しぐれて
駅から続くアーケード。
学校までの通学路。
屋根の端からこぼれる雨が、一定のリズムで地面を叩いている。
朝の街はまだ眠そうで、人の気配もまばら。
僕は、アーケードが途切れる手前で立ち止まっていた。
学校まではあと十分。
だけど、その先の道にはもう屋根がない。
傘を持っていない僕は、そこから先へ進めずにいた。
忘れたわけじゃない。
天気予報は見ていたけど、空がまだ曇りだったから。
なんとなくいける気がして家を出た。
けど、駅に着いたら土砂降り。
降水確率50%の勝負に負けた。
それは、さておいて、そろそろ時間だ。
僕がいつも早く家を出るのには訳がある。
7時45分――
この時間、ここを通る彼女に会いたかったから。
ただすれ違うだけの、ほんの10数秒のために。
ブレザーのスカートから伸びる細い足。
大きな瞳。
つややかな唇。
肩までの髪を耳に掛けて、イヤホンをして、少し飛ぶように歩く。
かわいい子。
ザー。
雨足が強くなり、目の前の道路を走る車は飛沫を上げていた。
僕は立ち尽くしたまま、灰色の空を見上げる。
風が吹くたび、雨粒が飛んできて頬にかかる。
制服の裾も少しずつ濡れていく。
そのとき――
パラパラパラ。
雨を弾く音。
顔を上げると、水色の傘が近づいてくる。
チラッと見えた顔。
彼女だった。
アーケードに入り傘を畳む。
小さく息をつくように前髪を直している。
すれ違う一瞬でいい。
そう思っていたのに、彼女は僕の前で足を止めた。
「……傘、ないの?」
不意に話しかけられて、あたふたする。
「え、あ……うん。家出る時は、降ってなくて」
「そっか。けっこう降ってるね」
想像していたよりも高い声。
彼女は少し空を見上げる。
横顔に見惚れてしまう。
すると、目が合って――
彼女は少し、はにかんで、すっと、僕のほうへ傘を差し出した。
「これ、使って」
「えっ!?」
「この先、屋根ないでしょ? 私、もう駅すぐだから大丈夫」
「いや、でも君は……濡れるよ」
「平気。電車、すぐ来るし」
そう言って、彼女は小さく笑う。
口の端が上がって、目尻が下がって、頬が丸くなって――
間近で目にした笑顔は、とてつもなく、かわいかった。
「どうしたの?」
「あっ、いや、じゃあ、借りるね……」
傘の取っ手を持とうとしたら――
彼女の手に、指先がかすかに触れた。
一瞬のことなのに、温かさと柔らかい感触を確かに感じた。
「ありがとう……!」
「ううん。あ、でも……ちゃんと返してね」
「もちろん。えっと、どこで返せばいいかな」
「うーん……」
少し考えてから、彼女は地面を指さした。
――僕がいつもいる場所。
「じゃあ、ここで。明日もこの時間、通るから」
「わかった。必ず」
「じゃあ、またね」
彼女は小走りに駅の方へ消えていく。
その背中を見送るうちに、全身がじんわりと温かくなっていく。
ザーッという雨音が、ファンファーレに聞こえる。
大きく息を吐いて、傘を開く。
内側に小さな白い花の模様が散っていた。
かわいいな。
彼女の雰囲気そのままの、やさしい色。
それを見て、にやけてる自分に気がついた。
鼻歌交じりに歩き出す。
パラパラと傘に軽やかに跳ねる雨。
「またね」
彼女の声が頭の中に広がって。
間近で見れた笑顔が焼き付いて。
傘を忘れて途方に暮れたけど。
恨めしく思った雨にさえ感謝している始末。
明日、会ったら――
何て言おうかな。
傘を貸してくれたってことはさ。
もしかしてさ。
きっとさ。
拙文、お読み下さりありがとうございます。




