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アルタナ    作者: 夢見無終(ムッシュ)
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1章  アルタナディア姫が十七歳になり、その四日後―――。

   1章  アルタナディア姫が十七歳になり、その四日後―――。   




 第十二代イオンハブス王―――アルタナの父であるガルノス王が崩御したのは、アルタナディアが十七歳になった次の日だった。病床の父王の身を案じ、誕生日の式典やパーティを行わなかったのだが、父王は苦しむ身を起こして娘を祝い、その翌日に息を引き取ったのだった。

 それから三日後。今は追悼式典の最中だ。覚悟をしていたはずが、いざこのような事態になると、悲しみを超えて虚しさすら覚える。すでに母も兄弟も亡くしたアルタナディアには父親の死を悲しむ暇などない。あらかじめ予定されていた段取り通りに式典が進められる。アルタナディアの役目は父に代わる王族の顔として関係各位に挨拶することだが、自身の目的はそれとは別にあった。

 王の死とは、すなわち権力の移行を意味する。しかしガルノス王の遺児はアルタナディアのみ。十七歳になったばかりの姫君に政治の善し悪しなどわかるはずもない―――世間の見解は当然そうなる。アルタナディアが選択する道は二つしかない。すぐに適当な人物と結婚して王を立てるか。または後見人を立て、王を迎えるまでの一時的な代理として玉座に着くか……その流れはすでに周知の事である。その中でアルタナディアは、擦り寄ってくる有象無象からこれからのイオンハブスに役立つ人材を選別し、権力の座を欲する輩から己の身を守らねばならない。王の死は、陰謀の始まりなのだ。

 そんな様々な思惑がひしめき合う追悼式典の合間、アルタナディアは近衛兵のカリアを呼ぶ。

「いかがいたしましたか、姫様」

「水を一杯持ってきてください」

「かしこまりました」

 カリアはすぐさま準備に走った。飲み物を持ち運びするのは給仕の役割であり、しかも式典会場には飲み物が山ほど用意されている。誰にでも一声かければ済むものをわざわざカリアに言うのは、万が一の毒物を警戒してのことだ。カリアもそれを了解している。

 カリア=ミートは下層貴族出身の騎士見習いだった。アルタナディアが自分の護衛にと、二年前に専属の近衛兵として採用した。年齢は十八とまだ若輩だが、女だてらに剣の腕はなかなかのものだ。加えて実直であり、アルタナディアの数少ない味方である。

 会場を去るカリアを一瞥した後、アルタナディアは改めて式典会場を見回した。プログラムは王への献花へと進んでいる。これが最後の別れになるのだが、席に着いている臣下の半分は王に目を向けていない。残り半分の三分の二は自分を注意深く観察している。その視線にどのような意味があるのかはわからないが、全ての様子をアルタナディアは静観する。

 と、会場の空気が変わった。衆目が入り口に現れた人物に集約していく。アルタナディアもその動きを追い、息を止めた。

 バレーナ=エレステル王女。イオンハブスの分国であり、兄弟国でもあるエレステルの統治者であり、アルタナディアにとっては姉のような存在だった。

バレーナは今のアルタナディアと同様に二年前に先王を亡くし、一人娘であるバレーナが国を治めている。エレステルは武力に特化した軍事国家としての側面が強く、当時十七歳で武国の頂点に君臨したバレーナの噂は諸国に広まっていた。

 文武に秀でて聡明でもあるのだが、それよりもバレーナが君主たりえた要素は、その絶対的なオーラと美貌だった。鮮烈な気迫と美しくも鋭い眼差しが、何人も逆らうことを許さないのである。その様は諸国で猛威を振るった大盗賊団をも平伏させており、「黒百合の戦姫」と呼ばれるほどだ。

 今とて、そのオーラを存分に放っている。供も連れていないバレーナが一歩踏み出すごとに、人々が道を開けていく。バレーナは喪服姿すら洒落たドレスを着ているように感じさせる魅力を持ち、場違いなファッションショーのようですらある。

献花台へと近づくバレーナを見守る内に、アルタナディアは不可解なことに気付いた。バレーナの手には赤いバラが二輪ある。

「ガルノス王……もう一人の我が父よ。貴方から受けた恩と教えは片時も忘れることはありません。貴方の残されたイオンハブスとエレステル両国の繁栄にこの身を奉げることをここに誓います。ガルノス王よ、我が父・ヴァルメアと共に安らかであらせられますよう、心よりご冥福をお祈りいたします……」

 跪いたバレーナは、一輪のバラをガルノスの遺体にそっと添える。誰もがその様子を瞠る中、アルタナディアはバレーナに歩み寄っていった。

「バレーナ王女。亡き父へのお心遣い、感謝いたします」

「お悔やみ申し上げる、アルタナディア殿下」

「殿下などと、お止めください姉上。私は…」

「アルタナディア様!」

 場もわきまえずカリアが駆け込んでくる。カリアは直情的過ぎる傾向があるが、頼んだグラスを忘れるほど粗忽者でもない。何か急な事態だということは知れた。

「何事ですか」

「しばしお耳を拝借したいのですが……」

 カリアがバレーナにチラリと目を向ける。

「構いません。バレーナと私は姉妹同然の間柄。隠すようなことなどありません」

「……でしたら申し上げます。会場の傍に不穏な気配がございます。見慣れぬ者どもが組織立って動いているようなのです」

「ほう……そのようなことに気付くのか」

 あざ笑うようなバレーナの物言いにカリアは眉根を寄せる。

「そのようなこととは、バレーナ様のお言葉とも思えません。これはクーデターの予兆かもしれませんが………しかしそれにしては妙なんです。表立ってはいませんが隠れてもいません。堂々としすぎています」

「それは違うな。革命を起こす人間は信念に満ちている。己の正義を疑わぬゆえ、何者をも恐れぬのだ」

「何を……あっ!?」

 アルタナディアがカリアを押し退けるのとバレーナがアルタナディアを引き寄せたのは、ほぼ同時だった。

「者共、聞くがいい!」

 壇上で高らかに声を上げるバレーナに会場が静まり返る。

「我がエレステルはイオンハブスに対し、宣戦を布告する!」

「なっ…!」

 カリアはもちろんのこと、その場に居合わせた誰もが耳を疑った。動揺が支配する中、どこからとも無く忍び込んできた小柄な少女がバレーナの元に跪く。

「ミオ、首尾はどうか」

「会場周辺と城の中枢の制圧、国境の封鎖は完了しました。騎士団の一部が立て篭もって抵抗を続けています」

「ならば―――これをもって終わりとしよう」

 アルタナディアの胸元に真紅のバラが叩きつけられる。そして散った花弁が床に落ちる前に、白い首にナイフが突きつけられていた。

「姫様っ……貴様っ!」

 カリアが剣を抜き、切っ先を真っ直ぐバレーナに向ける。しかしバレーナは意に介さない。

「状況が見えんのか? 姫の命は私の手の内なのだぞ」

「同じことを私も言わせてもらう……姫様に少しでも傷をつけてみろ、貴様の命はないぞ!」

「クッ……フッフフ…! 威勢が良いな。ミオ、相手をしてやれ」

「御意」

 アルタナディアより小柄な少女が短剣を抜き放ち、鋭い動きでカリアに切りかかる。途端に会場は騒然となった。

「バレーナ、貴女の目的は何なのです」

 刃を当てられてもアルタナディアは気丈だった。即座に命を奪われかねないこの状況で、まるで傍観者のように落ち着き払っている。対するバレーナもまた、悠然とアルタナディアを見下ろしていた。

