第83話・フェリシーと夢のトウシューズの感想
映画の内容のネタバレ注意。これから観る人にはおすすめしません。
「フェリシーと夢のトウシューズ」 という題名を見るだけで、これは主人公の名前とトウシューズの話だとわかります。だから私は何が起ころうと絶対に観に行こうと決めていました。
元の原題だって「Ballerina」 ですよ。
そうっ。「バレリーナ」 がずばりの題名になっているのです。
日本における題名はお子様向けですが、原題名を聞けば、これはもう、バレエ好きは何を置いても絶対に観に行くでしょう!
カナダのアニメ会社の第一作という触れ込みです。私は本作で三Dアニメを初めて見ました。チャコットでも入り口に大きな縦看板を出して応援? しています。
以下は超簡単なストーリーです。
……舞台は1880年代のパリ。孤児院で暮らすフェリシーという少女が、バレリーナになるという夢を叶えていくアニメ……
なんというステキなストーリーでしょう……
場面中、赤いトウシューズが出てきて、シューズにレペットの文字が!
レペットの文字は映画中でさりげなくトウシューズ以外にも見ました。そんな大昔から果たしてレペットはあったのか、と思いました。帰宅後、チェックしました。(レペットをご存知ない方へ……レペットはフランスで生まれたダンスメーカーで日本にもファンがたくさんいます)
調べでは、本当は1947年開業となっているので映画の時代考証と少しずれています。マメな知識で皆さんご存知かもしれませんが、創始者がローズ・レペットさん、フランス人。その息子さんがあの有名なローラン・プティです。私はレペットのバッグが好きで持っていますので、例のロゴを見て「おお~」 と心の中で一人喜んでいました。
以下からはネタバレ注意。白紙の状態でこのアニメを見たい人は絶対に読まないでください。手放しの称賛ではなく、ストーリー構成上の批判も書いてますので怒りっぽい人も読まないでください。私は忘備録を兼ねて己の想いを正直に綴るだけです。それでは行きます。
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主人公はフェリシーというかわいい女の子。バレエが大好きで特に先生にもついてないのに孤児院の食堂で、毎日踊っている。すでに完璧なシェネとグランジャンプができている。汚れた皿の間を縫って机の上で踊るフェリシー……おいおいおい、そんなところで踊ったら足が危ないよと心の中で突っ込みを入れていました。そしてしょっぱなからこんなに上手に踊れる主人公……これは恐ろしいほどの才能です。これからパリのオペラ座に武者修行して立派なバレリーナになるのでしょう! 題名に出てくる夢のトウシューズはどうやって入手して踊りこなすのかっ! 私は勝手にいろいろとストーリーを作って空想していました。アニメですので、天才の誇張もアリでしょう。さあどんなストーリーだろうか。ライバルも悪役も王子様も出てくるのだっ。期待感がもうぱんぱんに膨れて、うれしくて幸せいっぱいの私でした。( ← 過去形になっていることに、ご注意ください)
ところが。幼馴染の少年と一緒に孤児院を脱出したのはいい。しかしパリオペラ座のバレエ学校に入学するきっかけで、フェリシーはヘンなコだと思えてきました。フェリシーは他人宛の入学許可証を盗んで、まんまと入りこむのですよ……なぜ?
本物の入学者はフェリシーの大事にしている母親の形見のバレリーナのオルゴールを壊してしまう女の子です。名前はカミーユ。復讐の意味も入っていて、その面での罪悪感、心理負担の軽減は図っていますが、いかに憎い相手といえども、バレエ人生を左右する入学許可証を平気で盗んで名前を騙るその神経が信じられない。
私はそこからフェリシーの口の端をゆがめて、上目遣いで話すクセが嫌らしく思えて感情移入がまったくできなかった。フェリシーはじめバレエ少女たちの顔はみんなかわいいのですが、フェリシーはだんだんと嫌いになっていった。というよりも私は原作者さんの倫理観を疑いますね。もっと違うきっかけを考えたらよかったのに。
そのまま紆余曲折、悪事バレしてでもなお、主人公の都合のよい展開のオンパレードになり皆に許され、愛され、憎いカミーユと和解に至り、無事オペラ座で踊れる栄誉に預かるのです。そのフェリシーの指導者になったのは掃除婦のオデット。彼女は実は元バレリーナでした。偶然の出会いがフェリシーを成功に導く。そのあたりはアニメだし創作なのでなんでもアリ。許せる。そのスパルタ式のバレエしごきも、おかしいことばかりだがその方が観客受けするだろうので許せる。本来ならば足は大事です。なのに水を使ったり、足首をもっと上にあがるように乱暴につかんだりします。元バレエダンサーと思えぬ乱暴な指導方ですがアニメで創作の一環だからそれもアリ。フェリシーの指導者であるオデットのその足のケガの後遺症はその乱暴さから来たのではないかと邪推してしまいましたがね。
指導役のオデットはバレエに対する情熱がありながら、バレエとは関係がない掃除婦に甘んじる。同時にオペラ座の掃除係も兼任しているという不思議な設定だがそれも創作なのでアリ。
しかしフェリシーが人の善意を粗末に扱うのが私には許せなかった。オデットがフェリシーに大事な赤いトウシューズを譲ってもフェリシーは期待に応えない。それどころか、デートのためにレッスンもせずトウシューズも当然ほったらかし。あとでごめんなさい、とはいいますが反省してない。フェリシーは人に対する感謝が全くもって欠落しています。
それから権力を持ったオペラ座の指導者もヘン。声を演じた熊川さんに悪いけど、オペラ座の指導役でありながら少女たちに対する扱いがぞんざいすぎて「?」 だった。いろいろな意味で「?」 なバレエアニメです。
また才能があれば多少の悪事は許されるのか。称賛を得られるのか? 天才は努力を上回るのか? 芸術はたとえ倫理観が欠落していても天才であれば果たして許容されるのか? 私はそんなことを考えていました。
振付は本物のパリオペラ座の監修つきが宣伝文句の一つなだけあって、非常によかったです。アニメとバカにできない迫力がありました。これは必見に値します。本物の人間では絶対にできない空中を飛ばせ舞わせ完璧なポーズを取らせるのもアニメならではです。不自然なつなぎも全くないというのは見どころの一つ。
しかし誰もストーリーに関しては根本的に問題ありとは指摘できなかったようです。言えるのは現金で千八百円支払った私のような無名の観客だけでしょう。
ま、古典バレエでもオペラでもストーリーの構成がおかしいのも結構ありますのであんまり目くじらをたてるものではないでしょうが、子供向けであっても私はフェリシーのあの性格が大嫌い。ああいうのは天真爛漫とは言わない。私にあんなに期待させて内容がコレかと非常にがっかりしました。作中、私が唯一気にいったキャラは発明家のシャイな肥った男の子だけです。
以上、フェリシーと夢のトウシューズというアニメへの罵詈雑言でした。




