第36話・オリンピック選手、国体選手、プロ選手の親は偉い ☆
質問⇒ 今回はどうしてこんな題名なのですか? これはバレエエッセイではないのですか?
返答⇒ いや一応バレエエッセイです。……いきなりですがうちのチビコがバレエの発表会にでることになったからです。お金を出すのは親の私なので私の意志でもあるのですが……それがつながって上記の題名になりました。ええ、題名も間違っていません。
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五か月後にする発表会に出ると決めたとたん、レッスンが週一回から三回になりました。先生のご託宣です。通常のレッスンにプラスして振り付けを覚えないといけない。まあ当然でしょう。突然の話しの上に当然の話がもう1つ重なりますが私は仕事をもってます。ということは当然チビコの親である私の負担がものすごく増えます。経済的にはまあ何とかしますが肉体的な負担の荷重がきついのです。
我が家から教室まで車で三十分かかります。週一回ならともかく三回はきつい。送迎は肉体労働ではないのですが、時間的に拘束されるのがイヤなのです。しかも発表会が近付くと土日もつぶれます。時間配分がどうでも不足します。発表会? わあステキ~♡ チビコ、出るよね~出ます、と言ったのはいいがどうしようと思いました。だが言ったからにはちゃんと練習もしないといけない。⇒イコール私も送迎をしないといけない。
同居の彼は自分もチビコの送迎に協力すると快諾だけはしたのですが実際やってくれたのはたったの一回でした。私は文句を言います。
「ちょっと、あなたってうそつき。チビコの送迎、私が行けない時はしてくれるっていったじゃないの」
彼は渋い顔をします。
「ふりつけレッスンの終了時間がのびていつまで踊ってるのかいつ終わるかそれまでじーとドアの外で待っているのが男にはツライ。終わったと思ってもどういうわけかみんな帰らないでレッスン場にずっといるし……。あれはなんでなんだ? 部屋の外も中も女の子ばっかりでおっさんの自分が顔を出してチビコに早く着替えて帰ろうと言いにくいよ」
言われてみたら確かにそうで、他のお父さんたちも送迎に来た場合は教室に入らず首だけ出して遠慮がちに「○○ちゃん、帰ろう~」 と呼びかけたりするだけです。
発表会の演目により中学生の生徒と一緒で、チビコの教室には着替え室というものがないので、出入り口の横のレッスン場のすみっこで着替えます。まともな神経を持つ男性ならば送迎に遠慮するのも仕方がないのかもしれません。(しかしながら教室にも楽屋にも平気で入ってくるKYな男親が一人だけいました。)
いろいろと話しあいましたがとにかく私が動ければいいだけの話です。彼は私に言いました。
「チビコがバレエをしたいわけでもない。はっきりいって君がバレエが好きなので子供にやらせたいというだけだ。そうだろ? つまり君が決めたことだから君が全部送迎もしてよ。ぼくもできるだけ協力するから」
できるだけ協力するという言葉はこの人の場合は「しないよ」 ということと同じです。バレエ送迎しないとあからさまにいうと私とケンカになるのがわかっているので言っているのです。このあたりは夫婦歴も長い? ので経験上わかります。……仕方ありません。
私は先生と直接電話で話をして仕事や実家の都合で行けない時もあると事情を話して理解していただきました。
そこでつれづれに思うのはスポーツ選手やオリンピックや大きな大会で優勝もしくはメダルをとった親の話です。若い時、テレビの前の私はメダルを取った選手へのインタヴューはあって当然ですが、なぜ親の談話や苦労話も聞いたりするのだろうかと思っていました。だけど、私がチビコという今はまだ卵状態ですが未来の大物バレリーナになるかもしれない子供の親、という立場になってからわかったのです。
レースや試合で履歴を残した選手たちは当然エライ! だけどその選手を育てた親もまたエライ! のです。もっとあからさまに書くとその選手の幼いころからそこの分野に導いた親がエライ場合があります。もっともっとあからさまに書くとその選手よりもそしてその指導者の先生よりもその選手を産んで育てた親がエライ! のですっ!
こんなこと、私は若い時は全く考えもしませんでした。バレリーナへの道? をよちよちと歩み始めたチビコのためにレッスンに連れて行く立場になって初めて気づいたのです。
大体小さいころにバレエをさせるためには親の意志がモノをいいます。そして小さい子供には親が送迎しないとどうにもなりません。またお金も出さないといけません。栄養のあるご飯も食べさせないといけません。全部親がかりなのです。この親がいないといかにすぐれた才能を持つ子供がぽつんと一人でいても、そのそばにどれだけ有能な指導者がいてもお金を出す親がいないと絶対に稽古をつけてくれません。どんなに有能な人でも無料で子供にいずれオリンピックに、とかバレエの場合ならローザンヌやヴァルナに行きましょうねと熱心に稽古なんかつけません。レッスン料や道具類、衣装類、試合料や遠征料、バレエならコンクール代や御礼なども絶対に必要です。そんなものです。
だから先日のオリンピックで子供の応援に現地に行ってる親が大写しになると「ああ、この親はメダルとった選手の小さいころからこのスポーツを応援して送迎も毎回毎回して国内外の試合にもこうして応援に行って……」 と気の遠くなるような努力を透視して感心するようになりました。どうかすると選手のインタヴューよりも親の方のインタヴューの方が参考になったりもします。
送迎どころか衣装だの道具の洗濯や掃除が面倒くさい時もあっただろうに、団体競技だったら親同士のいろいろな葛藤だってあったろうにとエライわ立派だわ、と感心します。子供の快挙に大喜びの親に今までの苦労が報われてよかったのお~とねぎらいたくもなります。そしてその陰にメダルも取れなかったが健闘したテレビにもうつらない選手(それでもオリンピックや国体行けただけすごいよ) の親にも私はお疲れ様~負けたけど一区切りついたよね~とか言いたくもなります。
お稽古事をさせる子供の親はあくまでも黒子なのです。だが金主や世話係でもありますのでいないと絶対に困るのです。
子供のモチベーションを保つのも健康に気を配るのも全部、親。
親がいてこそ子供がいるのです。この環境を整えてくれている親がいてこそ子供も安心してトップを目指せる。
反抗期になると子供にも偉そうに言われるだろうし、小さい頃は稽古ばっかりで他にしたいことさせてくれなかった、とかほざかれたり、逆に成績が悪くて落ち込んでいる子供を励ましたり……この場合親だってつらいはず、とっても大変です。私は選手も偉いがその親が偉いからその選手が偉かったのだ、と思うようになりました。
自分が踊れもしないのに、子供のためだけに送迎するバレエレッスン、つらいなあと思いつつも目を輝かせて初めてのバレエの発表会のためのふりつけに精出す我がチビコ。私たちの明日は光輝いているでしょうか……?
そして私たち親たち……子供の成績に喜んだりがっかりしたり、それでも今までにかかった金や時間を返せ、よこせとか言いません。子供の成長を喜んで見守らせてもらったのです。楽しかったし。そういう黒子の立場でも幸せなのです。そして子供は大きくなったら今度は自分の子供や孫、そして先生になったらお弟子さんたちに同じように無償の愛をそそぐでしょう。やっぱり人生は順番なのです。
今後己のレッスン話と並行してチビコの発表会話が続きます。




