第96話・バレエなんていつやめてもいい ☆
少し前に、某所で上手な子がいるというのでひそかに注目していました。しかしその子は、あっさりとバレエをやめてしまいました。もちろん私は部外者で、人の人生につっこむ資格はない。だけど、残念でした。コンクール参加もしていた生徒なので、先生も残念がっていました。私は才能がなくてバレエをやめたクチでしたが、その子は見どころがあるし、親も熱心と聞いていたのでもったいないと感じていました。こういうのは、バレエあるある話だと思います。
素質と才能と運を信じて希望通りのプロになるまで続ける方がめずらしい。受験や親の意向、才能や体調、運の有無、他の趣味を見つけたなどで、バレエをやめる子の方が圧倒的に多い。バレエ雑誌のインタヴューにでるようなプロは全員、バレエを途中でやめないでレッスンを愚直に続けた生き残りです。
差支えない範囲で書くとその子は、いじめがあり不登校になったといいます。聞かされた私は「バレエがらみのいじめか?」 と聞きました。その子は手足長くいかにもバレエをやっていますという風体、発表会の主役の経験もある。なんというかバレエをしていない集団=学校内では良い意味でも悪い意味でも目立ちます。先生はわからないとかぶりを振りました。部屋から出ない、学校も行けない。親もどうしてよいかわからぬ状態。ゆえに先生からの電話にも出られない。面会も会話も不可能とあれば、その子にとってバレエどころではないということ。そんな状態で、先生がレッスンに出ておいでと言ってもそれは無理。
数年がたちました。先生が発表会終演後に私に、例の子が観客として楽屋に会いにきてくれたと教えてくれました。先生はそれでよいと喜んでおられました。
バレエをやめてしまっても、バレエを見に来るというだけでもいい。バレエは強制されて踊るものではない。踊りたいと思って踊るもの。自らの意思で踊るもの。バレエの世界に少しでもアシをつっこんでいた人間は、一時は離れていてもバレエそのものを忘れることはできない。確かにその子の場合、プロになるかならぬか選択する時期にやめたのは惜しかった。時を経て心に余裕ができたとき、大人バレエとしてもいつでも再開できる。何よりも過去通っていたバレエ教室の発表会に観客として来てくれた。それだけでもその子を幼いころから指導していた先生にとってはうれしい出来事だったのです。先生の笑顔を見て私も心からよかったと思いました。別にプロを目指すからエライということはない。こういうハッピーエンド、いや、まだまだ若いのでこれからだが、バレエからすっぱり縁を切ったのではないという意味でのハッピーがつきます。ハッピースタートかな。
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がらりと話題を変えますが東京バレエ団の黎明期を引っ張ってこられた佐々木忠次氏の思い出話を一つ。今からもう数十年以上も前の話で、今や伝説のバレリーナ、マイヤ・プリセツカの黒鳥のリハーサル、そんなすごいものを氏は見学できたという。その時のプリセツカヤの指導者はガリーナ・ウラノワ。ロシアがソビエトと言われていた時代の伝説のプリマ。プリセツカヤだって当時から押しも押されぬ著名な現役プリマ。氏は通訳付きでそれを単独で見学できたというからすごすぎる。
ところが、ウラノワは、プリセツカヤに対して同じシーンをやらせたという。黒鳥が登場するシーンだけ。
そこは踊る場面ではない。音楽にあわせて入ってくるシーン。佐々木氏という国外から来た見学者もいるというのに。ウラノワはプリセツカヤに問う。
「どういう気持ちでここにきたの?」
「(オディールは)何を目的に入ってくるの?」
バレエ観客としては、「白鳥の湖」 といえば、ストーリーはだれでも知っている。あらかじめ黒鳥が王子をだますために入ってくるとはわかっている。ウラノワはそういう短いシーンを何度もやらせた……踊りのテクニックはすでにできているからだろうか、それともプリセツカヤの演技の苦手な部分を同じプリマとして独自に見抜いたからだろうか、そこまでわからない。
見学していた氏は「いじめ」 を連想したぐらい、気が滅入ったという。氏の文体は飾ることがなく率直なものでかつ無駄もない。そのシーンを思い出話として数行しか書かなかったとはいえ、一読してすごく印象に残った。
プリセツカヤはウラノワの要求にこたえ、何度もやり直しに応じた。氏はそこにも感嘆したらしい。双方ともバレエ史に残るプリマである。プリセツカヤでさえも先輩プリマには絶対服従をしていた。天才同志、また孤独な主役を経験した同志、もしくはバレエのトップを現役でしているもの同志……果てしのない繰り返しの中で他人に知りえぬ思いでつかむものはやはりあると思う。こういう話を聞くと繰り返しのレッスンの中で個々でつかむものは、見えずともやはり「ある」 と思うのだ。
例の子の話に戻すが、たとえバレエから離れたとしても、レッスンの積み重ねとして培えたものは目に見えなくともある。残る。どういう形であれ、バレエをやっていたという行程は人生から消え去ることはない。
転じて私の話になるが、近い将来に身体が老いて動かなくなった時があったとしても、踊れる喜びは決して消え去ることもない。年々体力の低下を感じて情けない思いもしますが、その中でも数秒でも踊る感覚が再現できるのを見出している。レッスンには出られないときの方が多いが、限られた時間を割いて出るレッスンは私にとっての晴れ舞台なようなもの。幼少時からバレエに関して評価を受けることは皆無であっても。それでも踊るのは楽しいという感覚はつかんでいる。それでいいと思っている。
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再度話を転じます。
若い時にしかできないスポーツ、舞踊は確かにある。そういった分野でたとえばフィギュアスケートやスキーなどで、メダルを取った選手のインタヴュー記事や報道を見聞きして、まだ未成年なのにしっかりしていると感嘆することがある。彼らはみんな、幼いころからそのスポーツに集中し、競技で結果を出すために努力してきた。親元を離れて、時には海外で鍛錬する。競技をする都度悩み、人に言えぬこともあろう。何らかの競技に集中するということは、仮に頂点にたったとしても、それはその時だけ。誰しもその地位にはずっとい続けることはできない。老いてなお、その競技が選手として成績を出し続けることができるかといえば、不可能な話。出場選手のインタヴューに傲慢さよりも、冷静な分析感と謙虚さと時に闘志を感じるのは、選手としての寿命が短いと己が一番わかっているからだろうか、と思う。
バレエでも同じことがいえる。大人バレエの趣味としてならいつ始めてもやめても自由。再開時でも自由に踊れる。時には八十代、九十代の人もバーを使って踊れる。しかしプロをめざすならば、若さという武器は必要。趣味バレエとは全く別の話になる。そういう意味でプロとして漠然とした限界年齢がある競技やバレエは、真摯にプロを目指しているものほど、十代であっても思考の早期成熟が見られるのも当たり前だと思う。思考が促成栽培という比喩は気を悪くさせるかもしれぬが、悪意的な意図はない。私のように才能に恵まれなかった、そしてマイペースでゆっくりとバレエを趣味として楽しんで踊ることを趣旨にしているものにとっては、到達しえぬ境地にあるとして、子や孫のような年齢にあたる若い彼らを尊敬している。
今回は話が二転、三転したが、狭い世界とはいえトップにたつもの、そして途中でやめるもの、私のように趣味バレエとして悪あがきをしてでも、皆、何かしら悩むこと、悩んでいても掴むことは個々違うとはいえどもプラス面が多いと書きたくてUPしました。




