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アルタナ    作者: 夢見無終(ムッシュ)
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3章  アルタナディア姫が逃亡、その一週間後――――。

3章  アルタナディア姫が逃亡、その一週間後――――。



 アルタナディアとカリアが逃避行を続けて早七日目。追手はいないようだったが、万一の事も考え、途中遠回りしながらも、基本的には中央街道沿いに進む。エレステルとの国境まで町を二つ残すところとなって、カリアはあることに気付いた。

「ううん…?」

「何ですか、姉さま」

 独り言のつもりだったが、姫様が声を拾った。そこそこ人通りのある道を歩いているため、姫様は姉妹を演じる……いつまでたっても慣れない。

「……姉さま?」

 動揺するなと、「ナディア」の声のトーンが下がる。

「あ、その……なんだ、王都の事件から今日で一週間になるのに、町は全然変化が無いな、と……。事実上の戦争状態のはずが、国境に近いこの町でもまるでそれらしい気配が感じられない。そう思いませ……思わない、か?」

 目も当てられないほど不自然だが、妹に弱みを握られているとか言い訳をすればなんとかなるかもしれない。でも絶対に怒られるな……。

 姫様はというと、口元に手を当てて考えているようだった。

「姉さまの言うとおりです。それとなしに周りに耳を傾けていましたが、バレーナ王女が城を占拠したこと……それだけです。国の中枢が動きを取れないということもあるのでしょうが、少なくとも民には切迫感がない。市井の生活に直接関わる占領政策が実施されていないからなのでしょうが……」

 と、姫様は溜息をつく。

「王室のことなど、国民にとってはどうでもいいことなのですね……」

「いや、そんな…! そりゃあ、ふんぞり返って威張りくさっただけの為政者なら、国民は内心喜んでいるのかもしれませ…しれないが、ガルノス王や姫さ――アルタナディア姫は立派な方だと伺っていま…ゴホン、聞いているから、そんなことはない! これはバレーナによる意図的な情報操作だ!」

 もう駄目だ、姉役。難しすぎだ…!

「意図的とは、どういう意図?」

「ええと……なんだろう。国民を味方につけるとか…? ごめんなさい、考えて喋ってなかったです……」

 姫様は軽く肩をすくめてクスリと笑う。

「どうしようもないですね、姉さまは」

 ドキッとした。

 出来の悪い部下に失笑しているのではない。本当に冗談半分で「しょうがないわね」といった感じだ。すごく自然に見える……とても演技には見えない。この柔らかい笑顔を見ていると、時に姫様だということを忘れそうになって怖い。いや、忘れてはいない、常に姫様だという認識はある。あるのだが……ふっと、瞬間的に「姫様」でなくなってしまうのだ。こんなことが続くと、いつか調子に乗ってとんでもない無礼を働いてしまうのではないか? でもそのとき、姫様はどう応えられるのだろうか。姫として私を罰する? それとも妹として対応する…? 

「姉さま、町が見えてきました」

「あ…」

 我に返って目線を上げると―――

「すごっ…」

 思わず嘆息した。

 都市と生産地との中間地点にあるこのカサノバの町は、交易都市と呼ばれるほど商業が盛んで、とても発展している。カリア自身訪れるのは初めてだが、ものすごい迫力だ。建物が不規則に並び、建て増しされ、複雑に入り組んでいる。

「なんだかこう……見た目が落ち着かない」

「ガルノス王は交易の大部分を自由化し、国が手を入れるのを最低限に止めました。それにより町は大きく発展しましたが、区画整理が追いつかないまま、中央街道を軸にこのように膨れ上がってしまったのです」

「すると、中心ほど古い?」

「そうですね。しかし中心部はきちんと整備されています。町を横切る中央街道と周辺のメインストリートを国有とし、そこに立ち並ぶ店は国の認可を受けたものに限らせています。骨子を握る事で国の威信を保つと同時に、よからぬ輩が増長するのを見張っているのです」

「なるほど……」

 改めて感心してしまう、姫様の博学ぶりに。私のように受け売りでなく、ちゃんと学ばれているのがわかる。

 この国では貴族の子女は政治経済に関する知識は一般教養として学ばない。王族も同じなのかは知らないが、基本的に王が政治を主導するのであって、女王が携わる事はない。これはダブルスタンダードを避けるためとされ、また伝統でもある。