「目的というほどのものはない。ただ、我が国とこの国がこれまでの関係を続けるのに値するかという話だ。見よ」

 バレーナの視線の先ではカリアとミオが切り結んでいる。両手の短剣を自在に操るミオに、カリアは劣勢だった。起死回生を狙った一撃もかわされて、右腕を切られてしまう。剣を落としたカリアをすばやく組み伏せ、ミオの刃がカリアの首筋に落ちる―――

「止めなさい!」

 ミオの手がピタリと止まる。アルタナディアの声だった。バレーナからも無言の合図を受け、ミオはカリアの鳩尾に一撃加えて開放した。

「姫のガードにしては脆弱だな。しかも短絡的だ」

 もんどりうって立てないカリアにバレーナは冷たく吐き捨てる。

「私を討てば全面戦争は避けられんぞ。姫君と重臣を抑えられた状態で開戦するつもりか?」

「くっ…!」

「愚か者が。そんな有様だからアルタナは貴様を突き放したのだ」

「そ、そんな…!」

 カリアは痛みに呻きながらアルタナディアを見上げるが、主は何も答えない。そんな二人を見てバレーナは失笑する。

「しかし……この娘が未熟なのはまだしも、誰も加勢せぬのはどういうわけかな? 会場を囲んでいるとはいえ、今この場には私とミオの二人しかいないのだぞ? 上手くすれば私を人質に取り、事を運ぶこともできよう。それとも女子供に剣を向けることはできんのか? この国の臣民は実に紳士的だな」

 挑発する瞳が会場を見回すが、反論も反抗もない。皆、状況に呑まれている。

「この通りだアルタナ。イオンハブスとエレステルは五百年以上もの長きにわたり盟約を結び、兄弟国として名高い歴史を築き上げてきた。しかし兄弟といいながらその実、対等の立場だったのか? イオンハブスを囲むエレステルは常に外敵からの脅威を一身に受けてきた。戦場に立ち、身体を張るのは常に我らだったのだ! だというのに、この国には我が国を属国とする偏見も根強いようだな」

 衆目のいくらかが顔を背けるのを見て、バレーナは冷たい眼差しのまま哂う。

「フン……属国なら属国でよい。ならば上に立つだけの証を見せよというのだ。しかし貴様らは権力の行方に夢中で、堂々と侵入した我が軍に気付かないばかりか、抗うこともせぬ! それで対等のつもりか? 笑わせるわ……。さあどうするアルタナ? 残念ながらお前の臣下は腑抜けばかりのようだ。大人しく降伏せよ」

 アルタナディアの顎が剣先で上げられる。足元には赤いバラが落ちている。王に奉げたのと同じバラは、手向けの花ということだ。すなわちアルタナディアに残された選択は死か、降伏か。誰もが王女の返答を固唾を呑んで見守っている。

 アルタナディアの答えは―――

「敗北は認めます。しかし、降伏はしません」

「ん…?」

 皆が内心首を傾げた。

「何を言っているアルタナ……降伏しないということは敗北を認めないということだ。徹底抗戦ということか……!?」

「戦うのは無意味です。今の私にはエレステルと争うだけの戦力もなく、即座に国を纏められる力もない……それは認めざるを得ません。しかし私はこの国を預かる者です! 玉座を敵に明け渡すことはできません」

「そうか……ならば死を選ぶということだな」

 バレーナの手にぐっと力が込められる。刃は喉元を少しずつ押し込み、プツリと破れた肌から赤い血が……!

「止めろっっ―――!!」

 カリアが絶叫する。

「……フン。かばい合うのが精一杯か」

 バレーナはゆっくりとナイフを引いた。

「それで国を背負ったつもりかアルタナ。しかしどれほどの者がお前に期待しているのかな」

「…………」

「まあよかろう……そちらにとってみれば騙まし討ちも同然、突然降伏勧告をされても戸惑うよな。貴様らイオンハブスに一日だけ猶予をやろう。自らの道を選び、なんなりと準備するがいい。………ああ、しかし無償というわけにはいかん。今回の戦利品は頂かねばな」

 バレーナはそう言ってアルタナディアの桜色の後髪を乱暴に掴み――――ナイフで切り取った。

 その光景は首を刎ねられたのに似て、それ以上の屈辱であり、完膚なきまでの敗北の印だったのだ。





 紅茶を啜るバレーナにミオが報告する。

「ご命令通り、イオンハブスの重臣は会場に幽閉しました。抵抗を続けていた騎士団はアルタナディア姫の意思を受けて投降したようです。城のほうは特に問題ありません。ただし、城下では徐々に動揺が広がっています」

「明日までには噂が広まるだろう。官人や兵士は施設単位で封じ込めているとはいえ、外との連絡は許可しているからな」

「はっ…」

「……不可解か? 私の行動が」

 見透かされたことに動揺し、ミオは深く頭を下げる。しかしバレーナにしてみればわかり易すぎる。幼少より武人になるべく鍛えられ、実力も忠誠心も申し分ないミオだが、所詮はまだ十五歳………戦士ではあるが、兵士として己を殺すには経験が足りない。しかしそれこそがバレーナが手元に置く理由でもある。

「おそれながら陛下の仰せのとおりです。私には陛下のお考えがわかりません。出鼻を挫くことには成功しましたが、敵に立ち直らせる機会を与える理由がわかりません」

 今も今とて、こうして城の一室で押しかけの客人として堂々と過ごしている。兵士は城から締め出したが、メイドや執事はそのままで、しかもアルタナディア姫までもが居る。寝首を掻いてくださいといわんばかりだ。

「現在この国にある我が方の兵はわずか二百ほどです。敵地で総攻めされれば、いかに我々が屈強といえども全滅は免れません」

「案ずることはない。そのような事態にはならん」

「なぜそう言い切れるのです?」

「なぜ……ふむ。なぜ、か」

 カップを置いたバレーナが足を組んだのを見てミオはドキリとする。黒いドレスのスカートの裾から白い脚が露になる。普段の公務中でもしないことはないが、ここまで姿勢を崩すのは私室の中、ミオの前でのみだ。バレーナが王の服を脱ぎ去った後には、その奥に隠されていた妖艶さがいやでも現れる。それはミオにとっても目の毒なのだ。

