え!?
放課後の校舎は、文化祭前だというのに妙に静かだった。
クラスのみんなは体育館の飾り付けに行っているはず。
私は借り物を取りに、美術室に向かった。
スーッと扉を開けた瞬間、かすかな鉛筆の音が耳に触れた。
窓際の机に、片思い中の彼がひとり。
どうして?
急に心臓が音を立てはじめる。
彼は肩を少し前に落として、紙の上に視線をはわせ、手首をゆっくり動かしている。
陽の光が髪の一部を透かして、淡い金色に見えた。
息をするのも忘れるくらい見惚れてしまう。
ふと我に返る。
私なんか……彼に似合わないもんね。
声を掛ける勇気がないから。
でも、何を書いてるのか気になって。
そっと、そっと、足音を殺して近づく。
けれど、ドキドキの音が彼に聞こえてしまいそうで。
胸に手を添えて、抑えるように、そっと、そっと。
すぐそばで聞こえる鉛筆の擦れる音が、やけに規則正しい。
彼の指先は迷いなく動いていて、その横顔には集中の色が滲んでいる。
視界に入った線の集まりを見て、呼吸が止まった。
──私。
正確には、机に肘をついて窓の外を眺める、私の横顔。
頬の線も、睫毛の影も、見覚えのある形をしている。
心臓が一拍、強く脈打った。
視線を逸らすべきなのに、身体が言うことを聞かない。
彼の人差し指が鉛筆の位置を微かにずらすたび、肩がわずかに上下する。
その仕草にさえ、目が離せない。
私の顔を優しい手つきでなぞるように。
頭に血が上り、ぽーっとしてくる。
いけない、
何を借りに来たのかも忘れてしまった。
振り返ろうとしたら。
けれど足が、床に根を張ったみたいに動かない。
耳の奥で自分の鼓動だけが響いている。
目は絵をとらえたまんま。
今、息を吸えば、その音が彼に届きそうで。
ほんの一歩が、どうしてこんなに遠いの。
──ギシ。
椅子が軋み、彼が振り向いた。
不意に目が合う。
黒目が一瞬揺れて、それから眉がわずかに上がる。
「……おまえ、いつから見てた?」
スケッチブックを閉じようとする指が、ページの端を少し震わせている。
その動きが、何を隠そうとしているのかを雄弁に語っていた。
私はぶんぶんと首を振る。
訳もなく否定する。
もうこの動きの時点で見ていたと言っているようなもので。
恥ずかしい、でも──
知ってしまった。
彼が、私をこういう目で見てくれていたという事実を。
ってことは好きだよね。
一度は下がったはずの体温が、また、上がってきて一人で勝手に顔がぽーっとなる。
うつむいて、合わせた手の指が落ち着かない。
上目づかいでちらちらと彼の様子がうかがう。
「変なとこ、来たな」
彼が片方の口角をほんの少し上げる。
笑顔というより、困ったときの癖みたいな表情。
それを見ただけで、呼吸が浅くなる。
「……ごめん」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
でも、本当は──
謝るよりも、もっと彼の絵を見ていたかった。
鉛筆の先が私をなぞる、その瞬間まで。
拙文、読んで下さりありがとうございます。