そういうことを踏まえれば、アルタナディア様の場合……だけでなく、おそらくバレーナも同様に、自国に婿養子として王を迎え入れるのが通常なのだ。皆そう思っている。だから王の候補に自分の息の掛かった人間を送り込もうと水面下で黒い動きがあるのであって、姫様も私もそれを警戒していたのだ。

 だが。姫様は後見人すらつけずにガルノス王様の葬儀を執り行った。今さらではあるが、もしかすると私を近衛兵にしたのは姫様の独断だったのではないだろうか。そんな気さえする。

 知識と教養、立ち居振る舞い、判断力、確固たる意思……もしかして、姫様は………。


 カサノバの町は、入るとまた凄かった。中央街道は町の入り口から出口へ一直線に通じているが、そこから脇に逸れれば細い道がデタラメに伸びて、絡み合っている。道も建物も統一性などあったものではない。しかも三階建て以上の建物ばかりだから、路地には陽が射さず、暗い。ともすれば怪しい雰囲気の場面に何度も出くわす始末。

「これは改善したほうがいいんじゃないでしょうか…」

「そうですね……少し検討の余地がありそうです」

 まさしく掃き溜め。姫様はこんな裏の現状まで把握していなかったという。王族は専用道路である中央街道しか往かないだろうし、町長やらもとりあえずそこだけ整っていれば面目は保てると思っていたのだろう。目に見えるようだ。

 そしてそういう側面があるからこそ、今の私と姫様はウロウロしているわけなのだ。逃亡中の身で王室御用達の宿に泊まるはずもない。フカフカのベッドには憧れるが……。

 裏通りの宿を注意深く観察していく。ボロくなく、怪しい雰囲気のないところ……と、見づらい場所に入り口がありながらそれなりに小奇麗で、しかも看板が出ていない宿を見つけた。宿だとわかったのは、偶然扉が開いていて、フロントが見えたからだ。

 ビンゴかもしれない―――。

「すまない、ここは宿屋だろう? 部屋は開いているか?」

 一歩足を踏み入れると、にゅっと男が三人現れた。大柄で強面で、いかにもな三人だ。

「すまねぇがねえちゃん、このホテルは普通の人間が泊まれるとこじゃねぇんだよ」

「何だ、普通って?」

「ここは貴族専用のホテルだ。平民は立ち入りを許されない」

「貴族専用~? うさんくさいな」

 貴族専用なら中央街道だろう。なぜこんな入り組んだ場所に専用ホテルがある? おかしな話だ。

「まあいい、それなら私たちは問題ないな。一部屋用意してくれ」

「あぁ? 貴族専用だといっているだろう」

「……貴様、無礼にもほどがあるぞ」

 貴族として一片の気高さも感じとられないとは、いくら最下層出身とはいえ、さすがのカリアもプライドが傷つく。堂々と名乗れない現状が悔しい。

 と、後ろにいた姫様が被っていたフードを脱いで前に出た。三人の男と、遠くで様子を伺っていたフロントの人間が、その美しさの前に言葉を失う。

「確かに姉は貴族としての品性に欠けますが、あなた方に口出しされる筋合いではありません」

 姫様、それはフォローでも何でもないです。そして一番傷つきました…。

「姉? 姉妹? …ならば中央通りに行かれるがよろしいかと」

 急に男たちの態度が慇懃になった。姫様の気品を感じ取ったのだろうが、ものすごく気に喰わない。

「姉妹といっても……義理の、ですわ」

「義理…?」

「事情に立ち入るのはルール違反じゃなくて? それとも―――」

 姫様が私の腕に腕を絡めて、ピタリと寄り添う―――。

「女同士では、いけないと?」

 ……そのセリフがどうして決め手になったのかはわからなかったが、ともかく後はすんなりと通った。手続きは姫様が済ませ、私たちは最上階のビップルームに……って、

「なんだ、この部屋!?」

 ドアを開けた瞬間、固まった。

 窓の外の雑然とした景色に反して、華美過ぎる装飾の数々。城に勤める身である自分から見てもけばけばしい。しかも室内に大きな風呂があるのだが、擦りガラスの衝立一枚で隔たれているだけ。そして何より問題なのが、キングサイズのベッドが一つしかない。

「ちょっ……何これ。姫さ…ナディア、部屋を間違えたんじゃ」

「ここで合っています。他の部屋も多少グレードが落ちるだけで、似たようなものでしょう」

 疲れていたのか、姫様は椅子にストンと腰を下ろす。

「話には聞いた事がありますが、実際に見るのは初めてです。ここは貴族が隠れて逢引きするためのホテルです」

「は……?」

「貴女が選んだのですから、私の方から説明する事はこれ以上ありません」

 つい、と姫様は顔を背けてしまう。

 逢引き……? 何のために……いやいや、何もカニもなくて! 逢引きって……そういえばさっき姫様、女同士がどうとか……えぇっ!? だって……え、でも………ええぇッ!?

