第9話・バレエと鏡
レッスン時、鏡はないよりあった方がよい。
そして鏡は小さいより大きい方がよい。
自主レッスンには鏡は不可欠です。あって当然、自分を客観的にみるものが鏡。
踊りながら自分の姿を見て青ざめたり、己をののしったり、その場で帰りたくなったり。(自己礼賛は皆無)
でも「おっ、今日は調子がよいな、足の角度がこころもちあがってる」、とかわかります。
ほんのちょっぴりやせたときもわかるし、肥ったな、お尻のあたりがぽよっとしてきたなとかもわかる。要はバレエの場合、鏡は自分をチェックするためにある。決して身だしなみとかうっとりするためではない。
鏡にはありのままをうつす…自分を観客目線でみることができる。もちろん私のポーズはだめですね、だけどどれだけ落ち込もうともやはり鏡は必要です。毎回毎回レッスンのたびに鏡をみてやせなきゃ! とあせりもします。
でもさすがにピルエットやジャンプ系列になると鏡でゆっくりチェックは不可能です。そのために先生がいるわけです。なんてバレエは厳しい世界なのだろう。うまれついての容姿や体型もモノをいう。日本ではもっとはっきりいって財力もモノをいう。
そうものすごくはっきりいいますが、バレエは平等ではないのです。
プロのレッスン見学でいつもは柔らかいやさしい表情の女性が自分のポーズを厳しい目線でチェック! しているのを見学させてもらったことがあります。たとえばアチチュード、角度をかえるとまた表情もかわるバレエ独特のポーズですがあれって非常に難しいのですよ、自分が「モドキ」をやってみるとすごくわかる。そのプロの人はそれであげた足のさき、手の先を微妙に変えて「こうしたらどうみえるか」 のチェックをされていました。
アチチュードはまたずっと長くポーズはとらないのですが、プロさんってこうして何気ないポーズでもきちんとチェックするのだなあ、と感心しました。ため息のでるようなきれいなポーズでしたが彼女は納得してない。より美しく、なんですね。
おもしろいことにアチチュードも足が高ければよいってもんではないのだ。だから難しいんだよね。(自分がやってその難しさがわかる。私の場合は人様の目を楽しませるのは到底無理で自己満足をめざすために鏡をみますけどね。)
ああ、鏡よ、鏡。
人間は神様によって作られたものだとはいうけれど、人間は鏡を作った。さて神様は鏡を見つめて踊る人間はどう思われるだろうか。
科学者は鏡で熱をおこして火を作る。
歯医者は鏡を使って奥歯を見やすくして治療する。
ある医者はたくさんの小さな鏡をつかって内視鏡を発明した。
少女は鏡を使ってかみをくくる。
女性は鏡を使って化粧する
役者は鏡を使って表情レッスン、
スパイは鏡をつかってスパイする
バレリーナは鏡を使って上手になる、ありのままの姿を見て。
満足しつつ、時には嘆きつつ。
鏡は何もしません。ただ映すだけ。
ありのままに映すだけ、私たちには何もしない。
それでいて映す相手を称賛し時には攻撃するのです。受け止めるのは実体だけ。
ごくごく普通の鏡はそういう不思議な魔力を秘めているのです。