

 あくまで頑なな返答に燃え上がるような怒りが沸き立った。

 真っ直ぐ睨み合い………アケミはアルタナディアの頬を加減なしに引っ叩いた。華奢な身体がドアにぶつかって狭い車内を揺らすが、身を起こすアルタナディアの瞳はぶれない。真っ直ぐ、睨み返す―――。

「ちっ……」

 アケミは椅子に腰を下ろし直し、窓のカーテンを開けて夜空を眺めた。

「己の役割……宿命があることはわかっている。だが、もう少しワガママになってもいいんじゃないのか」

「貴女は本当に、情に厚いのですね」

「ふざけんな……強烈なビンタだったろう? 脳が揺れてるから、正しい思考ができてないんだよ」

 適当な事を喋りつつ、横目でアルタナディアを見る。

 正常な判断力を失っているのは自分のほうだ。

 これほど惹かれる女もそういない。見た目が美しいだけではない。この愚直なまでの純粋さと折れることのない強い意志が、私を惹きつけてやまない。

 そもそも初めて出会ったあの時、どうして一目でアルタナだとわかった? 確かに何度か遠目に見たことはあったが、そうではない。バレーナに話を聞いて、私が頭の中で想像したそのままだったからだ。想像通りであり―――予想以上だった。バレーナが夢中になるのも、カリアが必死になるのもわかる。嫉妬も羨望も超越する存在………そんな真白の女神なのだ。

「アケミ=シロモリ」

 フルネームで呼んでくるアルタナディアの声音は先程までと違う。

「私にとって貴女は恩人であり、親友です」

 そっと―――うす明かりの中で、ほんのわずかに微笑んで見えた。

「……あたしは『アルタナディア王女』は好きになれない。多分この先、ずっとな……」

 再び目を逸らし、アケミは刀を握り締めた。

 いくら信念を積み重ねようが、正義を振りかざそうが、愛する人を殺した罪の意識は、人間を壊す。

(それを互いにやろうっていうのか…)

 刀が重みを増していく……。

 己の役割を全うするしかない。それだけが、姫たちに払える最大の敬意なのだ――――。


  

 カリアが浴場から宿舎の部屋に戻ると、姫様が帰ってきていた。

「あ……」 

 久しぶりに拝見するドレス姿は圧倒的に綺麗だ。髪を拭くのも忘れてカリアは見惚れてしまう。

 口をぱくぱくさせながらなんとか「お帰りなさい」と声を掛けるものの、ベッドに座っていた姫様は目元だけで返事して、また黙ってしまう。何かをお考えのようだ。大分帰りが遅かったが、どこまで行っていたのだろう。

「あ……食事の用意をしようか」

「済ませてきました」

「じゃあお風呂のほうは。風呂は私が最後だったから、今は誰もいないはず。あ……残り湯だけど」

「それも結構です。他で頂いてきました」

「そう……」

 アケミと共に、どこかで美味しいものでも食べてきたのだろうか。正直言えばチョッピリ羨ましいが、姫様には不遇を強いているのだ。そのくらいあって当然だし、そのくらいないと申し訳ない。それにご様子から察するに、それらは全てついでの事らしい。深く考え込んでしまう何かがあったようで、言葉を掛けづらい雰囲気だ。

 姫様を邪魔しないよう、静かに服の整理などをしていると、

「カリア……ちょっとこちらへ」

 「姉さま」ではなかった。私は先ほど「ナディア」として姫様と会話していたつもりだったが、もしかしていけなかったのだろうか?