「カリア」

 ビクリと肩を震わせる。姫様をまともに見られない。

「あまり意識しないように」

「は……はい…」

 とは言っても。風呂はアレだしベッドはコレだし、問題は山積みじゃないか! 寝るのは私がソファなり床なりに寝るとして、入浴は………

「あ、あの、私は町の様子を見てまいりますので、その間に入浴を済ませられてはいかがでしょうか」

「なるほど。それで貴女が入るときは私が部屋を出るというわけですね」

「あう…」

 読まれている……!

「わ…私は裸を見られても平気ですから、そのようなことは…!」

「私も、今さらという気がしますが」

 この間着替えを見ていたことを根に持たれている! 墓穴を掘ってしまった!

「造りはともかく、久しぶりにゆっくり休める場所です。互いに背中を流すのも一興でしょう」

「え!? そ、それは一緒に入れと…!?」

「はあ……カリア」

 姫様は表情こそ薄いものの、心底呆れた声を漏らした。

「何のために女性のあなたを近衛兵にしたと思っているのです? あなたが男であれば私も線引きします。しかし今のようでは何かあったときに困るのです。あなたは私が傷を負ったとき、肌を見られないからと言って、手当てすることを拒むのですか?」

「そんなことは…!」

「ならば何だというのです。確かに私の肌はおいそれと晒していいものではありません。しかし私専属の女性騎士であるあなたには、許可と義務を与えているはずです」

「そうなのですか…!?」

「当たり前です。……この際はっきり言いますが、あなたは自分の役割に対して自覚が足りません。主に畏敬の念を抱くことは評価します。私の身を案じてくれるその気持ちをとてもよく思っていますし、信頼しています。しかし今後、現実的に私とどう接し、私をどのように守るべきなのか、もっとよく考えて行動しなさい」

 ピシャリと叱られた。ここまでキツいお叱りを受けたのは、食事のマナーについて注意されて以来だ。

 でも……

「着替えのときは、常に背中合わせでしたが……」

 ポツリと、最悪なタイミングで胸の内を漏らしてしまう。これでは反論しているようではないか!

 だが姫様は、

「それは貴女が…………」

 ……口篭ってしまわれた。意外なリアクションだが、意味がわからない。私が、何……?

「……とにかく、私がどのような状態であれ、貴女が恥を感じていては話になりません。私の側に仕える者の役目として慣れなさい」

 それっきり、姫様はしばらく何も話さなくなった。仕方なく、私は町に情報を集めに出たのだった。


               ●  ●  ●


 包帯を解かれた右手に少し力を入れて、ゆっくり握り締めてみる。痛みや違和感はないが、まだ全力を出すのを身体が怖がっている。もう少しの間は固定していたほうがいいらしい。

「大事にならなくて、よろしかったですね」

 跪いて包帯を用意するウラノが微笑んで見せるが、ミオにはその笑顔がはっきり作り笑いだとわかる。だからバレーナの意思を尊重して、無視する。

「綺麗な腕ですね。とても剣を振るうようには見えません」

 ミオの右腕の内側をウラノの指先が、つ……となぞり上げ、指先を震わせてしまったミオは苦々しく眉根を寄せる。その表情こそがウラノを悦ばせるのだが、まだ少女のミオはかわす術を知らない。

「さっさと巻き直せ…!」

 それだけ言うのが精一杯だ。

「バレーナ様はお忙しいですからお暇でしょう? もう少し私に構っていただいてもよろしいではありませんか」

「貴様のような職務怠慢が陛下のお手を煩わせるのだ。わきまえろ!」

「あら、手厳しいですね」

 クスリと笑うのが一々癪に障る。見た目には何の毒気も持たない清純そうなこの女が、どうしてこうもドロドロした内面を持っているのか。ミオには理解できない。しかしその事には触れず、別の疑問を口にしてみる。

「ジレンの貴様から見て、陛下の評価はどうなのだ?」

「気になりますか?」

 包帯を巻くウラノは薄く笑う。少し引っかかったが、ミオは見逃した。

「バレーナ様はこの国を実質的に占領してから、まず無能な大臣、不正役人を徹底的に排除し、次に各部署のトップ・中間管理職・現場責任者を集め、課題点をディスカッションする中に自らも参加し、解決されています。これは政治的な膿を一掃するとともに、停滞していた事案を素早く進める良い方法ではあります」

