11. 上限が高すぎる場合と低すぎる場合
幸福の上限をどこに設定するかは、人の人生の安定性と充実度を左右する。だが、多くの人が陥るのは「上限の高さそのもの」に対する誤解である。単純に高ければ向上心があり、低ければ安定志向であるという表面的な解釈では、幸福を持続させることはできない。重要なのは、上限の水準に潜む構造的な罠を理解することである。
1. 上限が高い場合
上限が過度に高い人は、常に「不足」を意識する傾向にある。たとえ一定の成果を得ても、それを成功として評価できず、次の目標に急かされるように進んでしまう。この心理構造は、一見すると向上心や成長意欲の表れのように見える。しかし実際には、満足の基盤を自ら崩してしまう不安定な幸福構造である。
さらに、上限が高すぎる場合には「比較依存」が強まる。他者と自分を常に比べ、自分の成果を相対的に矮小化してしまう。これにより、本来は十分に価値のあるリターンを得ているにもかかわらず、主観的には幸福を感じにくい。結果として、幸福は「未来に先送り」され、現在は慢性的な不足感に支配される。
2. 上限が低い場合
一方で、上限を過度に低く設定することにも問題がある。低い上限は安定を与えるが、それはしばしば「停滞」と同義になる。挑戦を避け、リスクを最小化することに集中するあまり、本来なら得られるはずの成長や達成感を自ら放棄してしまう。
この状態は後に、「後悔」として表れる。若いうちは「これで十分」と思えた基準も、年月を経て振り返ったとき、「自分にはもっと可能性があったのではないか」という疑念を生む。低すぎる上限は、目先の安定を保障する代わりに、長期的には自己評価を下げ、幸福を侵食する危険をはらんでいる。
3. 両極端の共通性
高すぎる上限と低すぎる上限は、一見正反対のように見えるが、いずれも幸福を損なう点で共通している。高すぎる場合は「際限のない不足感」という形で、低すぎる場合は「停滞による後悔」という形で、それぞれ幸福の持続性を壊してしまう。つまり、幸福を阻む最大の罠は、上限を極端に設定することそのものにある。
4. 適切な上限の意味
適切な上限とは、単に「中間的な水準」を意味しない。それは、自分の人格や能力、環境に即して「努力すれば届きうるが、無理をすれば破綻する」という現実的な水準である。ここに上限を置くことで、人は努力による成長と妥協による安定の両立を実現できる。
結論として、上限が高すぎても低すぎても幸福は持続しない。高すぎる上限は無限の不足感を生み、低すぎる上限は停滞と後悔を生む。幸福を安定的に享受するためには、この両極端を避け、自らの現実に即した適切な上限を見極めることが不可欠なのである。
評価をしてもらえるとモチベーションが
上がりますのでよろしくお願いします (^^)




