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雪忘花  作者: 深海かや
第六章 雪に、沈む。
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第八話

 銃声が鼓膜を切り裂いたその少し前、私は死を覚悟して目を閉じた。銃口から放れた小さな鉄の塊に身体を貫かれ、私は雪に沈むのだろう。そう思っていた。けれど、その銃声が鼓膜に触れた後も痛みは無かった。死も近くに感じなかった。ゆっくりと瞼を開けたその瞬間、私は目を見開いた。


 三島の手にしていた銃の銃口は空へと向いていた。目の前には顔を歪ませる三島と、その三島の手にしいる銃を掴みながら揉み合いになっている女性がいた。あの森で出会ったおばあちゃんだった。


「なにを、する。お前っ」

「あんたには一度伝えたはずだよ。私はこの穴を守ってる。この聖域に入ることは二度と許さんって」


 三島は左腕をまともに使えないせいか、両手で銃身を手にしているおばあちゃんとの力が拮抗しているようだった。


「ましてや未来ある若い子供達に手をかけるなんて、この私が許さない」


 おばあちゃんは足元をふらつかせながらも必死に銃身にしがみついていた。今しかない。三島をどうにか出来るかもしれない。私一人でも、おばあちゃんを助けに行かないと。その想いを沙羅に伝えようとした時、沙羅はずるりと肩から滑り落ちていった。白い雪原の上に沙羅が倒れ込んだ。


「沙羅っ」


 呼びかけた。その瞬間、私は三島から目を離してしまった。


「離せっ、このくそが!」


 気付いた時には三島がおばあちゃんの腹を蹴り上げており、ひるんだ隙に身体を持ち上げその勢いがついたまま放り投げた。先には穴があった。おばあちゃんの身体は、一瞬にしてその深淵に呑み込まれた。嘘……だ。


「三島ーーーっ!!」


 叫びながら私は駆け出していた。考えるよりも先に、私の感情が身体を動かしていた。どれだけの人間の命を奪えば気が済むんだ。お前だけは、絶対、絶対、許さない。途中雪に何度も足を取られ、地面に手を付きながらも、腕を振り足を動かした。三島は慌てふためくように銃身を折れた左腕と頬で固定しようとしている。だが猟に慣れている三島が体制を立て直す速度は、私の想像よりも遥かに早かった。雪に足を取られたせいで、間に合わないかもしれない。その考えが一瞬頭に過った時には、誰かに身体を抱き上げられたまま雪の上に倒れ込んでいた。少し遅れて銃声が鼓膜に触れ、硝煙の匂いが鼻をついた。


「新奈っ、立てるか?」


 胸の中に降ったその声が一瞬にして染み渡り、目の淵から涙が溢れた。私が頷くその少し前には、私は身体を起こされ、雪の下から伸びている太い幹の裏へと駆け出していた。


「湊っ、良かった。ほんとに良かった」


 目をみて言った。ぼろぼろと涙が溢れ出てくる。湊が生きているかもしれないという事は、向こうの世界で生きる私を通して知っていたが、実際に自分の目でみると感情が爆発したのだ。


「どうやって」

「新奈、それはあとだ。沙羅がやばい」


 確かに湊の言う通りだ。三島は先程から私達を標的にし、木々を撃ち続けていた。けれど、その銃口がいつ沙羅に向くのか分からないのだ。沙羅は今、雪原の上で倒れている。次に撃たれたら、もう命はないかもしれない。そう考えたら途端に胸が張り裂けそうになった。


「新奈、沙羅は俺が助けに行く。お前はここで待ってろよ」


 一瞬、私の顔をみつめたままに湊が頬を緩めた。だが次の瞬間には沙羅の元へと駆け出していた。腕を振り上げ、踏み込まれた雪が湊が足を浮かす度に宙を舞った。目をやると、三島は既に銃口を湊に向けていた。撃たれる。そう、思った。湊も、沙羅も、私は絶対に失いたくない。


「駄目ぇぇぇ!!」


 声を張り上げた。その時だった。


──新奈、歌って。


 どこからか、声が聴こえた。


──夢の中でよく聞いたあの歌を、あなたのお母さんが歌っていたあの歌を、今すぐに歌って!


 鼓膜に触れているのではない。頭の中で聴こえる。それに、この声には聞き覚えがある。これは、私だ。


──私と会いたい。私のいる次元の世界へと翔びたい。その意識を歌にのせてっ! 新奈、歌うの! 天使の歌を、その次元で今すぐに奏でてっ!!