「そうか……なら評価は上々なのだな」

「いいえ」

 冷たくウラノは否定する。

「結果を素早く生み出すものの、所詮はワンマン手法の力技です。バレーナ様がお若いからできるのであって、この先何十年も使える手段ではありません。バレーナ様の負担が大きすぎます。良い組織、良い国は、無理なく円滑に物事を運ぶものです。一局に力が集中しては要が欠けたときにバラバラになってしまいます。極端な話、バレーナ様の必要のない国の形態を確立せねばなりません」

「バレーナ様がいない国……!? そんなものはありえない!」

「それはあなたにとっての話では?」

 右手を握られ、ミオは思わず肩を引こうとした。痛みは無い。それほど強く握られているわけでもない。だが、まだ完治していない―――。

 ミオの右手をとったままのウラノが立ち上がって、そっと耳元に口を寄せてくる。

「民にとっては国王が誰かなど、どうでもよいのですよ。大切なのは自らの生活がどうかということです。民にとっても臣下にとっても、リーダーシップの強すぎる専制君主よりは、国の象徴としての王がちょうど良いのです。焦りの出ている今のバレーナ様は、はっきりいってでしゃばり過ぎで、やや空回りで、少し滑稽です」

「貴様っ――!!」

 そこでガチャリとドアが開いた―――。

「……何をしている」

 部屋に足を一歩踏み入れたバレーナが目を細める。ミオははっとして、ウラノの襟首を掴んでいた手を離した。

「これは、その…」

 ミオが弁明するまでも無く、バレーナはズンズンと迫り、ウラノの前で立ち止まった。

「ウラノ。私に対して嫌がらせをするのは我慢してやるが、部下にちょっかい出すのは止めろ」

 単調なトーンは警告なのだが、ウラノは余裕たっぷりに微笑んで返す。

「誤解です。私はミオ様がお尋ねになったことにお答えしただけです」

「ミオ、そうなのか」

 バレーナがミオに確認を求める。

「……………そうです」

 そう答えることしかできない。

 間違ってはいない。自分が評価を問い、ウラノがそれに答えた。そこに酷評があっても、過敏に反応するところではない。ただいくらか悪意があったのだが、それは黙って呑んでやれと言われている。ならば憤る点は何一つ無いはずなのだ。

 完全に状況をコントロールされていた。たとえケンカでも、ミオはこういうのが嫌いだ。政治の場もこんな風だというが、実は言葉遣いが丁寧なだけの脅し合いなのかもしれない。

「ウラノ、くれぐれもミオに手を出すなよ」

「もちろんです。バレーナ様の可愛い付き人さんたちに手出しするなど、もってのほかですから」

 いけしゃあしゃあと諂ったウラノは、丁寧にお辞儀をして部屋を出て行く。

「アイツ…!」

 ミオが歯軋りし、バレーナが溜息を吐く。

「で? 何を言われた」

「別に…何もありません」

「言われた事をそのまま言え。命令だ」

 命令という言葉を普段のバレーナはほとんど口にしない。それは部下が皆バレーナを信奉しており、バレーナの指示は部下にとっての「使命」なのだ。だから命令だと言われたことに、言わせたことに、胸が痛んだ。

