第39話 浮かれるソフィア
リビングへ続く扉の陰から、じっとアダムの姿を観察するソフィア。
「……」
アダムは真剣な顔つきで新聞を読んでおり、自分がのぞき見されていることに少しも気づいていない。
(どうしましょう……あんなに熱心に新聞を読んでいるのに、声をかけても大丈夫なのかしら……?)
脳裏に先程ベスと交わした会話が蘇る。
『奥様、ファイト!』
(そうよ、ソフィア。アダムさんは、私の夫……お客様では無いわ。遠慮は無用よ……!)
決意を固めたソフィアはリビングの中へ入っていった。
「大変お待たせいたしました、アダムさん!」
それは自分でも驚くほどの大きな声だった。その証拠に、新聞を読んでいたアダムの肩がビクリと跳ねる。
「失礼いたします」
ソフィアはアダムの向かい側のソファに腰かけると背筋を伸ばして笑みを浮かべるも……内心、緊張で一杯だった。
(大丈夫かしら? 私、ちゃんとやれているのかしら?)
チラリとアダムの様子を伺うと、彼も優しい笑顔でソフィアを見つめている。
「いえ、大丈夫ですよ。突然押しかけてきたのは私の方ですから」
アダムは新聞を畳むと傍らに置いてある鞄にしまい、躊躇いがちに言った。
「えぇと……ところでソフィアさん。昨夜のことですが……」
「あ……」
昨夜の話を持ち出され、ソフィアの顔が青ざめる。何しろ昨夜の記憶が一切無いからだ。
「その、昨夜は……」
「大変申し訳ございませんでした!」
アダムが何か言うよりも早く、ソフィアは謝罪の言葉を述べた。
「え? ソフィアさん、何故謝るのですか?」
「はい、実は昨夜の記憶が全く無くて。食事の途中までは記憶があるのですが、そこから先が覚えていないのです。私……多分ご迷惑をおかけしてしまいましたよね?」
上目遣いでアダムを見ると、何故か呆然とした顔でソフィアを見つめている。
「あの? アダムさん?」
「……そんな。覚えていないなんて……」
「アダムさん? どうなさったのですか?」
「いえ、何でもありません。こちらの話です。ですが、ソフィアさんが酔ってしまったのも二日酔いになってしまったのも全て私の責任です。申し訳ございませんでした。」
今度はアダムが頭を下げてきたので、慌てるソフィア。
「な、何を仰っているのですか? これは自己責任ですから、アダムさんのせいではありませんよ?」
「ですがソフィアさんと夫婦になって初めての食事が嬉しくて、ついワインを勧めてしまったからです。全て私の責任です。今後はもっとアルコール度数の少ないワインを用意させていただきますね。それと、言いそびれてしまいましたが……ソフィアさん。今日の貴女はいつにもましてお美しいです。そのデイドレス……とてもよくお似合いです」
「ア、アダムさん……ありがとうございます……」
美しい、よく似合うと言われてソフィアの胸は高鳴る。
「そうそう、ソフィアさん。実はあなたにお渡ししたいものがあるのです」
アダムはポケットから1枚の小切手を取り出すとテーブルの上に置いた。
「あの、これは……?」
「はい、今月分のソフィアさんへの……お小遣いです。ご自由にお使いください」
「お、お小遣いですか……?」
(夫婦というものは、お小遣いを貰うものなのかしら?)
首を傾げながら受け取り、ソフィアは目を見開いた。
「ええ!? アダムさん! これって……150万リラじゃないですか!」
「はい、そうですが……あ、もしかして少なかったですか? だったら0を付け足して……」
「いえ! そんな! とんでもありません! むしろ多すぎるくらいですから!」
何しろ、ソフィアがスミス商店で貰っている賃金は月々約15万リラ。それが10倍もの小切手を渡してきたのだから。
「多すぎると言うことはありません。これは私の妻になってくれた感謝の気持ちですから。ですが足りないときはいつでも言って下さいね。毎日私はソフィアさんに会いに来ますから」
「ア、アダムさん……」
先程からアダムに嬉しいことばかり言われて、ソフィアはすっかり天にも昇るような気持ちでのぼせていた。
だから気付かなかったのだ。
「では、本日はこの辺で失礼させていただきますね? お見送りは大丈夫です。まだお加減が良くないでしょうから」
「はい。分かりました。又お待ちしておりますね?」
アダムが帰ると言うことに何の違和感もなく、返事をしていたことに――