 理解した訳じゃなかった。いや、理解しようとも思っていなかったのかもしれない。ただ、身体が勝手に動いていた。私は沙羅の元へと駆けだしている湊をみながら歌を歌った。夢の中でよく聴いたあの歌を、お母さんが歌っていたあの歌を、天使の歌を奏でた。一秒、二秒、それ以上なのか、それ以下なのか、それすらも分からない。時の流れ方がおかしかった。ふっと顔をあげれば風に流されているはずの雲は止まってみえ、木々の先にある葉の動きがまるで空から舞い落ちてくる雪のように緩やかになっている。頭の中で流れていると思っていた歌が、穴から聴こえているのだと気付いたのはそのすぐ後だった。低い鐘の音のような、胸に響き渡る音がそれに混じり合うと、轟音が鳴り響いた。穴の淵がひかりを放ち、周りに咲き乱れている雪忘花が緩やかに揺れている。その嘘みたいに綺麗な水色の花弁の一つが塵のようになりながら穴へと吸い込まれたその瞬間、穴の周りにある全てのものが粉々に砕け散り、渦を巻くように吸い込まれていく。傍に立っていた三島も同様だった。指先から頭の先へと、声を上げる間もなく塵になった。


 私はそれを無の感情で眺めていた。嬉しくも、悲しくも、無かった。ただ目の前で起きる事象の一つ一つを、自らの肉体を眺めるような気持ちで眺めていた。だが、淵に纏っていたひかりが空の果てへと直線上にひかりを放ち、深淵の闇のようにみえていた穴がひかりの海へと移り変わったその瞬間、私の心は一瞬にして決壊した。最初の一粒が目の淵から溢れおちてから、次々と涙が頬を伝った。穴から放れたひかりに包み込こまれ、私はそれに身体を預けた。胸が満たされていく中、ひかりの中を見渡す。その中には私がいた。何百、何千、何万通りの私の人生が映し出されていた。


 机を前にし、開いたノートに文字を書き込んでいる私。小さな女の子の手を引きながら、その子に笑みを向ける私。鍋をかき混ぜながら、何やら小さな機械で映像をみている私。顔や肌の至る所に深い皺が刻まれている私は、ベッドで横になっていた。その周りには、沢山の人がいる。あれは家族だろうか。皆が等しく悲しげな、それでいて穏やかな笑みを浮かべている。もしかしたらその世界の私はもうじきそこを離れるのかもしれない。小さな身体の私は、雨で濡れた地面で滑り、今転んだばかりだった。すぐに駆けつけてくれた女性が私を抱き上げそっと涙を拭い去ってくれていた。そして、深い森の奥深くで泣きながら男性と抱擁している私。それはずっと私の傍にいてくれた私だという事はすぐに分かった。名前は、瑠奈。彼女は私で、私は彼女でもある。本当にありがとう。何もかも。私は泣きながら呟いた。


 天使の歌が流れていた。ひかりの中で、私は今を生きる全ての私に目をやった。数万通りの私の人生を、数万通りの私が、数万通りの感情を抱きながら今を生きていた。姿形や生活環境も違えば、生きる次元すらも違う。けれど、どの人生を歩む私も皆が等しく美しかった。命を燃やし、その輝きを放ちながら今を生きていた。


「皆、生きてるんだ」


 穏やかな気持ちで眺めていると、ある一つの考えが私の胸の中で芽吹(めぶ)いた。


 人は死ぬ。必ず死ぬ生き物だ。生まれた瞬間に決まったその道を、私達は歩んでいる。命の灯火(ともしび)が燃え尽きるその時まで歩み続けている。でも、だからこそ小さな幸せでさえ幸せとして見い出せるのかもしれない。終わりがあるから頑張れる。限りがあるから、生きていられる。もしかしたら、その人生という名の道中で死ぬほど苦しい時があるかもしれない。身体を引き裂かれるような悲しみに襲われ、孤独に(さいな)まれ、もうその道を歩くことすら辞めたいと思うことがあるかもしれない。少し前まで、私もそうだった。だけど、長い道のりだ。歩み続けることが無理なら立ち止まればいい。無理に歩もうとしなくていい。


 だって、その時が訪れるまでずっと道は続いてる。目の前に闇しかなく、足を踏み出す道がみえない時は、視野を広げてみればいい。本当に自分の歩み道はその広さしかないのか、必ずその道筋を通らなければならないのか考えてみたらいい。歩き続けてさえいれば、必ずどこかでひかりが差すから。小さな日常の欠片が、いつかふとした瞬間にほんの小さな幸せにみえた時、その時には命も輝いているから。きっと、きっと、そうなのだと思う。数万通りの私を、数万通りの私の人生を通してみて思ったことがある。




 生きる事は、その命の輝きは、綺麗だ。



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