「バレーナ様の政治手腕が……その…強引で、でしゃばり過ぎ……だと………」

 いい部分もあったはずなのに、頭の中でいっぱいになっていた悪口ばかりを並べ立ててしまった。

「……そんなことか」

 やれやれと肩を竦めたバレーナは椅子に座ると、「ここにこい」とミオを呼ぶ。恐る恐るバレーナの前に立つのだが、

「違う、ここだ」

 パンパンと自らの膝を叩くバレーナ。戸惑う前に腕を引かれ、ミオはバレーナの膝の上にちょこんと座らされる。そしてそのまま、後ろから抱きしめられた。

「あっ……へ、陛下、何をなされるのですか!?」

「疲れをとっている」

「疲れっ……何を仰っているのですか!?」

「知らんのか? 小動物の体温は心身を癒す。セラピー効果というやつだ」

「小動物……」

 さすがのミオも頬を膨らませた。

「私は愛玩動物ではありません。お戯れもほどほどになさってください」

「そう拗ねるな。私の肌は気持ち悪いか?」

「そんなことは申しておりません!」

「なら、もう少しこうさせろ」

 きゅっとバレーナの腕が締まる。やがてミオの身体は緊張を解いていく……。

 慣れたのではない。受け入れたのでもない。身体中に、特に背中いっぱいに感じるバレーナの感触に放心状態なのだ。

 ふと、自分が部屋の姿見に映っているのに気付く。大人が動物を抱いている図ではなく、大人が子供を抱いているわけでもない。当然だ、いくら小柄といっても、ミオは幼子ではない。大人になる手前の少女だ。バレーナの背が高いとはいえ、膝の上に乗せられれば顔の位置はほとんど変わらない。

そう。振り返れば触れ合える距離に、バレーナ様の顔がある―――。

「ウラノの指摘など百も承知だ。理解していればそれでいい。それに私が消耗していることも事実だ」

「国の運営は重責の任とお察しします…」

「そんな大層な事じゃない。ただ、勢いに任せて事を進めすぎた感はあるな。それでもお前たちが居てくれるからずいぶん楽だ……。ん? ウラノは私が疲れてきていると言っていたのだな?」

「はい。それなのにあの女、バレーナ様のことを…!」

「ならばお前を苛立たせたのは、私の手を取らせて余計に疲弊させることが目的だな」

「は? あ……!?」

 まさか、そこまで考えての事だったのか? どこまで悪知恵が回るんだ、あの女……!

 表情を強張らせるミオに、なんとバレーナが頬擦りしてくる。

「うぁぅ!」

「可愛く鳴くなあ、ミオは」

「人をネコみたいに仰らないで下さい!」

「些細な事に毛を逆立てるくせに」

 そんな風に言われては反論しようもない。でも……

「些事ではありません。バレーナ様に対する侮辱は、陛下を慕う我々全てに対する侮辱でもあります。捨て置く事はできません」

「本当に可愛いな、ミオは」

「バレーナ様…!」

「怒るな怒るな。うれしいのだ、私は。こんなに慕ってくれる部下だ、可愛いに決まっているだろう?」

「そんな、軽い事では…」

「軽いわけないだろう。私が酔狂でこんなことをしていると思っているのか?」

 こんなこと―――ぬいぐるみのように抱かれていること。

どう捉えればいい……? 

王と兵士。

主と従僕。

 ……どれも今の場面にはそぐわない。なら何だ? 友達? 幼少期ならともかく、現在では無礼千万だ。

 再び鏡を見る。瞬間、あの晩の―――バレーナに抱かれているアルタナディアの姿と、重なった。

「む? どうしたミオ?」

 耳元に吐息を感じてぞくりとする。急に汗が噴出してきて、息が苦しくなる……。

「ミオ、気分が悪いのか? それとも……嫌だったか?」

 違います。気分が悪いんじゃありません。嫌でもありません。ただ少し……機嫌が悪いだけです。

 私はこんなに意識しているのに、あなたは、あの人のようには見てくれない。あの人のようにはしてくれない。確かにあの人とは比べるべくもない、立場だって違う。だけど―――たった二つしか違わないのに、どうして私は昔のままの子ども扱いなのですか。

 くやしくて、くやしかったけど―――

「大丈夫です…」

 ミオはそれだけ言って、後ろのバレーナに身を預ける。そうして、自分の中の不快な感情から離れようとしたのだった。


               ○  ○  ○


「ふあ…」

 欠伸が出たところをアルタナディアに見られ、カリアは慌てて噛み殺す。

「姉さま。眠いのはわかりますが、緊張感がないのは困ります」

「……ごめんなさい」

 不機嫌そうな姫様の声。謝って目蓋を擦るが、また欠伸が出そうだ。

 

 五時間前………。

 私は最後まで抵抗したのだが、姫様の意向で同じベッドで眠るという結論に至った。

 ―――眠れるわけがない! 

 備え付けてあった寝巻きのスリップはシルクの上等な品だったが、やたら丈が短く、生地が薄く……詰まる所いやらしい一品だった(それでもこれが一番マシだった)。ここは逢引きするためのホテル、ゴニョゴニョするのが目的だから当然と言えば当然なのだが、やっぱり露出が多いのは困る。挙句に姫様と一緒に風呂に入り(背中しか見なかった)、姫様と同じベッドで眠る(落ちそうなくらい端まで離れた)始末。こんな体験、そうそう……いやいや、普通は天地がひっくり返ってもありえないぞ!?