「ミオ」

「は…はい!」

「お前は私とアルタナ、どちらが上だと思う?」

「バレーナ様です!」

 何についてとは聞かれなかったが、ミオは即答した。全てにおいて敬愛するバレーナが勝っているに決まっているし、そうでなくてはならない。

「ならばこの国の臣民はどう思っているかな?」

「この国の連中がいかに愚かでも、バレーナ様を認めるに決まっています。比べるべくもありません!」

「そうか。なら勝敗は決したな。アルタナにつく者はいないのだから」

 なるほど、確かにその通りだ。宣戦布告をした時点ですでに決まっていたと言ってもいい……いや、しかし―――

「しかしバレーナ様、会場で刃向かってきたあの女のような忠臣もおりましょう。数は少数でも反抗に及ぶやも……」

「それでいい」

「は…?」

 ミオは理解できない。

「土地を奪うのは簡単だ。国を破壊し、民草全てを滅ぼせばいい。しかし我々は国を壊すことなく奪い、さらにはこの国と我が国の五百年の盟約を破ろうというのだ。ならば滅すのではなく、屈服させねばならん。最後の一人まで敗北を認めさせる必要があるのだ。それゆえの猶予……ここで篩いにかけ、残った者を叩き潰せばよい。だがそのためにはまだ戦えると思わせる状況を作り、全力を出せる機会を与えてやらねばな? わかるかミオ。『完全なる勝利』が我々には必要なのだ」

「……感服いたしました」

 バレーナの「黒百合の戦姫」という俗称、決して有名無実ではないが、一人歩きしている面はある。いくら武勇に優れているとはいえ、バレーナ自身に他国との戦争経験があるわけではないのである。今回の作戦については、ミオですら正気の沙汰ではないと思ったほどだ。しかしバレーナはほぼ独断、半ば強行でありながらも作戦を実行に移した。それもここまで考慮してのことだったとは………。

「ハンデをつけての戦いになる。だからこそ猛者ばかりを連れてきた。その中でミオ、お前に戦う気概はあるか?」

「はっ、我が軍一の武功を挙げてご覧にいれます!」

 気迫に満ち溢れて応ずるミオにバレーナは苦笑する。

「お前の第一の役目は私につき従うことだ。あまり突進されても困る」

 ミオの前で再びカップに口付けたバレーナは、喉を鳴らして紅茶を飲み下した。



 宣戦布告された式典会場は、重臣たちの悩める会議場と化していた。

 式に参列していた臣下は会場に閉じ込められ、ガルノス王の納棺と墓地への移送は少数の付き添いしか許されなかった。

同行したカリアは、気丈に振舞うアルタナディアの隣にバレーナが並んでいるのを見て怒り狂いそうになった。この右腕が自由に動けばすぐさま切り伏せる……と言いたいところだが、悔しいことに一人ではどうにもならない。

(偉大な王の式典を潰し、姫をこのような惨めな目に………バレーナ=エレステルめ――!)

 胸の内で怒りを滾らせるも、脇で聞く重臣の会議は弱気な意見しか出ない。カリアは会議に見切りをつけ、姫を救出する仲間を探す事にした。

 人を使って外と連絡することは許されている。当然検閲されていることも考えて暗号文で送るのだが、騎士団本部へ送ることが知られていればあまり意味が無い……。

「隊長、騎士団のほうからは有志が三分の一しか集まらないと……」

 返事を受け取ったカリアはグラード親衛隊長に苦渋の表情で報告するが、グラードはさして驚かなかった。

「だろうな。騎士団長が弱腰だから正式な命令が降りんのだ。報告ではバレーナ王女以下従者は二百人余り。もちろん伏兵がいる可能性はあるが、決して多くはないだろう。数は何倍も優位なはずだが………登場が鮮烈過ぎたな。戦い慣れしていない者では呑まれてしまっただろう。しかもあれほど堂々としていれば、何か切り札を隠し持っているのではないかと疑ってしまう。あの『黒百合』にいいようにやられてしまったな」

「隊長はバレーナがどう出てくると思われますか」

「何とも言えん。ヴァルメア王没後二年間の王女の功績といえば……」

「ブロッケン盗賊団の討伐ですね…」

 諸国を荒らしまわった大盗賊団を少数精鋭で叩き潰したという逸話である。自ら先頭に立って切り込んだというのだから、その武勇は推して知るところだ。あの迫力ある存在感は伊達ではない。

「それだけ聞いたならば正面からの正攻法を好むタイプに思えるが、今回のようなことは用意周到でなければできない。綿密な作戦と、それを実行できる優秀な部隊がいるということだ。それならば一日の猶予というのも、何か策があると考える必要がある」

「それはつまり、こちらからは打つ手がないということなのですか……?」

「…………」

 会話が途切れたとき、一人の文官が青い顔をして二人の下にやってきた。

「まずいです。議会は降伏勧告を受け入れる方向に傾いています」

「バカな…!」

 カリアは憤る。実際に刃を向けられた姫様は一歩も引き下がっていないのに、盾になるべき臣下が先に頭を垂れるとは!

「もはや一刻の猶予もなくなったか。降伏は命乞いと同意だ。そしてそれを成すために差し出すものは国と……姫殿下だ」

 隊長の言葉に、カリアは頭が真っ白になった。

「認めるわけにはいきません!」

「無論だ。しかし現状では我々だけで反攻することは不可能………姫には一時、城から脱出していただく他ない」

「逃げる……」

 果たして姫様が望むだろうか? すでに一度死を選んだ姫様だ。臣民のために自らを差し出しても、他人を見捨てて逃亡する事を受け入れはしないだろう。

いや―――だからこそ、私が説得しなければ!




 アルタナディアは一人、自室に戻らされていた。

城内での行動はエレステル兵の監視の下という制約がついていたが、アルタナディアにとっては別段どうということはなかった。王族の行動は敵味方問わず、常に人目に晒されているといってよい。その目が誰にとって代わろうが、関係のないことだ。

 夜も更け、城の中は嘘のように静寂だった。一時間前にテラスから見た城下は忙しなく灯りが走っているのが見えたが、今はもうそれほどでもない。たまにはぐれた蛍のように流れていくのがあるだけだ。

 先ほどまでドアの前にはメイドの他にエレステルの兵士もついていたのだが、今はいない。人払いされていた。正面に座るバレーナによって。

灯りを点さず、差し込む白い月明かりだけだが部屋を照らす中………白いドレスのアルタナディアと、黒いドレスのバレーナは、小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。

 二人の間に言葉は無い。アルタナディアは真っ直ぐ椅子に腰掛けて目を伏せ、寝ているのかと思えるほどに静穏としていた。そのわずかな呼吸に聞き入るように、バレーナはアルタナディアをじっと見続けていた。白い人形に魅入られたように――………。

 

