第92話・映画、くるみ割り人形と秘密の王国
映画の内容のネタばれ注意。まだご覧になっていない方は絶対に読まないでください。
バレエ好きならばくるみ割り人形といえば、もちろんあのくるみ割り人形。題名に人形とあるが正確には人形は単なる作品の象徴で、クリスマスイブの夜に起こる出来事を綴る楽しい作品です。
まずはバレエ作品としてのくるみ割り人形の話です。大きなクリスマスツリーが舞台中央に最初から設置されている。クリスマスパーティーの招待客の一人、ドロッセルマイヤーさんからもらったクリスマスプレゼント。それが、かのくるみ割り人形。しかしその人形は、元人間の王子さまでした。その王子さまのエスコートでいろいろな楽しい国をみてまわる……ストーリーには文字通り少女の夢が詰まっています。
このバレエ作品をディズニーは映画化しました。オリジナルの設定、オリジナルのストーリーです。それでも原作を踏まえているところもある。バレエシーンもある。さすがディズニーだなあ、と感心するところが多い。残虐なシーンもそんなには、ない。これなら幼い子供に見せても安心です。ただ重要な役をするネズミがリアルすぎて、苦手な人は苦手かも。ネズミではなくて、小鳥にしてくれたらいいのに。いや、バレエでもネズミは出てくるので文句は言っちゃいけないかも。
クラシックバレエ作品としてのくるみ割り人形は、チャイコフスキーの音楽にあわせてクリスマスの夜に起こった不思議な話を演じる。主人公の名前はクララですが、バレエ団、バレエ教室によってはマリー、マーシャと称することもある。もちろん同一人物です。以下、あらすじを簡単にまとめてみます。
① クララは、クリスマスプレゼントにくるみ割り人形をもらいます。しかし兄のフリッツに壊されて泣いてしまう。人形を壊されないヴァージョンもありますが、壊された場合は、その場で不思議な客人のドロッセルマイヤーが直す。子供たちがみんな楽しみにしているクリスマス。パーティーシーンから始まるのですぐに物語に入っていけます。映画ではフリッツは弟。姉も出てきます。クララたちの母親が死んだという設定。人形は壊されず、フリッツがもらって遊ぶ。関連性は不明。
② バレエ作品ではその夜、クララがツリーの近くに置きっぱなしだったくるみ割り人形を取りにくる。それでネグリジェ姿なのです。いきなり部屋に大きなネズミが出てきて驚いていると、くるみ割り人形が大きくなって、ネズミと戦います。なぜか、くるみ割り人形の手下らしき兵隊も出てきます。ネズミの手下の子ネズミも出てくる。そして兵隊とネズミとの戦争がはじまります。
バレエ発表会の時は、このあたり両者とも幼い子供の生徒が演じることが多い。ネズミ役の小さな子供が尻尾をふりふりちょこちょことバレエを踊るのは楽しいシーン。しかしくるみ割り人形側が劣勢になると、危ないと思ったクララがスリッパをネズミの親分に投げつける。それがよかったのか、ネズミは逃げてしまう。くるみ割り人形とクララの勝利。くるみ割り人形の顔面が落ちたと思うと、人間になり礼儀正しいお辞儀をします。驚くクララ。
③ くるみ割り人形は実はどこかの国の王子さまでした。王子はクララを花や雪の国、お菓子の国に招待する。雪の国では雪の精のコールドがみもの。しかし、バレエ公演や発表会を義理で見に来た人はこのシーンで飽きちゃって眠くなる人が多い。子供だけのバレエ発表会で少ない人数だと雪の国を飛ばしてお菓子の国だけになる。キャンディーやチョコレートの精などカラフルなお衣裳が映えますね。
お菓子の国で金平糖の精が出てくる。クララは舞台上の観客になる。金平糖は王子とパ・ド・ドゥを踊る。美しい振り付けの連続でこのヴァリエーションは私も大好き。ここがバレエ作品のクライマックスです。
ちなみに金平糖の精は、海外ではドラジェの精と称されています。このバレエが日本に入ってきたとき、ドラジェはまだ知名度がなくそれで金平糖と翻訳されたかと思います。ドラジェも金平糖もおいしいし、見た目もいいですよね。私の振り付けで、いつか一緒に踊らせてみたいなと思います。
