第57話・創作バレエのレッスンを受けました
先日創作バレエのレッスンを受けました。その時に感じたことがきっかけで、自分の思うバレエに関する方向性がはっきりしたので忘備録を含めてエッセイを書くことにしました。
私がこういう類のレッスンを受けるのは実は二回目です。先に一回目の思い出話をします。
一回目は独身時代に創作舞踊のワークショップという形で参加しました。一度限りのレッスンです。バレエとは全く関係ない話で当時私はジャズダンスを習っていてその伝手で好奇心半分と言う形で参加しました。参加人数は大体二十人ぐらいだったか、最初のストレッチでその男性の講師から「あなたバレエをしていますね?」 と聞かれました。当時はバレエをしていなかったので「昔の話です」 と返答しました。
バレエを子供の時にやっていると上手下手関係なく、なんというかバレエ癖というかすぐわかるようです。体幹つまり胴体部分があまり動かさないまま手先足先を柔軟に動かしてはね。やはりバレエは独特のものがあります……このあたりは他の舞踊とは一線を引くものがありますね。
そのワークショップは自分の身体を使って最初から自分で感じるままに動いていけ、というタイプの先生でどういう踊りでも正解はないとのこと。先生の生徒に対する動かし方の指導が上手だったのでしょう、自由に動かさせてもらいました。最後に先生が四,五人のグループに生徒たちを分けて自分たちで踊れと言われました。段階を経て自分で踊ったものを今度は団体で総合的に融合させろというわけです。それなりにおもしろかったのですが、組み合わせにどういうわけか私ともう一人の男性が残り、「きみたちは二人で踊って」 と言われました。パ・ド・ドゥだったらうれしい話ですがこれは違う……私とその男性は呆然と顔をあわせます。男性は私より小柄で背が低い人でした。その人は独特の踊り方を持っている方でちょっと人目をひいている人でした。聞けばバレエではないですが音楽か何かをやっていて勝手にふしをつけて踊っている人でした。プロではありませんが踊ることが好きそうな人でした。
「ま、一分ぐらいですし、何か適当に」 というわけで二人でしました。
本当にぶっつけ本番でしたがどうせばらばらなので身体の一部をくっつけあってそれをカウント取ってあわせようとしたのです。手の一部だけ、もしくは足の一部をあわせるのです。彼は私が簡単なバレエ的な動きをすると、その人は私のひじをくっつけたまま、バレエをしたことがないと言っていたのに手や足を私の動きにそうようにして踊りました。当意即妙というかそれができる人でした。私は夢中でしたが終わると皆さんから暖かい拍手が湧いてそれが自然発生的だったのを感じて素直にうれしいと思いました。多分その時の先生も、私にあわせてくれた男性も一緒に受講した生徒たちも全員がよかったのです。拍手をいただけたのは運がよかったのです。
こういう楽しい思い出があるので、創作舞踊しかも今回はきちんとしたバレエ団出身の先生がされるのでとても楽しみでした。
……とっこっろっがっ……。
これが全くおもしろくなくて……残念な報告ですが自分の舞踊史(←大げさ) に残る惨事になりました。今回はその話です。
この創作舞踊にはある特徴があってそれを書くと一発でばれますので適当にぼかします。生徒たちに自由に動いていきなさいというのは前の創作舞踊の先生と同じでしたが違うのはその動かしていくイメージを具体的にいう先生でした。しかもそのイメージというのが無生物、品物だったのです。
まだちょうちょのように、とか小鳥のように、ならわかりますがそれだと幼稚になるか一定のパターン化がしやすいかで、例えが無生物になったのかと思いますが先生の意図まではわからないので、間違っているかもしれません。
私はその無生物になったつもりで~と言われてそのようにしたつもりですが踊っていくうちに段々と腹がたってきたのです。
「何がおもしろくて人間の私が無生物になったつもりで踊らないといけないのか」 と思えてきたのです。人間としての喜怒哀楽その他の感情を捨てろということかもしれませんが私は人間の心を持ったままで踊りたい。
まわりをそっと見回すと常連の生徒さんたちは気持ちよさそうに自分のペースで踊っておられる。他の生徒たちの様子を見ると先生のパターン化した動きをそのまま相似形にしている。座っている人も足を上げている人もいますが似通っています。これはダメだわ、私には合ってないわと思いました。第一こういう無生物をイメージして踊れと言われたこと自体、むかつきました。縁がないとはこういうことです。
私は段々と冷めてきました。
つ、つまんねー……
バレエを踊りたい、バーレッスンがしたい
コレ、早く終わらないかなあ、
と時計をちらちらと見てしまいました。
話はかわりますが振付師のことをコリオグラファーといいます。この分野で著名な人でも、振り付けするダンサーに向かってあるポーズを取らせてどう感じるか動いていけと指示し、それを自分でどう感じるのか、なぜそう感じるのか、これからどう感じたいかを言わせながら作品を作る人もいます。その是非はともかくそういうスタイルのコリグラファーもいるにはいる。しかも知名度があって認知もされているし人気もある。この場合は振り付けといってもダンサーとの共同作業ですが私は、何か違うと感じます。多分感性を重視する芸術家はそういうものなのかもしれません。となると私は根っからの理系人間故、理屈から入っていく性分だからということもあります。
創作バレエを鑑賞していても、コリオグラファーの意図は本当にわからないこともあり、これと思った人のインタヴュー記事を読んでも「観客には私の振り付けした作品を見て何かを感じてもらったらよい」 と書いていますがこれって観た人任せかえ? とこんな著名な人でも漠然としたものの言い方で芸術家として通るんだ、ととまどいました。漠然として明確な意志が感じ取れない感性バレエというべきか、行き当たりばったりの動きにしか見ないバレエは苦手です。だから私は創作バレエが嫌いなのかもしれません。
今回自分が期せずして無生物を我慢して踊りましたが、私は上記のことをつくづく痛感しました。
踊り手(この場合生徒である私)が気分よく踊るためにはコリオグラファー(この場合先生ですね) の指示に魅力もしくは踊り手に興味を持たせるように仕向ける技術も必要なのではないかということです。最初の話、昔に単発で躍らせてもらった創作舞踊の先生はバレエではなかったけれど素人同然の生徒たちに動かせる技術が上手しかも満足感を与えることができたという点では今回の先生とは雲泥の差があります。とはいってもあくまでも個人的な感想に過ぎませんが。
創作には当然正解はありません。だけど創作バレエというと、はっきりいって人気がなく、また仮に賞をとった作品であってもその意図がくみ取れなくて全く感銘をうけない作品、世間に認知されない作品が多い理由はそこにあるのではないでしょうか。
もし私が将来的に何かを振りつけさせていただく機会があるとしたら小説のプロットの組み立てのように誰が見てもわかる踊りを綿密に築き上げたいと思いました。
今回の先生にはこの気付きを私に与えてくださったということで感謝しています。受講して本当によかった。先生がもしこの文章を読まれたら不快に思われだろうし申し訳ないことです、それでもこのつまんないと思ったこの時間が私にとっては有意義だったのです。正直に書くにもアレかな、と今回UPすることも迷ったのですが自分の踊りに対する考え方と方向性がよりはっきりしたということで記事に残させていただきました。