 …………どれほどそうしていただろうか。


「アルタナ…」

 昼間とは違う柔らかい声に、アルタナディアは目線だけ上げた。

「二年見ない間に、さらに綺麗になった」

 バレーナは目元をわずかに細めてそう言う。

「姉上は艶やかになられました。会場でお姿を見た瞬間、私は心を奪われました」

 思いもよらないアルタナディアの返礼にバレーナはわずかに驚き、笑う。

「口が達者になったな。口数は相変わらず少なそうだが」

「姉上とお話ししたいことはたくさんありました。ですが、それは全て叶わなくなりました……」

「……………」

 頬を撫でにきたバレーナの手を避けるようにアルタナディアは席を立ち、静かにテラスに出て行く。バレーナも追った。

 その白い身に月光を浴びるアルタナディアは、光に紛れて消えそうなほど儚かった。

 美しい………。

 神々しいほどの姿に意識を呑まれたバレーナは思わず手を伸ばす。しかし明確な拒絶をもって払いのけられる。

「そのような顔で………私に触れないで下さい」

 アルタナディアが苦しそうに奥歯を噛んだのがわかった。もう駄目なのだ。ただのアルタナと、ただのバレーナでは。

「……アルタナ」

 バレーナはそっと、しかし固い声で名を呼んで、アルタナディアを見詰めた。アルタナディアも向き直り、バレーナの瞳を見詰め返す。じっと………じっと…………言い聞かせるように…。

 やがて半歩踏み出したバレーナが冷たく言葉を紡ぐ。

「抵抗も屈服もしないということがどういうことかわかっているのか、アルタナ」

「私は貴女と争うことはしません。ですが、降伏することもできません。私が玉座を降りることは民に対して、国に対して、そして我々の祖先に対する裏切りです」

 バレーナは口元をわずかに歪める。アルタナディアの決断は聡明な選択ではない。

「敗北は認めるが降伏はしない、か。そのような戯言が意味を成すと思うのか。アルタナ、お前は私に蹂躙されるがままだということなのだぞ」

 少し荒い手つきで頬を撫でるが、今度は抵抗しなかった。宣言通り、アルタナディアはされるがままであることを受け入れているのだ。バレーナの指が首筋を滑り落ち、ドレスの上から身体の線をなぞっても……。

 敗北は認めるが降伏はしない―――国は負けたが、王女である自分は戦いを放棄しない。アルタナはそう言った。国の頂点である自身だけが抗う意思を示し、そして討たれる事で、力のない自国に無駄な犠牲が出る事を避ける。それがアルタナが選んだ、王権を担うものとしての責任。だから差し出されたその身はエレステルのものであって、バレーナ個人のものではない。それは理解している。理解している、が……。

 バレーナの指が腰をなぞっても、アルタナディアの瞳は一瞬も揺らぐことはない。黒い袖に覆われた腕がその身を侵しているというのに――……。

 バレーナの心は迷走していた。昼なら迷いはなかったはずだ。あのままアルタナディアを刺し貫く事もできた。だが今は……。

左足を一歩踏み出す……。二人の間に残された薄皮一枚分の空気はむせるほどに濃く、心身を圧迫して、自由を奪う。

さらに右足を、アルタナの両足の隙間に割り込ませるように半歩踏み込む…。最初に脚が、追って腰から上がピタリとくっついて、ドレスのレースが擦れ合った。微かな息遣いが聞こえるたびに、重なった胸元にわずかな重みを感じる。アルタナディアは二年前より背が伸びたらしく、首を傾けると鼻先が触れ合いそうで………それでもアルタナは動かない。抵抗しない―――。

「よかろうアルタナ、私がその身に刻んでくれる。お前の選択がどのような結果をもたらすのかを」

 低い声音は誤魔化しに過ぎなかったが、バレーナはもはや気にするのを止め、そして決意してアルタナディアを抱いた。

求めるものはもう手に入らない。自分がそれを決定付けた。ならばいっそ……。

 細い腰に腕を回し、ぐっと抱き寄せる。プレイバックされるあの日の情景………そっと抱き返してきたアルタナの細い腕は、今日は応えてはくれない。だからバレーナはアルタナディアの分も抱く。狂おしいほどに強く抱く。白い肌を這い、絞め上げる己の腕はまるで蛇……そうだ、これまで眠っていた蛇のような厭らしい情念は、すべてこの時のためだったのだ。

 落ち着きをなくしてしまった吐息をアルタナディアに塗していると、アルタナディアの息もまた震えていた。雪原のような肌がうっすらと赤みを帯びているのがわかる。ドクンと胸が鳴り響いて、最後の理性が弾け飛ぶ。わななく指先が肌に爪を立てた、その時――――!

「貴様っ……アルタナディア様から離れろ!!」

 突如ドアを破って飛び込んできた者がいた。式典会場で刃向かってきた女、アルタナディアの近衛兵である女騎士・カリアだった!

「姫様に、なんて破廉恥な…!」

 カリアが包帯を巻いた右手で剣を向けてくるが、それよりも敵意むき出しのその目にバレーナは怒りを覚えた。かけがえのない密事を邪魔した分際で正義の味方気取りなのだ。湧き上がる黒い感情は、苛立ちを超えて憎しみですらある…!

 身の程知らずを叩きのめしてやろうとバレーナがカリアに足を向けたとき、アルタナディアの強い声が割って入った。

「下がりなさいカリア。大事な話をしているのです。ここに入ってはなりません」

 アルタナディアの手がバレーナのドレスを後ろから掴んでいるが、それはカリアからは見えない。

 手を出すなという意図を察したバレーナだが、黙っては引き下がれなかった。

「場の空気を読め、三下め。何をしていたのかわからんのか?」

 バレーナはアルタナディアの後ろに回って覆い被さるように抱き、まさぐるように胸から腹へと手を這わせる。思いもよらぬ行動にさすがのアルタナディアも驚き、小さく呻きを漏らして身を捩った。その媚態にうっかり見入ってしまったカリアは唇を噛んで、咆えた。

「ひっ…姫様から手を離せ、下劣な魔女が! この場で叩き切ってやる!」

「下劣な……魔女……!?」

 バレーナの目元が一層険しくなる……。

と、バレーナの右腕が引き付けられる。見ればアルタナディアが両手で、自らの胸元に押さえつけるように手首を掴んでいた。バレーナとカリアを対決させまいとしているのだ。目元は伏せているが必死なのだろう、かなりの力だ。

振りほどくのは簡単だが………。ふと思いついて、バレーナは押さえつけられている右腕の掌で、アルタナディアの胸の膨らみを撫で上げた。

「っ……」

 白い肩がわずかに揺れたが、黒い手は動きを止めない。ちらりと目を向けると、カリアが動揺しているのが見える。

「姫様…!?」

 余裕のある手先の動きを見れば、アルタナディアが腕を剥がそうとしているのではなく、自らに押し付けているのがわかるだろう。カリアからすれば、アルタナが恥辱を甘受しているように見えるのだ。

 これは傑作だった。アルタナが自分のために恥を晒しているとも知らずに………つくづく愚かな奴だ、このカリアという無作法者は!