 そんなだから疲れていてもちっとも眠れず、ようやくまどろんできた私に姫様の影が覆い被さってきたときは、心臓が飛び出す思いだった。細い指がそっと触れてきて、私はガラにもなく、乙女のように身体を強張らせてしまった(あ、乙女か)。姫様は私に触れながら、何度も何度も「カリア…」と囁きかけてくる。どう応えていいかわからず、私を呼ぶ細い声に胸を振るわせるだけだ。やがて肩に触れていた手が頬に移り、姫様の影が近づいてくる。私は覚悟を決めた。

「あの……私、初めてで……っ」

 人生で初めて出した声だった。姫様の影はピタリと動きを止め……バチンと頬を叩かれた。

「寝ぼけていないで、さっさと起きなさい。出発します」

 冷たい声に目が覚めた。実は起こされていただけだったのだ。血の気が引き、滴るほどに冷や汗を掻いたのだった。

 

そして今。肌寒いカサノバの裏通り。手持ちの懐中時計が示す時刻は午前三時半……早朝というより、まだ深夜だ。

こんな早くに宿を出たのは、他の貴族の客より先んじて出発するためだという。秘密の逢引きなら人目を避けるから早くに出る、だから自分たちはもっと早くに出る―――なるほど、理に適っている。そして私が眠っていたのはほんの二~三時間ということになる。貴族は楽じゃないな、ホント……。

 空は暗い。月は明るかったが、その光もカサノバの細い裏道には届かない。不気味な暗がりの中を、二人は寄り添うようにして慎重に進んでいく……。

 やがて大きな水路に出た。中央街道と十字に交差する水路はこの町の水源であり、監視の目もある。安易にゴミでも捨てようものなら厳しく罰せられ、街から追放されることもあるらしい。深夜で人気は感じられないが、警戒するポイントだ。

「この水路に沿って町の外周に出ましょう」

 アルタナディアの提案にカリアもうなずく。裏通りは迷路のようだが、中央通りと水路は一本道。道なりに行けば確実に町の外に出られる。その目論見通り、町の端が見えてきたのだが―――。

「姫さ――」

「ナディアです。わかっています」

 町の外の空き地に人の気配がする。それも集団だ。姫様呼ばわりはもちろんタブー。いい加減に目を覚ませ、私。

 気配のする方の様子を伺うと、物々しい雰囲気だった。数は二十人ほど、全員武装している。全員下馬いるところを見ると、ちょうど馬を休ませているところなのか。最初は盗賊の類かとも思ったが、違う。軍隊……兵士のようだ。そしてその装備はイオンハブスのものではない。

「あれは……もしやエレステル兵!?」

「そのようですね」

 消去法だが、十中八九間違いないだろう。しかしいくらイオンハブスとエレステルの親交が深いとはいえ、兵士までもが自由に出入りできるわけではない。だが、バレーナが王都を占拠した現状では……。

「何かの作戦行動中……もしかして姫様を……!?」

「どうでしょう。しかし避けるにこしたことはありません。時間はかかりますが、反対側から町を出ましょう」

 引き返そうとした、その時。

「―――誰だ!?」

 今見ていた方向と別の方から声がとんできた。しまった、見張りがいた!

「こっちへ…!」

 姫様の指示で細い脇道に逃げ込む。何人かが追いかけてくるようだ! 

意外というか幸いというか、姫様も結構足が速い。すぐに追いつかれることはなさそうなのだが、

「あの、この方向は中央通りを横切る事になりますが!」

「その通りです」

 姫様は走りながらも平然と答える。

「あの兵士は正式にここに駐屯しているわけではないでしょう。やましいところがあるのならば近づきたくないはずです」

「しかし、それは私たちも同じでは!?」

「そこは賭けです」

「賭けですか!?」

 と、姫様が足を止める。次いで私も「あ!」と声を上げてしまった。行き止まりだ! 建築物は城壁のように高く、その隙間を通る糸のように細い路地。それが深夜になると、まさに一寸先は闇。月明かりも届かず、昼間の喧騒もない……まるで地の底にいるような気分だ。その前後不覚の空間の中で追い詰められたのは致命的だった。

「ちっ……チョコマカと逃げやがって……!」

 兵士が追いついてきた。その気配の数…十二人!? 女二人を追い回す人数じゃないぞ!? しかも皆そろって剣を抜き出す。問答無用―――口封じか!?

