第53話・マイヤ・ミハイロヴナ・プリセツカヤ( Майя Михайловна Плисецкая) 逝く
全世界に散らばってるどういうバレエファンでも彼女の名前を知らない人はいません。
平成27年の皐月にマイヤ・プリセツカヤさんが逝かれました。私が舞台上でみたプリセツカヤさんの話をします。もうかれこれ二桁も前の話……毎年のように来日されて公演していました。最後の方はまだ若かったマラーホフさんと一緒に踊っておられたのを知っています。しかしもうこんなに時間がたってしまったのか。(私も年をとるはずだわ……)
逆算してみれば私が観た彼女は六十歳代。プリセツカヤさんはすでにバレエの大御所ですから観れただけでも幸運だったかな。瀕死の白鳥や自分で振り付けた女の苦悩の一生(多分アンナカレーニナ)を踊っておられたと記憶している。創作の方はマラーホフや若手のダンサーがチョイ役をして長い白い布を持ってプリセツカヤさんのまわりを舞っていた。
六十歳代といえばプロバレリーナでいえば引退して当然という相当な年寄りですがプリセツカヤさんに限っては規格外。しかも彼女の出自はユダヤ人、到底不利な生まれ育ちからロシアにおいても伝説の、不世出のと名前がつくバレリーナのトップにまでなったのです。踊る踊らないで政治問題になったバレリーナって彼女だけではないでしょうか。彼女の逸話を聞くとロシアやヨーロッパの政治的な軋轢も感じますがバレエのことで国際問題になるということ自体が「日本におけるバレエに対する認識の差」 というものを同時に感じます。バレエ文化がそれだけ浅いということですね、まあ仕方がないかな。現在でも若い日本人ダンサーが日本を飛び出して頑張ってくれている。我が国でバレエが導入されてまだ百年もたっていないはず。それでもこの進歩、日本がバレエ大国といわれるのはこれからですね。
プリセツカヤさんは当時でも舞台上で観れる最高齢のバレリーナでした。長い手足、柔軟な肩や首を駆使する抒情性あるポールドブラ、瞳は舞台のライトに照らされてきらきらと潤み、あごのとがった美しい顔、表情に釘つけです。ポワントワークはやはり年齢が出ていて、すぐに足を下ろしたり、幕引きで普通に歩いたりはあったので長時間トウで立てなくなっていたと推察できました。ポワントを履いたままの歩き方で足が痛いか痛くないかわかるものです。だけど彼女に関してはクレームのつけようがない。それだけ凄味のあるバレリーナということです。
プリセツカヤさんはそれだけのカリスマ性があったとしかいいようがない。カリスマ性というものは持ってうまれた、とか運命づけられているとしかいいようがない。彼女は若かりし頃、最初与えられたコールドに不満がありバレエ団外で積極的に踊っていたとか。そんなこと当時のロシアで許されていたのか? と突っ込みたいところだが世界中の舞台で踊ってくれと言われる人って若い時からやはりどこか違う。彼女もまた一生踊る人で世界中の人からそれを賞賛されていた。いろいろあったとは思うが対外的に彼女はこの現世の一生に満足して次の世に魂を飛ばして逝ったに違いない。
彼女はあの世でも踊っているだろう。
選択の余地なく踊る人、踊れる人、踊ってほしい人なんだから。
プリセツカヤさんのご冥福を日本のネット底辺でひっそりと祈念いたします。
合掌。