 一通り愉しんで怒りを静めたバレーナは、ドレスにつけていたアクセサリーの一つを外して、吹いた。

「……!?」

 それが銀の笛らしい事はわかったが、音は鳴らなかった。だが「奥の手」があるだろうことはカリアも承知している。仲間を呼ぶための合図ならば……!?

 カリアはすぐさまドアの脇に移動した。部屋に飛び込んできたところを叩く狙いだ。

 しかし―――

「バレーナ様、何が……あ!」

 バレーナの背後に現れたマオは、カリアの姿を確認した瞬間に腰の短剣に手をかける。対してカリアは出遅れた。まさか三階のテラスから入ってくるとは思わなかったのだ!

「取り押さえろ。ただし殺すな」

「御意っ…!」

「ちっ!」

 破れかぶれで突進してきたカリアの一撃をかわしたマオは、短剣の柄尻でカリアの右腕を素早く打つ。軽い一撃だが、負傷している腕には十分だった。続けざまに顎に掌打を食らい、カリアは簡単に組み伏せられた。昼間の再現である。

「大した実力もないくせにバレーナ様に剣を向けるとは、痴れ者め……!」

 ミオがカリアの首に刃を当てる。

「ミオ、そのまま押さえていろ」

「はっ…!」

 反射的に応えたものの、ミオは指示の意味を量りかねていた。そもそも状況がよくわかっていない。アルタナディアとカリアが二人がかりでバレーナを襲ってきたが、取り押さえたアルタナディアを盾に膠着状態だった……と頭に浮んだが、そうではないようだ。アルタナディアには敵意が見えない。反抗する意思が感じられない。

「さて……カリアといったな、出歯亀。貴様も知るがいい。敗者の末路を」

 次のバレーナの行動にカリアは―――ミオでさえ呆気にとられた。

 バレーナの腕が正面から抱きしめるようにアルタナディアの背に回り、純白のドレスを掴むと、ゆっくりと引き裂いていく。降り注ぐ月光の下で暴かれた背中はまるで蝶が羽化するように幻想的で、毅然としていたアルタナディアのものとは思えないほど悩ましかった。

 そのままアルタナディアをテラスから部屋へと押しやり、奥の大きなベッドへと突き飛ばしたバレーナは素早く覆い被さり、両腕を取って自由を奪う。破られて緩んだドレスの胸元からは柔らかな膨らみが半分覗き出している。さすがのアルタナディアも羞恥に顔を歪めるが、正面から向き合う事はやめない。

 バレーナは一瞬だけ哀しげに目を細めると、アルタナディアの首の傷に口付けた。式典会場で自分が付けたものだ。今はもう針の穴ほどの赤い痕しか残っていない。

「は……」

バレーナは舌を這わせる。傷を舐め取りながらも熱く息を吹きかける。身体を強張らせ、呼吸すら噛み殺そうとするアルタナディアの肌は、徐々に汗ばんできている…。

 一方で――完全に蚊帳の外に追いやられたカリアとミオは、ただただ呆然とするしかなかった。齢十五のミオはもちろんのこと、十八のカリアもひたすら剣術に打ち込んできた身だ。情愛事には未だ縁がない。とはいえ、薄闇の向こうで折り重なる影が何をしているのかは想像がつく。だが、状況についていけないのだ!

「あっ―――!!」

 突然の嬌声にカリアは我に返った。

 何だ今のは!? 今の声は姫様なのか!? 常に清廉潔白であり、威厳に満ち溢れたアルタナディア様が――――

「っ……あっ!? くぅっ……あ、ああ…ッ!」

 アルタナディアの声が上がるごとに、ベッドの上の影が揺れる。具体的に何をされているのか、ここからでははっきりと見えない………知りたくもない!

「貴様っ……貴様ぁっ!」

 暴れ出したカリアをミオが慌てて押さえ込む。

「このっ……動くな!」

「黙れっ! 姫様が辱めを受けているのに我慢できるかぁっ!」

 怒りに震えるカリアにミオは力を緩めてしまった。バレーナが今のアルタナディアのように恥辱を受ける場面を想像してしまったのだ。

 圧し掛かるミオを振り落としたカリアは、一直線にベッドへ駆ける。

「姫さ―――!」

 いつの間にか、ベッドの前にはアルタナディアを隠すようにバレーナが立っていた。一瞬戸惑ったカリアが牙を剥く前に、バレーナが平手で殴り飛ばす。容赦ない一撃にカリアはしりもちをついた。追って、ミオがバレーナの前に滑り込む。

「バレーナ様、申し訳ありません…!」

「構わん……軟膏と絆創膏を出せ」

「はっ…!」

 ウエストポーチに手をやりながら、ミオはバレーナを観察した。どこか怪我をされたのか? 見る限りでは異常は確認できない……いや、異状はあった。手で口元を拭うバレーナは息を荒げ、頬を赤く火照らせていた。剣技訓練の直後に似ているようで違う。目の輝きが違うのだ。それはバレーナが誰にも見せたことのない表情―――ミオが見てはいけない顔なのだ。

 ミオがバレーナと視線をずらしながら指示されたものを手渡すと、バレーナは片手で受けとったそれらをベッドへと放り投げた。

「アルタナ……」

 普段のバレーナとはまるで違う切なげな声を、ミオは聞いてしまった。

「……戻るぞ」

 部屋を後にするバレーナ。ミオも、カリアとその向こうのアルタナディアの影を一瞥してから後に続く。

 先程までのことが嘘のように部屋は静寂に満ちた。しばし茫然としていたカリアだったが、床に転がる自分の剣に目が留まった瞬間、怒りが爆発した。

「アイツらっ……殺してやる!」

「やめなさい!」

 剣を手に取って飛び出そうとした背中をベッドからの声が引きとめる。

「しかし姫様―――!」

「やめなさい…!!」

 強い口調に振り向いたとき、暗がりの中の主君が自らを抱き、声を殺して涙しているのを知った。だがカリアは慰めの言葉をかける事も、握った剣を手放す事もできず………アルタナディアの胸元に血が滲んでいたのに気付く事すら、できなかったのだ。



 バレーナが部屋を去ってから二十分ほど経った頃だろうか。ドアをノックする音がする。ベッドのカーテンの向こうのアルタナディアの影を一度確認し、カリアは慎重にドアを開けた。隙間から顔を覗かせたのは、アルタナディア付きのメイドの一人であるウラノだった。ウラノはまだ新米の域を出ない若い娘だが、歳が近い事もあって、カリアと話をする機会も多かった。

