放課後、きらめく水音の中で
水泳の補習が終わったプール。
夕方の光が水面にゆれて、私ひとりだけが取り残されていた。
水着の上に羽織ったタオルから、水がぽたぽた落ちる音。
誰もいない静かな空間に、私の鼓動だけが響いてる気がした。
「……あれ、お前だけ?」
その声に振り返ると、日向くんが立っていた。
普段から、女子にモテて、ちょっとチャラいと言われてる人。
でも私は――
そんな彼に、本気で恋をしていた。
シャツの袖をまくって、少し汗ばんだ髪。
体育会系でもないのに、なぜか似合ってしまう、その姿。
「どうしてここに……?」
「先生にプリント届けに来ただけ。……で、偶然ってわけ」
軽く笑って、彼は近づいてくる。
私はタオルをぎゅっと握った。
水着姿を、見られてるのがわかる。
視線が肌の上をなぞるみたいに感じて、全身が敏感になっていく。
「……お前、さ」
彼の声が近い。
「意外と、スタイル、いいんだな」
ドキッとした。
「やめてよ、からかわないで……」
「いや、ホント。なんか、ドキッとした」
それがただの“興味”なのか、“からかい”なのか、わからない。
でも、彼の視線は、明らかに私を“女の子”として見ていた。
私はずっと、彼のことが好きだった。
笑う顔も、無表情でそっけない態度も。
全部ぜんぶ、愛しくて、触れたいと思ってた。
でも、彼が今、私に向けてるのは――
“そういう目”。
それが嬉しくて、怖くて、でもやっぱり嬉しかった。
「……日向くん」
小さく名前を呼ぶと、彼はほんの少しだけ表情をゆるめた。
「なに」
「わたし……ほんとに、好きなんだよ。前からずっと」
ふと空気が止まったように感じた。
彼は一歩だけ近づいた。
「……知ってるよ。でも、俺は……どうだろな」
その言葉に、心がぎゅっと締めつけられる。
“好き”って気持ちは、伝えたら返ってくるわけじゃない。
彼の目に映る私は、“都合のいい女の子”なのかもしれない。
でもそれでも――
今、この距離が、壊れてしまうのが怖かった。
「ねぇ、お願い。今日はこのまま、少しだけ話そうよ」
私はそう言って、彼のシャツの裾をそっと掴んだ。
彼は驚いたように目を細め、
でもなぜか優しく、「……ああ」とだけ返した。
そうしてふたり、誰もいないプールサイドに並んで座った。
誰もいないプール。
水の音だけが、遠くでちゃぷちゃぷと響いてる。
私の心臓はバクバク鳴ってる。
でも、それ以上に、彼の隣にいられる時間が愛おしかった。
たとえ、“好きの重さ”が釣り合ってなくても――
今だけは、彼の隣で、少しでも“特別”でいたかった。
隣に座る日向くんから、肌を撫でるような体温が伝わってくる。
「……なあ」
ふいに、彼が言葉を落とす。
「お前って、さ。……本気で俺のこと、好きなの?」
思わず息を呑んだ。
さっきの告白、やっぱり軽く受け取られてるんだろうか。
でも、私はちゃんと目を見て答えた。
「……うん。冗談で言うわけないじゃん」
日向くんの目が、一瞬だけ揺れる。
それから、何かを誤魔化すみたいにふっと笑った。
「そっか。……困るな、俺」
「……なんで?」
「だってさ。今のお前、すっごい可愛いし。水着だし……」
彼の目線が、私の肩から脚のラインをなぞる。
濡れた水着にピタリと沿った肌、冷たい風で立った鳥肌。
そんなふうに見られてると思うと、
恥ずかしさと、嬉しさと、怖さが一度に押し寄せてきた。
「……そんな目で見ないで」
私は小さくつぶやく。
「でも、見ちゃうよ。……好きって言われたら、さすがに意識する」
そう言って、彼がそっと近づいた。
タオルの端をつまんだ私の手に、自分の指を重ねる。
「……触れてもいい?」
その一言に、身体がびくりと反応した。
“この人は、私のことを好きじゃないかもしれない”
でも今、この距離、この手の温もりは――
本物だった。
私は、ほんの一瞬だけ迷って、それから目を閉じた。
「……うん。少しだけ、なら」
彼の指が、そっと頬に触れる。
熱いような、くすぐったいような――
でも、嫌じゃなかった。
ほんの少しだけ、距離が縮まった。
触れただけ。
でもそれだけで、心臓が破れそうなほど鳴っていた。
日向くんはそれ以上、無理には触れてこなかった。
ただ、じっと私を見て、小さくつぶやいた。
「……なんかズルいな、お前」
私は聞き返せなかった。
ズルいのは、きっと彼の方。
でも、その言葉が少しだけ、優しかったのも事実だった。
拙文、お読み下さりありがとうございます。




