第86話・バレエレッスンの代行の先生
少し前の話。お目当ての先生が急用のため、代行の先生の教えになったことがあります。そこはオープンクラスなので休講は基本ない。講師の交代は事前に分かればホームページで告知があるが、本当に急な話だったようで告知なし。以下、代行先生とします。
その代行先生は高校生かな、と思う若さ。そして、レッスン前に自己紹介をされました。他人にバレエを教えること自体がはじめてです、と前置きしました。よろしくお願いします、という丁寧なあいさつ。いや、レッスンをお願いしているのは私たち生徒ですがね。もちろん悪く思うことはありません。つまりその代行先生はレッスンの教えに不備があってもそれはワタシが不慣れなせいです。どうか寛大なココロで、という前フリをしたわけですね。
「一生懸命やります」 と背筋のばして。バレエにはめずらしいあいさつです。たいがいバレエの先生は学校の先生ではないので、ラフなポーズで颯爽とレッスン室に入るか、生徒より早くスタジオ入りして大股開いた柔軟ポーズを取りつつ「じゃはじめましょ~」 と簡単なレヴェランス(=バレエ式のあいさつのこと)する。それから、いきなりプリエ曲の振付をするのが多いと思う。
その若い代行先生は年もバレエ歴も全部話してくれた。つまり、教える方がとても緊張されていた。
そこは大人オンリーのバレエで平日の午前クラス、ということはその代行先生にとっては母親の年代以上を生徒としてバレエを教えるということだったのでしょう。彼女はいつも同年代の若い人と踊っていて、こういう環境での教えを想定したことがないと推察した。プロを目指していたが少々ケガをしたので、教える方をこれからもがんばりたいと思っていますの言葉つき。人前でも話す経験はあまりないようで、つっかえながら時には首をかしげながら話す。
お、お嬢さん……そ、そんなに構えなくっても……でも新鮮でいいなあ、若いなあ。ケガは残念だったけど教えに転向するならがんばれ。と、私たち大人、代行先生から見たらオバサンは思う。
大人バレエ生徒は、バレエをする格好はしていても体型がいわゆるバレエ的でないのも多いし、皆やさしいけど若くない。若い代行先生から見たらレオタードを着用したヤマンバか山賊に見えたのかも、怖かったのかも。
踊り始めたらそれでもバレエレッスンはたいてい踊る順番は決まっている。選曲や、バーを使った振付は先生のセンスがモノをいう。もちろんその代行先生も一生懸命されていた。選曲もそれなりに考えていたようでCDアルバムを持参されて、とっかえひっかえという感じで踊りやすい、というか教えやすいのを選んでいたようだった。
……私が何を書きたいのかというと、バレエレッスンに限っては大人バレエの生徒は先生の選択でこの人でないとイヤというのはあまりないと思うのだ。普段の浮世の義理を忘れて楽しく気分よく踊らせてもらえたらそれでよい。
代行の先生は「◎◎先生の代わりが私でごめんなさい」「◎◎先生目当てなのに私でがっかりしたでしょ」 という人が他にもいたので書くが、大人バレエは代行が教えをしたということで、わかりにくいなどクレームをつける生徒は、いないってことです。柔軟をさせすぎて踊りに来たのに、とクレームをつけた人の話は聞いたことがあるがそのぐらいです。
バレエの生徒には「生徒イコールお客様イコール神様」 思考はないといってもいいのではないか。特にオープンクラスは教えが自分にはあわないと思えば次回から来なければいいだけの話なので、双方ともあとくされがない。自由さを満喫できる。
私は子どもからやっているので、先生は常時一人で選べなかった時代が長かった。いつも同じ先生で、他にもバレエが教えられる先生が存在するとは思わない。バレエといえばそこのお教室以外の環境は考えられなかった。その上、子ども心に覚えが悪すぎてたった一人のその先生から見放されているという自覚があった。だから余計に現在の大人バレエの自由さを有り難く思っています。
また大人バレエの生徒もいろいろな人がいるが、バレエを「教えていただいている」 という意識はある。上達するもしないのも己次第という意識も強い。たいてい何かしらの体型コンプレックスを持っているので「私でもバレエを踊ってもよいのだろうか」 という気おくれもある。いわば、バレエ体型でもない私がバレエを踊ってもいいのかしら、やっぱり似合ってないわよね、というちょっと「自分卑下的感情」 が他の舞踊よりも強いと感じる次第です。
双方とも遠慮しながら楽しくバレエを踊るというのは平和を好む日本の美徳かも……ね……。