「あの、姫様のお召し物をお持ちしましたが…」

 ウラノが腑に落ちない顔をするのは当然だった。寝巻きではなく、外出用のドレスを持ってくるように指示を受けたのだ。

「こんな夜分に呼び出して悪かった、助かる。助かるついでに、姫様のお召し替えを手伝ってほしい」

「それは私の役目です、もちろん承りますけれど…」

「事情は話せない。ごめん」

「いえ…わかりました」

 メイドは主のお世話をすることが仕事。主の意向に口出しする事などあってはならないと普段から言いつけられているウラノは、カリアの一言で黙した。

「姫様、ウラノでございます。よろしいでしょうか」

「入りなさい」

 ベッドのカーテンをくぐったウラノは「あっ」と息を呑んだ。ドレスは背中が破かれていて、アルタナディアの胸元には大きな絆創膏が貼り付けられている。

「他言は無用です」

 疑問を持つ間もなく言い含められるが、ウラノにはアルタナディアが憔悴しているように見える。

「………少々お待ちを」

 ベッド脇に置いてあるデキャンタの水をハンカチに含ませて、ウラノはアルタナディアの顔を拭った。

「ウラノ……私の顔は汚れていましたか」

「姫様のお顔はこの暗がりの中でもまぶしいくらいです。ただ、少しお疲れのようです。今日はいろんなことがありましたから………肌が潤えば、よくお休みになることができると思います」

「そう」

 ウラノに身を任せ、アルタナは静かに微笑んだ。

「優しいのね……」

 小さなつぶやきははっきりと言葉にならない。目をやりながらも、ウラノは聞き流した。

「ではお召し替えいたします。姫様、お手を」

「いえ、今日はもう結構です。後は自分でやります。下がって休みなさい」

「ですが……」

「よいのです。貴女のおかげで少し気分が落ち着きました。ありがとう」

「いえ…差し出がましい真似をいたしました。それでは姫様、おやすみなさいませ」

 一歩下がったウラノが一礼する。

「おやすみなさい、ウラノ」

 ドアが静かに閉まったのが聞こえる。アルタナディアはカーテンの中で一人、目を細めた。

 


 ミオはテーブルに突っ伏しているバレーナに苦言を呈していた。

「どうしてアルタナディア姫の部屋に見張りを置かないのですか!?」

 部屋に戻ったバレーナはずっと気だるそうだがミオは我慢できない。多少の口利きが許されているとはいえ、主君に対してここまでヒステリックに意見するのは不敬にあたるのだが、口を噤むことはできなかった。

「あの従者の女も相当怒っているはずです。今夜中に陛下の暗殺を試みることも十分に考えられます」

「それはないな。アルタナが許さない」

「なぜです!? アルタナディア姫だってあんな恥辱を受けたら……」

 バレーナの黒い瞳がじろりと動いて、ミオは顔を青くした。今の発言は間接的にバレーナを蔑んでいる。

 深く溜息を吐いてバレーナは身を起こし、居住まいを正した。

「『あんな恥辱』を甘んじて受けたのは、誰も巻き込ませないためだ。アルタナの敗北宣言は、私に反発する意思を持つ者を押さえ、余計な被害を出さないようにするのが狙いだ」

「ならば、なぜ降伏しないというのです?」

「王が自ら主権を譲るようであれば国は滅びる。それに……王家のメンツに関わるのだ。長い伝統もあるからな。負けたが国は渡さない―――つまりアルタナは、自身一人が処刑されることで事を済まそうとしているのだ」

「そんなことを……まさか…」

 ミオは絶句する。温室で育てられたか弱い蝶のようなあの少女が、それほどの気骨を持っていたというのか?

「あれで生まれながらの王族……幼い頃から国の威信を背負っている。己一人が受ける辱めなど、王の誇りの前には無意味なのだ。あまりに愚かだがな……」

 バレーナは左手で顔半分を覆う。悩んでいるときの癖だった。そして隠れたその瞳には、きっとアルタナディアが映っている……。

「バレーナ様は…」

「ん?」

「…いえ」

「構わん。どんな批判でも言ってみろ。それで胸の内のモヤモヤも少しは晴れるかもしれんだろう。私も腹心のお前に不信を抱かれるのは困る」

「不信など…! ただ……」

 迷った末に、ミオは思うままを吐き出すことにした。

「バレーナ様は、本当はアルタナディアをどう思ってらっしゃるのですか? いくら敵とはいえ、あのような……屈辱を与えるバレーナ様を私は知りません。いえ、あれは悪意あってのことだったのでしょうか。私にはバレーナ様が……その……」

「アルタナに特別な感情を抱いていると?」

 ミオは何も言えない。バレーナは鬱陶しそうに漆黒の髪をかきあげた。

「アルタナとは幼少からの付き合いであり、妹のようなものだ。家族を失った私にとって、最も愛する対象といっていい」

「でしたら、どうして今回のようなことをなされたのです!?」

「私がエレステルの王だからだ」

「……………」

 毅然として言い放つエレステル国王の前には、ミオごときが意見する隙間などない。しかしバレーナとしてはどうなのか? バレーナは、本当は―――……

「今夜の事は忘れろ」

 バレーナは苦々しく言い捨てた。

「今夜の私は……王になれなかった私は忘れてくれ。頼む……」

「……御意」

 ミオは顔を伏せるしかなかった。

 王とは、なんという悲しい存在だろうか。国に最も尽くしているのは税を納める民でもなく、戦場で命を散らす兵士でもない。王だ。王は王と成った瞬間から国そのものになる―――そこに個人の意思があってはならない。王としての才覚に恵まれたバレーナでさえ、こんなに苦しまなければならないのか。

 しかし、と思う。このお方がこんなにも人を惹きつけるのは「バレーナ」だからだ。エレステル王だからではない。自らを殺せないことが弱さだと仰るのならば、私が全力で「バレーナ」をお守りしよう。それが側近と認められた私の使命のはずだ―――。

「ん……?」

 急に外が慌しくなり、城内に配置されていた兵の一人がドアを叩いてきた。ミオが取り次ぐ。

「三箇所の城門で小規模な襲撃があったようです。おそらく騎士の反抗と思われます」

 報告を受けたミオは冷静にバレーナに伝えた。そしてバレーナも先程の事などなかったように静かに口を開く。

「同時に起こったのなら、それは計画された事だ。目的はわかりきっているがな」

「アルタナディア姫の救出ですか?」

「城門は囮だ。騒ぎに紛れてアルタナを逃亡させるつもりだろう」

「囮?」

「アルタナの側近が部屋に現れたのはそういうことだ。あれは先導する役目だな」

 つらつらと解説するバレーナにミオは目を見開く。そうだ、あの女は式典会場に閉じ込めていたはずだ。この城にいるはずがない。「あんなこと」があって、すっかり失念していた。