「くそっ…!」

「待ちなさいカリア。剣を抜いてはいけません」

「しかし!」

「いけません」

 この状況でどういうおつもりなのか!? 仕方なく、私はすぐに剣を抜ける姿勢のまま前に出る。

「貴様らは何者だ! なぜ私たちを追い回す!」

「なぜ、だと? ブラックダガーだからというだけで十分理由になる」

「ブラックダガー? 何だそれは?」

「とぼけるな! バレーナ王女の命令で我々を探っていたのだろう。貴様のような小娘が剣を持っている時点で、証明されたようなものだ。安心しろ、吐かせた後もちゃあんと可愛がってやるぜ」

 くだらんことを聞いている最中にさらに五人追加。いくら何でも一人で相手にするのは無理がある! しかし、姫様だけは必ずお守りせねば………!

 そのとき、姫様がスッと後ろに下がった。そして姫様の元いた位置に、何かが―――誰かが落ちてきた。

「うわ!?」

「やれやれ……無関係の婦女子に手を出すなんて、下衆のやることだな」

 女の声。飛び降りてきたのは女だ。建物の隙間から溢れでたわずかな月明かりが照らす女を、カリアは見る。

 黒く長い髪をポニーテールにしていて、赤黒いコートを羽織り、バカ長い長剣を携える様は、一目見れば忘れられない強烈な印象を与える。

 若い。自分とほとんど変わらないかもしれない。しかしこの重厚な雰囲気はなんだろうか。さらにその身のこなし。コートの裾がはためく音こそ聞こえたが、ほとんど無音で着地した猫のような身のこなし。気配を感じなかったことから察するに、かなりの高さから降りてきたはずなのに………!

 そして一番の問題は―――――敵か? 味方か?

「何だ貴様は…!」

 エレステルの兵に刃を向けられた女は長剣を肩に担ぎ、くだらなさそうに兵士を睨んだ。

「フ、あたしを知らないか。シロモリといえば、わかるか?」

「シロモリっ…!?」

「あ……まさかこの女、『長刀斬鬼』…!?」

 チョウトウザンキ……?

 女の正体に気づいた兵士たちがうろたえ始めた。こんな剣を持っているくらいだから目立つだろうが、しかしそんな大層な人物なのか?

「するとやはり、この女たちはブラックダガーか……!」

「だから違う。アイツらはお前らなんかに見つからないし、捕まらない。それに今のあたしは誰の味方でもない。ただ……一般人がワケもなく追いかけられてるとなりゃ、助けるのが道理だろ?」

 そう言いながら私を見て鼻で笑う女に、なぜか初めてとは思えない苛立ちを覚えた。

「無関係の人間に手を出そうってのは見逃せないな。どうする? あたしが相手をするが」

 「シロモリ」が担いでいた長剣を腰に構えると、兵士が後ずさりする。二十人近いフル装備の兵たちが、だ。

「わ、わかった、その女たちは見逃すから……」

「じゃあさっさと消えろ…!」

 ジャキンと剣の唾が鳴った瞬間、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げだした。一人で一喝するだけで脅しになるとは……本当に何者なんだ!?

「さて……」

 長剣を、ポンポンと肩を叩くように担ぎなおす。

「大丈夫かな、お嬢さん方」

「寄るな! 貴様、エレステルの者だな!」

 姫様を後ろに据え、サーベルに手をかけて凄んでみせるが、

「ああ、そうだよ。だから?」

 あっさり肯定し、逆に問い返された。

からかわれている……。

「だからって、お前は何者で……」

「ん~? あれ……」

 無礼にも姫様を覗き込んでくる。

「ち…近寄るな、私の妹に…!」

「妹? アルタナ姫に姉がいたとは初耳だな」

「―――!!」

 声も出せずに驚愕する。

 姫様は私と対称的に動揺を顔に出さず、逆にずずいと前に出る。

「私をご存知なのですか? 私には覚えがありませんが」

「認めるなんて潔いね。直接会うのは初めてだよ。ただ、バレーナから散々話を聞かされていたからね。でも別にアンタらを追ってきたとか、そういうことじゃないよ。バレーナとは関係なく、偶々通りかかっただけ」

「関係ない? 兵士が震え上がるような貴様が?」

 睨み付けるが、長剣女はフンと受け流す。

「シロモリっていえば、国じゃちょっと武闘派の家柄なのさ。軍事方面に発言力も強い。まあほら、親の七光りかな? あー、でももう一度言うけど、バレーナは関係ない。あたしは軍籍じゃないし、ただの一般人、旅行者だ」