④ バレエ作品では終幕でクララが目を覚ます。つまり、さきほど見たものは全部クララの夢でした、で、おしまい。これはいわゆる夢落ち作品です。楽しい話だなと思っても全部夢でした……小説でこれをやってしまうと、一発で読者に嫌われます。しかしこの大いなる夢落ち作品であるくるみ割り人形。バレエ作品では絶大な人気です。大人子供にかかわらず安心してみることができます。悪者と言えばねずみぐらいですが、そのねずみもバレエで踊るとなると、怖くない。
振り付けはプティパが有名ですが、バランシンもベジャールもつけています。私は全部見てないですが、どこかのバレエ団でコリオグラファー別でメドレーでやってくれたら毎日通うかも。
なぜくるみ割りとねずみが関連するのかと思えば、もともとこの王子さまが誕生したときにさかのぼります。たまたま王様の家来か誰かが、誤ってネズミの女王を踏み殺してしまいました。そのせいで生まれたばかりの王子さまが呪いにかかってしまいました。くるみ割り人形になってしまったかわいそうな王子さま。
やがてクララに出会い、ネズミとの戦いに勝利しました。このあたりドロッセルマイヤー氏との関連は皆目不明。なので彼は魔法使いという扱いをされることが多い。とにかくクララのおかげで生身の王子さまに戻れたので、そのお礼にクララを雪やお菓子の国に招待する流れです。スリッパ投げ一つでクララは役得です。でもそれもすべてが結局夢の中。
この話の元ネタはドイツの昔話。それをドイツの作家、ホフマン(エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン)が小説にしたらしい。即興で作ったという逸話があります。このときホフマンが己の容貌を不気味なドロッセルマイヤー役になぞらえたという説もありますが真偽は不明。彼の肖像画を見たら目の配置にちょっとインパクトがある。初対面の子供に怖がられた経験があるのでそうしたのかな、とは思いました。
バレエ的には途中まではクララが主人公だが、後半は金平糖がメインで踊るという変わった構成になっています。クララは舞台の端っこで楽し気にパ・ド・ドゥを見ます。そのあとでクララも踊ることが多い。しかし映画では徹底してバレエ観客に徹していました。
作中劇のバレリーナはアフリカ系黒人のプリンシバルとして有名になったミスティ・コープランドが出てきます。プリンシバルというのは、主役しか踊りませんというバレリーナのことでバレエを学ぶ皆があこがれ目指す役です。男性は、これまた天才ダンサーとされるセルゲイ・ポルーニンが出ています。
ところがこのコープランドたち、映画の中でクララとは一切からみがありません。クララは目の前のバレエを楽し気に見るだけ……せめてバレエ的手の動き、ポルドブラの真似でもしてくれたらいいのに……コープランドたちの出番は最後のシーンが終わった後にもう一度ありますけど映画ストーリーには関係ない。表題にくるみ割りを入れた以上はバレエも出さないとってなったのかな……コープランドやポルーニンにもセリフと活躍がほんのちょっとでもあれば、話はもっとおもしろくなるはずです。私はバレエ脳なのでそれがとても残念で、ディズニーの制作側にはそのアタマはなかったのかと思いました。
しかし、題名もよく見るとくるみ割り人形と「秘密の王国」 とあります。よく考えたらやはり、題名通りで、「秘密の王国」 が舞台になっています。バレエ作品のストーリー骨子をうまく取り入れつつ、まったく別のストーリーに仕立てています。題名に「くるみ割り人形」 を入れてしまうと観客はくるみ割り人形が主人公だなと思うじゃないか。私の感想は間違いではないだろう。そもそもこの映画に限らず、映画の題名の翻訳に関しては違うじゃんか、と言いたくなることが多い。特に子供向きの場合は熟考してほしい。
英語の原題名は The Nutcracker and the Four Realms。直訳するとくるみ割り人形と四つの王国。「四つ」 という数字は意味がないですね。くるみ割り人形もただの象徴かも。クララに寄り添う衛兵がそれにあたるのかも。