「気付いていらっしゃったのならば、なぜ……あ」

 今夜のことは忘れろ、と―――

「……バレーナ様、ご指示を」

 余計な思考は切り捨てる。詮索はバレーナの望むところではない。ゆえにミオは兵士であることに徹し、指示を仰ぐ。

「城門の暴徒を至急鎮圧し、首謀者を洗い出せ。いや……抵抗を止めねば城内の人間を殺すと通達しろ」

「聞き入れなければ?」

「叩き潰せ。犠牲を出すことはアルタナの望むところではない。その意を汲まぬ戯けなど殺して構わん………これは言うなよ」

「はっ。アルタナディア姫はいかがいたしましょうか」

「すでに逃亡していた場合は、鎮圧完了次第追跡させろ。ただし、拘束する必要はない」

「………」

 ミオはすぐに返事できなかった。

「アルタナが自分の意思で城から出るというのなら、しばらく考える時間を与えたい。これは傷を負わせた事に対する、せめてもの罪滅ぼしだ。甘いと思うか?」

「私は陛下の命令に従うだけです」

「…期待している」

 ミオは一礼して出て行く。

一人部屋に残ったバレーナは天井を仰ぎ、そこにアルタナディアの顔を思い描いていた。

「大丈夫だ。アルタナが刃を向けてくれば、私自らが斬る…」

 だからこそ黒を着ている。返り血を浴びる準備はできている……。

 



 作戦が始まったのを確認したカリアは、比較的動きやすいシンプルなドレスに着替えたアルタナディアを引っ張って脱出した。

 計画通り…といいたいところだが、姫様の部屋にバレーナがいたというまさかのアクシデントがあったため、十分な準備ができなかった。今になって思えば、あそこでバレーナを討てば決着がついたのではないか? 頭に血が上ってしまった自分が忌々しいが、それ以上に姫様に恥辱を与えたバレーナは許せない。姫様さえ取り戻せば正面切って戦ってやる! そう考えていたのだが――……。

「カリア、作戦指揮をしているのは誰ですか」

「はっ、グラード親衛隊長です」

「すぐに彼の元へ案内しなさい」

 元よりそのつもりだった。隊長と合流し、隠居されているサングスト大老を頼る。そういう段取りなのだ。

 隊を指揮するグラード班は、襲撃した三つの門の中間地点であるメインストリートの一角に待機していた。そこに到着したアルタナディアは、騎士が歓喜の声を上げる前に命令する。

「今すぐ攻撃を止めさせ、兵を引き上げなさい」

「ですが姫様……」

「私を逃がすためと聞きましたが、そのようなことは無用です。私の意に反して騎士団を動かす事は反逆罪に当たります。即時解散しなさい」

 このアルタナディアの言葉にいよいよ騎士たちはうろたえた。姫のための決死の作戦を反逆行為と断じられれば当然だ。グラードが説得しようと口を開きかけるが、駆け込んできた兵の報告に割り込まれた。

「隊長、各班とも半数以上が戦闘不能! その上、攻撃を止めなければ城内の人間を殺すと……!」

「何!?」

 カリアは唇を噛む。あの女、どこまでも卑劣な真似を……!

「すぐに戦闘を中止しなさい! そのような通達をしてきたのはどこです? すぐに向かいます!」

「――その必要はありません、アルタナディア姫殿下」

 兵士に代わって答えたのは、影から抜き出るように現れたミオだった。そしてそのミオの後ろにはさらに五人の影。軽装でありながら隙のない身のこなしの彼女らは、バレーナの懐刀である特殊戦闘部隊「ブラックダガー」。構成員が全て若い女なのは、表の顔がバレーナの世話係りだからである。しかし真の役割は護衛・諜報活動など多岐に渡る。場合によってはバレーナとともに戦線に立つため、実力は高い。

 そのリーダーであるミオが一歩前に出て、アルタナディアに一礼した。

「通達をしたのは私であり、バレーナ陛下のご命令です」

「兵たちは武装解除の上、投降させます。ですからどうか、寛大なお取り計らいを願います」

 ミオの前に膝を着き頭を垂れるアルタナディア。騎士たちは声を失い、ミオは顔を強張らせて見下ろす。

「生殺与奪の権限はバレーナ様にあります。私の一存ではどうにもできません」

「ではバレーナ王女にお目通りをお願いします」

「お断りします。今宵はもう、お会いになることはできません。特に貴女は」

 ミオの返答には個人的な感情が多分に含まれていた。それはミオの後ろに控える五人の部下も感じ取ったが、原因まで知るのはアルタナディアとカリアだけだ。

「全ての結論は明日に出されることでしょう。それまで暴徒は身柄を拘束し、投獄します」

「わかりました。グラード」

「は……」

 アルタナディアの意向を受け取ったグラードは無念の表情で武器を捨て、投降する指令を伝えるために、各分隊に部下を走らせた。

「貴様……なぜ剣を捨てない」

 ミオの冷たい視線の先をアルタナディアが追う。カリアだ。腰の剣に手をかけてはいるが、手放す気配はない。

「カリア、剣を捨てなさい」

 やや咎めるようなアルタナディアに対し、

「……できません」

 拒否の返答をする。ブラックダガーの面々は身体を緊張させ、ミオは舌打ちした。

「空気の読めぬ馬鹿だとは思っていたが、己の主君にまで逆らうとはな」

「黙れっ! 姫様に危害を加えるものは誰であろうと許さない! 貴様らのような鬼畜どもに、姫様を好きにされてたまるか―――っ!!」

 カリアは隠し持っていた玉にマッチで火を点す。導火線に火が走り、漂ってくる火薬の匂い…。

 爆弾か!?

 そう判断した瞬間、ミオはナイフを素早く抜き放ったが、カリアは紙一重でかわして……爆発する―――!?

「ちっ――」

 ミオとその部下たちは後ろに大きく跳躍するが、そこでミオは不自然さに気付いた。カリアがまだ爆弾を手放さない。そして周囲の騎士たちも逃げる気配がない。

「しまった…!」

 再度の舌打ちを飲み込むように、夜の闇すら覆い隠す煙幕が広がる。煙の向こうに走り去る二人の影が、おぼろげながら見えた。

「くそっ…!」

 すかさず追いかけようとすると、投降したはずの兵たちが阻む。頭にきた…!

「貴様ら、主君が平伏してまで救われたその命を無残に散らすつもりかっ! か細い姫に庇われる分際で、恥を知れ!」

 グラードたちの動きが止まる。ミオに言い返すこともできないのである。

「こいつらを拘束し、各地点を完全制圧しろ! これ以上、馬鹿げた騒ぎでバレーナ様の夜を乱すな! 私はあのふざけた女と姫を追う!」

 ミオは怒鳴って指示を出す。苛立つ感情を抑えようにも、騎士どもがあまりにも弱く、愚か過ぎる。どうしてこの国の兵どもは主君の意を汲めぬ者ばかりなのか。理解に苦しむ……!



