さしのべられたもの 香取諒視点
このエピソードは、拙著「カゲヌシ」の中の一場面です。
主人公の一人。香取諒の視点です。の視点です。
昨日投稿した、もう一人の主人公。真名井文菜の視点と合わせて、お楽しみいただけましたら幸いです。
*注:「カゲヌシ」恋愛作品ではありません。
校門を出た所で雨がパラついてきた。
鞄から折り畳み傘を出し、手際よく差す。
パラパラと雨が傘に不規則に跳ねる。
「?」
視線の先、バス停脇の街路樹で雨をしのいでいる文菜がいた。
うらめしそうに灰色の空に向かって白い息を吐き出している。
その姿が妙に面白くて単純に可愛らしく見えた。
クラスメイトだが日常的な挨拶をするくらいで。
明るくて友達といつも輪を作り、分け隔てのない優しい美人。
それと神舞の舞手を務めていた。
それから……
でも、そのとき目にした彼女は、そういった“誰にでも優しい文菜”とは違っていた。
どこか不器用に、空と会話しているように見えた。
灰色の雲を見つめ、小さく白い息を吐く。
そしてマフラーの奥に顔を埋めながら、何かと必死に戦っているような横顔。
教室で見る穏やかな姿とはまるで違って、あまりに無防備で、心の内をさらけ出しているように見えた。
傍に近づいても気づかずそっと傘を差し出す。
「え? 香取君?」
目と口をまんまるにして、こちらを見上げてくる。
余程驚いたのだろう。
「風邪ひくよ」
「え、でも……」
文菜は雨に濡れた自分の肩を見つめていた。
「ああ、俺は濡れても平気。……真名井さんが風邪引いたら、面倒だろ」
自然に出た言葉だったが、自分でも少し戸惑う。
でも、面倒って、なんだよ。
気になっているって事なのか……
「……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
何故か嬉しそうに笑っている。
人に近づくことに、抵抗があったはずなのに。
自分に向けられた笑顔が、思っていたよりもずっと自然に心の中に入り込んできた。
傘の下にふたり。
肩が、少しだけ触れそうな距離。
何を話せばいいか分からず、ただ雨の音と風の流れを感じていた。
風が吹き、傘がわずかに揺れる。
そのたびに、彼女が濡れないよう無意識に傘を傾ける自分に驚く。
「風冷たいな」
「……雨、意外と好きかも」
「なんで?」
「こうやって、普段話さない人と話せるから」
俯く文菜を見て、面白い事を考える子だなと思った。
何故か……
「確かに……それ、俺も今思った」
同じことを思っていた事に思わず頬が緩んだ。
やがて、バスに乗り込み二人掛けのシートに並んで座る。
驚いたのは、文菜は自分が呼んでいる文庫本のタイトルを、全部知っていたこと。
クラスでそんな話をしたことは、一度もないのに。
それ以外にも文菜は自分の事を色々と知っていた。
それを楽しそうに、嬉しそうに話しながら、「好きな物は?」「それで?」「他には?」と質問を次々と投げてきた。
ああ、自分のことを知ろうとしてくれているんだ……
そう感じ、戸惑いながらも、何故か悪い気はしなかった。
それから、クラスでも会話するようになったけど、それ以上の進展はなかった。
自分が望めばあったのかもしれない。
だけど、踏み出すことはなかった。
東京の大学に進学が決まっていたのも理由の一つだが、一番の枷になったのは、自身の境遇。
それが、自分のなかで、どこか線を引いてしまっていた。
卒業式の日、文菜は制服のボタンをせがんで来た。
断る理由はないからボタンを外し、文菜のか細い両手の上にそっと置いた。
両手でボタンを包み込み、何か言いたげに下唇を噛みしめていた。
少しの沈黙が流れ――
「……ありがとう、諒くん」
潤んだ瞳で見上げ、微笑んだその顔は、あの冬の日と同じように、何かと会話しているような、不思議な静けさを湛えていた。
もし、連絡を取っていたら、今とは違う時間が、あったのかもしれない……
俺は首を振り、現実に意識を戻す。
拙文、お読み下さりありがとうございます。




