第69話・閑話休題・イヤーワーム現象について
発表会レッスンの思い出話。
みなが舞台袖から中央に出てくるくだりをレッスンします。最初のインパクトが大事というわけで、先生の力の入れ方もいつもと違います。
群舞なので総勢十五、六人ぐらいか。最初はリズム感の良いアップテンポの曲です。これを何度も何度も繰り返します。全員が大人からのバレエレッスン生徒なので当然覚えが悪い。なので振付をする先生も必死です。次はこうしようか、これならできるでしょう、と振付する先生もとうとう投げやりになって、より簡単な振り付けになったりします。
私たちも、がんばります。そうしていくうちになんとか形になっていきます。
大人バレエは勤務後にレッスンするので、残業をしたりする人も多く、その結果、遅刻も多い。レッスン自体の欠席も多くなかなか全員がそろいません。そんなものです。さすがに発表会直前では無理やり時間に都合をつけて、全員が「やっとそろったねえ~」 と喜びあったりする。発表会本番では全員出席です。晴れ舞台ですからね。
そうして何度も曲を流して踊るうちに、発表会曲が頭から自由に鳴りだします。振付が終わり、着替えているときに誰かが「私の頭の中で、まだ曲が鳴っている」 と言いだし全員が頷きました。特定の出だしが気に入らず、先生がダメ出しを繰り返した結果です。
これは本当におもしろい現象です。子どもの時はなかったのですが、大人になってから私もそうなりました。名前もついています。
イヤーワーム現象といいます。イヤーは、耳。ワームは虫ですね。ワームは細長いみみず系の虫のことです。日本語で直訳して「耳虫」 です。幻想小説のネタになりそうな名前ですが、病気ではなく単なる現象です。幻聴とは違います。(幻聴は全く別の話になりますので割愛します)
イヤーワームが活動していると、なんとなく身体も踊りだしそうにはなりますが、仕事になるときれいさっぱり消えますし、創作をしているとそれどころではなくなり消滅します → イヤーワーム死滅ね。
そうして次の振付レッスンの時に元気に復活してくれるわけです。それにしても音楽が消えても頭の中の音楽が再生されるとは……人間の無意識の思考やその持つ能力の不思議さに驚かされます。
イヤーワームが大活躍しているとき、それを不快に思う人もいるでしょうが、私は特に気になりませんでした。逆におもしろいと思っていました。
これを大脳生理学で真面目に研究した人がいます。
イヤーワームが起こりやすい人は脳内の特定の場所が薄いそうです。正確には右横側頭回。そこは聴覚など感覚に活動する領域です。皆さんは脳の絵地図で脳のカーブに沿って手足が細長く描いてあるイラストを見たことがあるでしょう。それです。ちゃんと調査できているのです。それを不快に思ってイヤーワームを止めるところは右海馬傍回の大小がモノいうらしいですね。私たちのいろいろな感情の発声や記憶の取り出しはすべて心ではなく、脳が無意識的にも意識的にもやっているということがわかるデータです。
また個人によって差があるのは当たり前なので同じくイヤーワームが起きてもそれを再生する手間がはぶけて踊れるわ、と言う人と気持ちが悪いと思う人がいるわけです。私が不快にならないのは、仕事とバレエ以外の趣味があるからでしょう。また作曲など創造的な仕事をする人はイヤーワームになりにくいといいます。どうしても困ると言う人はクイズに没頭する。誰かとケンカして気分を落ち込ませるということもありますが何もそこまでしなくても命には別条ありません。
これだけ医学が進歩しても、人間の持つ潜在能力はイヤーワームを含め根源的なことはわかっていないことの方が多いです。私はそこが感情を持つ人間のおもしろいところだと思っています。他の動物には類人猿を除きイヤーワームはないと思っています。