 静まり返った街並みを縫うようにして駆け抜けるカリアだったが、

「止まりなさい――――止まりなさいカリア!」

アルタナディアに手を引かれて足を止めた。

「申し訳ありません姫様、少し速すぎました! 足を痛められましたか!?」

「そうではありません」

 アルタナディアは全くといっていいほど息を乱していない。それどころか真っ直ぐに立ち、厳しい瞳をカリアに向けた。

「なぜこんな行動をとるのです!?」

「は? 逃亡計画はお部屋でご説明させていただきましたが…」

「状況を見なさい! 私が逃亡すれば、作戦に加担した兵士は処刑されるのですよ」

「死は覚悟の上です。集いし有志一同は決意の元に行動を起こしたのです!」

「それは詭弁です。私は誰一人として死なせるつもりはありません。すぐに戻り、兵に酌量していただくよう嘆願します」

「いけません!」

 今度はカリアが腕を引く。

「戻れば姫様のお命が危険です! バレーナがどうするつもりかは知りませんが、少なくとも議会は姫様を差し出して保身を図るつもりです! 明日になれば姫様が売り渡される………黙認できるものではありません!」

「…それでよいのです」

 アルタナディアはさらりと言い切った。

「国を守るのが頂点に立つ者の務めです。国とは民。民を守るために命を投げ出す事は、私の使命なのです」

「でしたら私の使命は姫様をお守りする事です! 死ぬとわかっていながら見過ごすわけにはいきません!」

「私に仕える身ならば、私に従いなさい!」

「姫様は勝手です! 後に残された者はどうするのです!? 助けられなかった己を呪いながら、黙って敵に膝を折れと!? 首を刎ねられてもできません!」

 カリアの震える言葉に、アルタナディアは黙って歯噛みする。

「姫様を守るなと仰るのなら、どうして私を召抱えて下さったのです? それとも私の実力不足ゆえに死を選ばれるのですか? なら私はバレーナと刺し違えます!」

「――貴様がバレーナ様と刺し違える事などできるものか」

 建物の陰から唸りが上がる。ミオだ。

 足音も立てずに追いついてきた。脅威の隠密性だが、先程とはまるで逆だ。姿は夜の闇に融け込んでいるというのに、はっきりとそこにいるのが気配でわかる。暗がりの中で、激しい敵意を隠しきれずにいるのだ。

「愚かしさも度を越えると罪だ。貴様は姫に侍るに値しない。私のほうが余程アルタナディア姫のお気持ちを理解している……ゆえに貴様を誅殺する」

 ミオが腰から二振りの短剣を抜く。逆手で構えた刃は、握る者を鼓舞するように閃く。相当な業物であるのだろう。

 カリアも腰の剣に手をかける―――が、抜きはしない。構えるだけだ。

 臆したか――。ミオは薄く嘲笑してカリアに斬りかかる。三度目の立ち合いだが、これまでで一番速い! 理由は簡単だ、今回はバレーナから許可が下りている。躊躇することなくこの馬鹿者を刈っていいのだ。

 対し、カリアは絶対的に劣勢。ミオの一撃目を避け、鋭い二撃目が頬を掠める。サーベルを抜き、一太刀切り返す……それで限界だった。当てずっぽうなカリアの剣は明らかに波を打っている。あくびが出るような攻撃―――

「フン…」

 ミオは右からの横なぎの一撃を余裕でかわす………しかし、その剣の軌跡を追うように黒い影が奔った! 

 ミオが反射的に頭を庇ったのは正解だ。才能と本能が最適な判断を下したのだ。が、最善の結果ではなかった。「影」を受け止めた右腕はバキッと重い音を立てる。歯を食いしばって声を上げるのはなんとか堪えたが、構えを維持し続けることはできなった。腕を下ろしたわずかな間を逃さず、カリアの剣がミオの首に添えられている。

「貴様っ…!」

「借りは返したぞ」

 ミオはカリアが左手に持つ武器、自分の腕を折ったそれに目をやった。鞘だ。カリアの鞘は細身でシンプルだが、強固な鉄拵えである。

 通常の場合、鞘には木材か革を使う。加工のしやすさと装備したときの重量を考えれば当然のことだ。全てが金属製の鞘がないわけではないが、一般兵士の実戦用武器では有り得ないだろう。また、イオンハブスの騎士剣技に鞘を用いる技は存在しないはず。戦いを忘れて形骸化した剣は形式美を求めすぎて、エレステルではお座敷剣法と嘲り笑われているほどなのだ。

 考えられる理由は二つ。カリアが鉄の鞘を勝手に持ち歩いていたのか、装備を許可されるほどの腕前だったのか……。しかしどちらにしろ、油断が現状を招いたのだ。ミオは苦々しく顔を歪めることしかできない。

「姫様の気持ちがわかるといったな」

 カリアの左手が鞘を器用に回す。鞘に巻きつけてある皮ベルトは装飾ではなく、滑り止めなのだということがわかる。

「私は姫様のお考えがわからないときの方が多い。しかし己を殺し、常に王族として振舞われていることは肌で感じている。その姫様が私を護衛に選ばれたのだ。ならば私の役目は、いついかなるときでもお守りする事だ! 姫様が死ぬときは私の命はとうに尽きていなければならない―――逆に言えば、私が生きている限り姫様が死ぬ事は許されない!」

 傍で聞いていたアルタナディアが密かに息を呑む。

 カリアの理屈はミオには理解できない。主を立てているようで、ただ自己中心的なだけだ。腹を立てるのを通りこし、頭がどうかしているのかと疑ったほどだ。

「お前のような自分勝手は、いつか国を滅ぼすぞ…!」

「ならばそれまでは貴様らに姫様を殺させるわけにはいかないな!」

「はっ! 子供じみてる!」

「ガキはお前だ、どうみても!」

「……そこまでです」

 子供のケンカになってきた言い争いにアルタナディアが割って入る。

「カリア、時間がありません」

「はっ、今トドメを…」

「殺してはなりません。これは命令です」

「ですが……」

「剣を収めなさい。もう持っているのは辛いでしょう」

「姫様……!」

 ミオは気付く。折れた腕の激痛に耐えながらどうやって反撃するかということばかり考えていたが、カリアもまた額に脂汗を滲ませていたのだ。カリアの右腕に巻かれた包帯が黒く染みてきていて、それが血だと気付かなかった自分を呪う。すべては感情を押し出してしまった自分のミスだ。

 止む無く剣を引いたカリアを下がらせ、アルタナディアはミオの前に立つ。いくらミオが手負いとはいえ、短剣で一突きできる間合いだ。その領域に堂々と踏み込んでくるアルタナディアに、一瞬バレーナの影が重なって見える。

「改めてお願いします。兵に寛大な処置を願うと、バレーナに伝えてください。加えて……身の振り方について考える時間が欲しいとも。考えが固まれば、必ず貴女の前に戻る事を約束すると」

「……聞き入れられません」

「聞き入れてください」

 ミオは返事をしない。黙って、悔しくアルタナディアを見上げるだけだ。

「…行きましょうカリア。追っ手がきます」

「はっ…!」

 喜び勇むカリアを引き連れ、アルタナディアは去っていく。

 生まれ育った城から―――

 守るべき国から―――

 バレーナから―――背を向けて。





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