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それではやっと本題に行きます。映画での主人公はクララ・シュタールバウム。演じた女優はマッケンジー・フォイ。とてもきれいな女性です。モデル出身らしいですが、喜怒哀楽もきっちり出せる女優さんです。ストーリーもバレエ作品とは全く違う別作品。
クララが亡き母が見つけたとされる秘密の王国。亡き母は当時はちょくちょく行って王国を支配していたらしい。魔法も多少使えたらしい。その王宮内で母の大きな肖像画を見るクララ。
クララが王国に行くときの過程がこれまた「不思議の国のアリス」 そっくり。アリスは時計をかかえたウサギを追いかけて現実から不思議の国に行くが、クララはネズミに母の形見のカギをとられて取り返すために現実から秘密の王国に行くという設定。そこで一番最初に会った人間がくるみ割り人形に似た衛兵。彼に導かれて王国に行くが王国の摂政たち一同は、元支配者であるマリーが帰ってきたと大騒ぎする。マリーは母親ですと、亡くなりましたとクララはいう。国民たちはそれを聞かされてがっかりする。クララはマリーの後継者として王国をみてまわる。このあたりはディズニーぽくて楽しい見せ場です。摂政たちや王国の民たちの様子もすごく凝っていてスローシーンで見たいぐらい。
摂政メンバーの裏切りあり、冒険あり、どんでんがえしありで飽きなかったです。しかし、先にも書いた通り、バレエシーンが本当に残念。バレエ作品でないのはわかっていますが、バレエは添え物という感じ。クララもバレエを摂政たちと特等席に座って笑顔で見るだけ。バレリーナの起用もコープランドの技術には問題ないが、線の細いダンサーを起用したほうがよかったのではないか。ウクライナ出身のポルーニンとあわせる必要はないが双方ともあわせてないような気がした。話題性の一環として大人気のコープランドを起用したと思うが、一観客としては彼女には古風な定番の踊りではなく、映画なればこその、もっとダイナミックな動きをさせてほしい。せっかくの美しい筋肉を生かさなきゃ。
コープランドにはフェッテ一発でドアを吹き飛ばし、数回で天地をひっくり返すぐらいパワフルな踊りをさせたらいいのに。彼女のあの筋肉は素晴らしい。アフリカ系黒人にはそれなりの遺伝子学的パワーがあるはず。しかし彼女がプリンシバルになったとき、黒い白鳥、と称されてそれも問題になったらしいし表現はむつかしい。知名度が上がり彼女が出るチケットはすべて売り切れになったので、逆に勝運の気流には乗ってはいたが。でもまたそれを声高にいうと人種的偏見だとどこからかお叱りの言葉をいただくかもしれぬのでこの辺にしておきます。
映画作品でも時代考証がビクトリア王朝時代のロンドンとあります。すると、これは千八百年代。その時代イギリスには黒人はいても奴隷扱いされていました。本作ではドロッセルマイヤーは黒人です。当時の黒人がクララのような中流から上流家庭の一家をたくさん呼んでクリスマスパーティーを開けるほどのお商売ができた人がいたのか疑問です。この時代でそういうことができる黒人といえば、ビクトリア女王の養女となったサラ・フォーブス・ボネッタぐらいしかいないはずです。くるみ割り人形の手下となる生身の方の衛兵たちも、顔ぶれをよく見ると黒人のほか、アジア人も前方の目立つところに配置していました。これまたディズニーの人種的配慮ということになるでしょう。歴史における一般民衆の差別的感情をディズニー映画の世界からは追放するつもりでしょう。これを歴史の軽視とみるか、歪曲、捏造とみるかは微妙なところです。でも誰からもクレームがつかないようにする配慮はやはり必要でディズニー側にはそれ専門の法的な知識のある人間もスタッフにいると感じました。
映画作品としてはとても楽しく悪役を演じるシュガー・プラムもよかった。彼女はクララの母のマリーから捨てられたと思っている。あんなに慕っていたのに裏切られた、ひどい、という彼女の感情が起爆となって秘密の王国に問題が起きたのです。マザージンジャーのほうが良い人でした、というどんでん返しも途中からネタバレしていたような気がしますが楽しめました。バレエが出てくると聞いてわざわざ映画館に行ったかいがあったというものです。
コープランドは別作品でもバレエ女優として演じてくれたらいいなあと思います。