「旅行者ぁ? そんな長い剣を持ってるくせに旅行者だと? 信用できるか!」

「しなくてもいいが、揉め事はごめんだ。姫様斬ったら、あたしがバレーナに殺されちゃうからな」

「……バレーナとは深い仲なのですか?」

 唐突な姫様の質問に、長剣女はプッと笑った。

「深いっていうか、古い付き合いなだけさ。『可愛いアルタナ』の話を延々聞かされるくらいの仲かな」

「………いいでしょう。私たちに危害を加えるつもりがないのは信じます」

「え…いや、姫様!」

「姫と呼ばない。何度も言っているでしょう」

 叱咤が飛んでくる。その横で長剣女は得心していた。

「なるほど、だから妹で、姉ね……ははは、逆だろ」

 カチンとくる。口出しされる筋合いじゃない!

「改めて、アケミ=シロモリだ。妹はいいとして、護衛の姉の方はなんていうの?」

「……カリア=ミート」

「イオンハブスじゃ女兵士は珍しいんだろう? 大したものじゃないか。あたしは妹君よりもアンタとお近づきになれたことのほうが嬉しいね」

「姫様をないがしろにするとは無礼だぞ!」

「おやおや、忠義の騎士か。褒めてんだからもっと素直になればいいだろ」

「黙れ、不審者が偉そうに! 大体、何が目的でこの国にいる。……今の事情を知っているのだろう?」

「だから旅行だって……いやわかった。正直に言うと、アンタらとバレーナのゴタゴタが見たかった。だからもう目的は済んだ。帰るところ」

「ゴタゴタ…? あの宣戦布告からのできごとをゴタゴタだと!?」

「珍事だよ。少なくともエレステルにとっちゃ、国と国との戦争じゃないね」

「なんだと……貴様、姫様がどんな思いで今日まで―――!!」

「妹だろ。しっかりしろ姉君」

「くっ…!」

 さっきから人の揚げ足ばかり……!

「帰るところだと言いましたね、アケミ」

 長剣女のにやけ顔がピタリと治まる。姫様が名前を呼んだからか?

「それに貴女は軍人ではなく、ただの旅行者だと」

「…言ったな」

「では貴女を雇いたいと思います。グロニアまでの道案内と護衛を頼みます」

「えっ………はああぁっ!?」

 思わず声を上げてしまい、アケミから「しー」とわざわざ指を立てるポーズまでつけて注意され、慌てて声のボリュームを下げる。

「姫様っ…何をお考えなのですか……!」

「ずっと考えていました。どうやって国境を越えるかを」

「あ………」 

 そうだ、今の状況で国境を越えることなどできるはずもない……いやいや、考えていた、ちゃんと考えていた。考えていたが、具体的な方法は何も思いつかなかったのだ。

「あたしに国境の検閲をどうにかしろと?」

 アケミが肩を竦める。

「その程度には顔が利くとみました」

「軍属ではないと言ったけどね、それなりに由緒正しいお家柄ではあるんだよ。そんなあたしが不法入国の手伝いなんてできるはずないだろう?」

「手伝えないというのなら、私の存在を知ってしまった貴女には消えてもらわねばなりませんね」

「……ほう…」

 一気に空気が冷える―――アケミから殺気がどっと溢れ出して、自分の身体が萎縮したのがわかる!

 何だこの感じ……皮膚から骨の芯まで痛みが走り、内臓が締め付けられるように気持ち悪い! 

 アケミはまだ柄に手もかけていないのに、あの長い剣に―――まだ見ぬ刀身に切り裂かれていくイメージが頭の中に刷り込まれる。肌があわ立ち、脂汗がとまらない……!

 しかし姫様はその必死の間合いの中で、なお平然とアケミを見据えて言った。

「貴女の目的は事の顛末を見ることでしょう? ちょうどよい機会だと思いますが?」

「ク……はは! わかったよ、引き受けようじゃないか。バレーナがのろけるからどんなお姫様かと思っていたけど、話のまんまというか、それ以上だな。さっきもそうだ。カリアが不用意に剣を抜いてたら、あっという間に殺されていたところだ。絶体絶命の状況でよくも冷静な対応ができる……これはあたしも迂闊に剣を抜けないな? フフ……面白いな」

 嘘みたいに明るく笑って見せるアケミは構えを解き、握手を求めてきた。

 こうして思わぬ同行者ができたのだったが………


 ……のろけるって何だ?




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