 恐縮して目の前に立つが、やっぱり跪くべきだろう。身を屈めようとしたが、姫様の声のほうが早かった。

「手を見せなさい」

「は…?」

「手を見せなさい」

 言われるままそろそろと掌を見せると、手をとった姫様は裏返し、しばらく指先を見た後、小さく嘆息する。

「ここに座りなさい」

「は、はぁ……」

 命ぜられるまま、何のことかわからずに姫様の隣に腰を下ろすと、どういうわけか姫様が立ち上がる。棚から爪切りを取ってきたのを見て、意図がわかった。

「あ……爪、伸びてました。切っておきます」

「手を出しなさい」

「あの、自分でできますから…」

「駄目です。どうせ貴女はぞんざいに切るだけで、整えようとしないでしょう。ちゃんと爪を磨いた事はありますか?」

「いいえ…」

「やり方は知っていますね?」

「……いいえ」

「はぁ…」

 姫様がまた嘆息。しかし、私は十四の時から男に混じって剣を振ることしかしなかったのだ。学ぶ機会がなかったのは仕方がない……と思う。

「まあいいでしょう。淑女のマナーを勉強させていながら気付かなかった私にも責任があります。貴女を王室で預かっている以上はきちんと教育せねば、貴女のお母様にも申し訳ありません。一度だけ手本を見せますから、しっかり覚えなさい」

 そうして姫様直々のネイルケア講習会が始まった。講習会といっても解説は最初の親指と次の人差し指がメインで、あとは姫様がひたすら爪を切り、ヤスリで先を整えていく。磨くのはすべて切り終えてかららしい。

 兵士宿舎の備え付けのものにしては道具が上等だが、姫様の持ち物なのか。逃亡の際にも必需品として持ち歩かれていたことなど、全然気付かなかった。淑女の意識が足りないと言われても仕方がないか。

「あの……」

「何か質問でも?」

「手馴れていらっしゃるように見えるのですが、ご自身以外の、他人の爪を切ったりされたりとか……ん? あ、いえ、他意は全くないのですが……」

 何を言っている、私。他意って何だ。

 姫様は少し間を取ってから、静かに口を開く。

「古来より、権力の頂点に君臨する王の命を狙うものは後を絶ちません。いつ、いかなる時でも暗殺の脅威に晒されているのです。ですから王に刃物を持って近づけるのは限られた人間だけ。刃物とは兵士の武器だけではありません。床屋の剃刀にしろ、仕立て屋の針にしろ、この爪切り一つにしたって同じ事です」

「爪切りも……」

「日常生活においても、大きな信頼と疑心暗鬼に囚われぬ度量が必要……それが王と臣下の関係なのです。そしてそれは王族間においても当てはまります。たとえ親子・兄弟でもです。王室の権力争いほど醜く、恐ろしいものはありません」

 ごくりと唾を飲み込む。幸いと言っていいのか、今の姫様には親兄弟はいない………いや? もし姫様がいなくなったらどうなる? その時、国がなくなるわけではないだろう。誰かが王になり、権力を得るはずなのだ。そうなり得る人物は必ずいる。姫様を狙う動機を持つ人物は、必ずいる――――

 …バレーナとか。

「…しかし裏を返せば、相手の爪を切る行為は親愛の証なのです。私も父上の爪をよく切って………カリア、聞いているのですか」

「え? あ、はい、聞いていました…よ?」

「はあ……貴女は本当に手が掛かりますね。年下の私にこうまで言われて平気なのですか?」

「年下でも、姫様は姫様ですから」

「貴女自身が恥を感じないかと聞いているのです…!」

「あっ、はい! もちろん感じています!」

 今のはかなり怒っていらっしゃった! 反射的に答えて生返事同然だったが、姫様はもうそれには言及しなかった………さすがに反省するべきだ。

 爪切りは順調に進むものの、ヤスリで整える分、いつもより時間がかかる。ずっと爪を注視していられずになんとなく視線を泳がせると、ふと気になった。

「……そういえば、胸の傷の具合はいかがですか?」

「……………」

 姫様が一旦手を止め、ドレスの胸元を直す。

「何が『そういえば』なの?」

「え…と…」

 押し黙るしかなかった。そんなつもりはなかったのだが、胸元の隙間をかなり凝視していたらしい。そして姫様もしっかり気付いていたようだ。

「カリア」

「はい…」

 姫様の声が刺々しい…。

「たまにですが、貴女の視線が刺さるときがあります。なぜですか?」

「なぜ、と言われましても……」

 なぜだろう……?

