第43話・上手にみられて皆に注目されるということ。
今回のお題はいつもレッスンで感じていることです。ヘタレバレエでもストレス解消や体型維持(私はこれ以上太りたくないので切実です) そしてバレエが好き、というだけでなんとか時間をやりくりして通っています。
近年忙しいのでオープンメインで動いていますが、昔レギュラーでやっているところは私がトップだったことがありました。極少人数でやっていて、私だけが年だけ食っているので一見上手そうにみえる、という超初心者クラス。ただこういう初心者が多いクラスに行くと先生がほんとていねーいに教えてくださいます。もう軸、バランス、角度、もう何年も聞いているセリフですがどこへ行っても先生のおっしゃることは同じです。わかっています。それから先生の踊りの実演が付きます。そうして生徒たちは。ああなるほどって毎回納得するのですよね。先生の実演付き振り付けの説明が終わると音楽が流れて今度は生徒たちだけで踊ります。
「あなたはこっちで踊ってね」
先生からは立ち位置を指示されて光栄にも鏡の一番前で踊らされたりします。そこでわかるのがほかの生徒たちの視線です。私は年だけはくっているので、踊る手順と角度だけはほのかに理解できるので先生が前に来いというのです。前に来て踊ると正面が鏡ですので、自分の踊りが見えると同時に他の生徒の動作や視線が初めてわかります。私の踊りを食い入るように見つめて私と一緒に踊ってくれる……要は言い方が悪いけど勝手にお手本にされているのです。
私は自分が長年しているわりには覚えが悪くへたであるという意識が強いので、この「お手本にされている」 状態がとても苦手です。申し訳ないというか何というか。ですのでトップのバレエダンサーが多分味わうこの演目のこの役を踊れるのは世界で私一人、というプライドと「これを踊れるのは私しかいない」 という孤独。まわりが初心者であるクラスに限りますが、トップダンサーの気持ちがわかりますとも……と短いバレエのセンターレッスンの中で大それたことを考えながら踊るアホな私です。
逆にオープンで上級クラスに混じると、その立場が逆転します。私は目立たぬように一番端っこの隅っこで踊ります。トップの人はやはり先生の指示で鏡の一番良いところで踊ります。バレエレッスンを受けたことのない人は知りませんが鏡の前で踊るということは、先生の前で踊るのと一緒なのです。先生の厳しいチェックを受けつつ、後ろの生徒たちには振り付けがわからない人もいるので、実演をかねたお手本になるのです。
先生によっては先生ご自身がお手本となって踊ってくれる場合もありますが、そういう先生は少数派です。先生がお手本になってくれる場合は生徒たちそれぞれにコメントをくれることは私の場合はありませんでした。(どちらの教えがよいとかではなく、先生の教えに対する考え方の相違だと思われます。いずれも生徒側にとっても長所短所はあります。)
スポーツクラブやカルチャーセンターの大人クラスだと本気でプロを目指しますという生徒はきませんのでみんなで楽しみましょうというスタンスで先生もうるさいことはおっしゃいません。とりあえずバレエ風味の味付けの優雅なバレエダンスという感じ? こういうのもまったりとしてなかなかいいものです。またそういうクラスでは足や腰に負荷がかかるジャンプなどもあんまり力を入れないし入れても軽度です。たぶん生徒たちの万一のケガを心配されているのだと思う。(最低週二回は通ってくれる生徒なら生徒のくせや体の柔軟性、クラスレベルを考えた授業構成になるからまた違う話になる。)
私は目立たぬ容貌、体型だったので目立つということは若い時から経験していませんでした。だけど、年を取るとプロならとっくに引退している年齢なのにレッスンに嬉々として参加するのは、容貌の点では意図せずとも目立ってしまうのがとても悲しいです。
上手に見られて注目されるのではなく、あの人は年よりですね~と意味で注目されるのが悲しいでですが、上手な教えをされる先生だとそんなことをくよくよ考えている時間もなく踊ることで精いっぱいになります。バレエって奥が深いです。観客の皆さんがうっとりとしてくれるポーズを完成させるには、気の遠くなるような努力が必要です。私はダンサーとしては才能なく早い時期に諦めがつきましたけどそのかわりにプロソリストさんに振り付けをして美しいポーズで観客の方々に浮世の義理? を忘れて舞台を楽しんでほしいな、という願望があります。来世にその願いがかないますように……とまあいつものごとく好き勝手放題書きました。
厳しい世界を垣間見せてくれるバレエですが、それでも後悔はせず、体が動く限りは踊りつづけたいと思う次第です。




