えがおはどこへ
おばあちゃんが亡くなって。
半月。
白い布を顔にかけられた姿を見ても。
棺に入った花に囲まれた顔を見ても。
荼毘にふされてお骨を拾い上げた時も。
涙が出なかった。
失恋した時はあれほど泣いたのに。
でも、こころにぽっかり穴が開くというのはこういうことなんだ。
それを痛感している。
時間があれば毎日、仏壇の前でおばあちゃんに話しかけている。
遺影のおばあちゃんは、何を言っても微笑み返してくれているから。
おばあちゃんが好きだったタンポポの花。
お線香の匂いがしていたおばあちゃん。
その煙に黄色い花びらが、小さく揺れる。
小さい頃は本を読んでくれたり。
昔の話を聞かせてくれたり。
庭の手入れを一緒にしたり。
友達と遊ぶよりも過ごす時間が多かった。
でも、中学校、高校と年齢を重ねていって。
おばあちゃんと過ごす時間は減っていった。
私が高校を卒業するころには認知症を患って。
私のことすら分からなくなっちゃって。
私の名前をお母さんと間違えたり。
急に怒りだしてぶたれたり。
それが嫌で、冷たい言葉を浴びせてしまった事もあった。
お母さんは仕事を辞め、おばあちゃんの介護をしていた。
私も現実を認めたくない気持ちはあったけど。
大学生活の合間、たまに一緒に散歩をすることはあった。
――公園のベンチで休んでいる時。
遊具で大きな声を張り上げて遊ぶ、小学校低学年くらいの子供たちを見て。
「ほら、恵美子。見てごらん。有希にそっくりでかわいい子」
「ああ、うん。そうだね」
恵美子はお母さんの名前。
有希が私。
クスッて私が笑うと。
「有希は笑ってる顔が一番かわいいな」
「え?」
一瞬、あの頃のおばあちゃんが戻ってきた気がして横顔を見た。
けどでも、それは遊んでいる子供たちを見て出た言葉だった。
ただ、目尻の下がった眼差しは、小さい頃の私を見るものと同じだった。
視線の先に見えているのは、あの子達と同じくらいの時に私かもしれない。
ふと見たベンチの脇の木の傍にタンポポがひっそりと咲いていた。
私はそれを摘んで、おばあちゃんに見せた。
「あら、有希が好きなタンポポ。持って帰ってあげたら喜ぶな有希」
タンポポが好きになったのは、おばあちゃんが好きだったからだよ。
「うん。そうだね」――
たぶん。
私の中に後悔があるんだと思う。
もっと、おばあちゃんにしてあげられたことあったのかなって。
自分の気持ちばかり押し付けて。
辛く当たってしまって。
小さい頃、私にいっぱい色んなことしてくれたのに。
「なあに、また、おばあちゃんと話してるの?」
お母さんは私の隣にそっと座った。
「うん」
「おばあちゃん、有希にも感謝しているから。分かってるから」
「そうかな」
お母さんは背筋を伸ばして、大きく息を吐いた。
「おばあちゃん有希のことを私だと思っていたでしょ?」
「ああ、うん」
「私のことを有希と間違えてもいたんだよ」
「そうなの?」
「ある時、私を有希だと思ってこう言ってたよ、おばあちゃん」
お母さんは言葉を探しながら話し始める。
「『有希、あんた今日、学校は?』って。私にだよ。でも、おばあちゃんの中では……小学生の頃の“有希”なんだよね」
少しはにかんで小さく息を吐くお母さん。
「それからね、『ご飯食べた?』とか、『宿題終わらせなさいよ』とか、全部、昔、有希に言ってた言葉ばっかりだった」
そこで、ふっと笑ってしまうような、悲しいような声になる。
「でもね……途中で急に黙って、私の顔をじっと見て、こう言ったんだよ」
「なんて?」
「『……有希は、どこに行ったん?』って」
低く、抑えた声のお母さん。
その一言だけが、妙に鮮明だった。
「『“有希”はどこ?』って探してた。私の顔を見てるのに、“有希”じゃないって分かる瞬間があったみたいでね……」
お母さんは少し笑いながら首を振る。
「さすがに、お母さん哀しくなって涙こぼしたらさ、『よしよし、涙はたくさん流しなさい。でも、有希には一番、笑顔が似合うって、おばあちゃんの魔法の言葉、想い出してごらん』って」
「魔法の言葉……」
ああ。
忘れていた。
いつだったかな。
そうだ。
中学の時、告白して振られて。
一人部屋で泣いていてたら。
おばあちゃんが勝手に入ってきて。
その時だ。
涙はな、こころのごみを掃除してくれる。
いくらでも流していいんだ。
笑顔はな、こころに花を植えてくれる。
いくらでもわらっていいんだ。
どっちも大切なんだよ。
でも、無理に泣いたり笑ったりしなくていいんだよ。
しくしく、にこにこ。
どれも素敵な有希なんだよ。
そして、有希の笑顔は他の誰かを笑顔に出来る、タンポポの種なんだ。
フワッと飛んで、遠いどこまでも、幸せの花を咲かせていくんだよ。
拙文、お読み下さりありがとうございます。