「貴女は………私のことをどう見ているのですか?」

「……姫様? だと思います」

 疑問調なのがいけなかったのか、姫様の目が少し険しくなる。なるほど、こうなると爪切りも怖いものかもしれない。

「私を姫と、主とするのならば、今後そのような目で見てはいけません」

「はい、気をつけます……」

 と、返事したものの……本当になぜだろう。無意識に姫様を見てしまうし、触れたいと衝動に駆られそうになったことも何度もあった。

 私は、もしかして………

「あの、姫様。少し手を止めていただいてよろしいですか」

「何ですか」

「ええと…………失礼します!!」

「――!?」

 恐る恐る腕を伸ばし、腕を回し、少しずつ……最後にぎゅっと抱きしめる。姫様は驚かれたようだが、声は上げなかった。少し呆れたような溜息がすぐ近くで聞こえてくる。

 しばらくそのまま、姫様を腕の中で感じていた。抱きしめた姫様は本当に細い。自分と同じ女なのに、別の生き物のようだった。でも暖かくて、柔らかくて、安らぐ………。

「姫様……畏れ多くも告白しますが、やっぱり私、姫様のことをお慕いしているのかもしれません」

「…………」

「いや、好きっていっても……実際にこう抱きしめてみてハッキリわかったんですが、何というんですか……親愛的な、友愛的な、敬愛的な感じでしょうか。ドキドキもしますが、それよりもふんわりします。自分の中にヤらしい感情が芽生えたりってのもあんまりないですし」

「あんまり……?」

 あ、しまった! 余計なことを言ってしまった!

「だ…だって姫様色っぽいですから、女同士だからと言われても、緊張するというか、目のやり場に困るときがあります! きっと私の視線が刺さるのはそのときでは…」

「つまり、私が悪いと?」

「あ…! いえ、そういうわけではないんですけれど………申し訳ありません」

「謝ることではありません。私に原因があることはわかっています」

「え?」

 腕から離れた姫様は困ったように息を吐く。今のはどういうことだろう?

「わかりました。親愛ということなら、私も貴女を好ましく思っています」

 なんと姫様のほうから腕を回してくる! 首に、息が掛かって……

「もう少し思慮深い行動ができるともっといいですが」

「う、面目次第もありません……。もっとお役に立てるよう、精進いたします!」

 耳元で姫様が微笑んだようだ。まずい……今、ドキッとした。

 爪切りを再開し、静かな時が流れる。なんだか初めて姉妹っぽい時間を過ごしている気がする。お仕えして二年、これほど姫様と心が近づいた事もないだろう。

「明日、帰国します」

 姫様が爪を磨きながら私に告げる。

「帰国して、どうなさるおつもりですか」

「バレーナと戦います」

 中指をフィニッシュして、薬指に移る―――。

「この国を訪れてわずか一週間足らずですが、エレステルの内情、バレーナがイオンハブスを攻めざるを得なかった理由を知りました。彼女が王ゆえに敵対するというのなら、私もまた国を預かる者として、真っ向から受け止めねばなりません」

「以前に姉妹同然の間柄と仰っていました。私なんかと違って、本当に姉と慕っている相手ではないのですか? 本当に……戦えるのですか?」

「……戦うという以外に、ありません」

 ヤスリを持つ姫様の手は、薬指から小指へ。

「カリア。お願いがあります」

「はい…」

「私に甘えや驕りが生まれないよう、傍にいてください。ここまで付いてきてくれた貴女だからこそ、お願いしたいのです」

「私も姫様に甘えている部分が多々あります。姫様も辛いときは甘えていいのではないでしょうか。その………私のほうが、年上ですし」

 アルタナディアが目をぱちくりさせる。

「……貴女は変な時だけ姉になりますね」

「あ……調子のいいことを言っていると、自分でも思います…」 

「いいえ……。はい、終わりです」

 見たこともないくらい丸く、ツヤツヤに光った爪。剣ダコや生傷で女らしさの欠片もない自分の手だったが、爪一つでこんなに変わるものなのか。丁寧な仕上がりが姫様の気持ちの表れなのだと思うと、素直に嬉しかった。

 爪切りは親愛の証か………。

「…姫様」

「何か」

「今度、姫様の爪を切らせてください」

 少し考えて、アルタナディアは爪切りとヤスリをカリアに手渡した。

「貴女が自分のをちゃんと手入れできるようになったら、考えます」



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