第22話 夢のような時間
「ソフィアさん、実はもう指輪を買う店は決めているのです。その店はこの界隈では最も大きく、種類も豊富にあるのできっとお気に入りのデザインの指輪が見つかるはずです。ですがもし気に入ったデザインが無ければ一から作ってもらおうと考えています」
2人で並んで歩きながら説明するアダム。
「い、いえ。私はどんな指輪でも大丈夫ですから」
何しろ憧れていたアダムとの結婚なのだ。ソフィアは今こうして2人で過ごせるだけで幸せだった。
「そうですか? ですが私達は夫婦になるのです。遠慮せず、何でも言って下さいね?」
「はい……ありがとうございます」
アダムの「夫婦になる」という言葉に、ますますソフィアの頬は赤く染まる。
「あ、この店ですよ」
アダムが足を止めたので、ソフィアは店を見上げた。
「まぁ……この店は……」
その宝飾店はソフィアの勤めている『スミス商店』の数軒先にある店だった。
「ご存知ですよね? こちらのお店は」
背の高いアダムが背後から尋ねてくる。
「えぇ、勿論です。確かにこの宝飾店は大きいですよね」
ソフィアは店のお使いや、昼食の時に度々この店の前を通っていた。
その度に店を出入りする紳士や貴婦人を羨望の眼差しで見つめていたのだ。自分とは、もう無縁の世界にいる貴族たちを……。
「では、中に入りましょう」
「あの! お待ちください!」
扉を開けようとしたアダムを止めた。
「どうかしましたか?」
「い、いえ。あの……こちらの宝飾店は高い事でも有名です。そんなお店で買う訳にはいきません。私は持参金すら出せませんし」
情けないとは思ったが、正直な気持ちを話した。するとアダムが真剣な眼差しを向ける。
「ソフィアさんは、この私を何だと思っているのです? 見くびられては困ります。私がその気になれば、この宝飾店を丸ごと買うことだって出来るのですから。では入りましょう」
アダムはきっぱり言うと店の扉を大きく開け放った――
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――2時間後
ソフィアとアダムはこの町一番の高級店で食事をしていた。
「お味はいかがですか? ソフィアさん」
向かい側に座るアダムが肉料理にナイフを入れながら尋ねる。
「は、はい。とても美味しいです。……あの、でも本当によろしかったのでしょうか?」
「何の話ですか?」
「先ほどの宝飾店でのことです。あんなに高級な結婚指輪を買っていただいて、そのうえお食事までご馳走になっております。私は持参金すら用意出来ないのに申し訳ありません」
父親の事業が失敗して借金で家を手放してからというもの、ヴァイロン家は貴族間の社交界から一切無視されるようになってしまった。そのせいでソフィアは自分を卑下する様になってしまっていたのだ。
思わず俯いたとき。
「顔を上げてください、ソフィアさん」
「……はい」
顔を上げると、こちらをじっと見つめているアダムと視線が合う。
「私は持参金が欲しくてソフィアさんと結婚する訳ではありません。貴女の仕事に取り組む前向きな姿に好意を抱き、結婚を申し込んだのです。貴女はとても立派な女性です。どうかそのようにおっしゃらないで下さいね」
その声は優しく、ソフィアの心に染み入った。
「アダムさん……ありがとうございます」
アルコールランプの揺れる灯りに照らされたアダムはいつも以上にソフィアの目に魅力的に映るのだった――
****
――夕食後
店の前でソフィアはアダムが手配した馬車に乗っていた。
「アダムさん。迎えの馬車まで手配していただき、ありがとうございます」
「いえ。これくらい当然のことです。お金も支払い済みなので御安心下さい」
「はい。……それであの、アダムさんは……お乗りにならないのですか?」
未だに馬車の外に立つアダム。てっきりソフィアは2人で一緒に馬車に乗るものだと思っていた。
「はい、申し訳ございません。この後、まだ仕事が残っておりますので」
「え!? そうだったのですか? こ、これは大変申し訳ございませんでした」
「いえ。ソフィアさんと有意義な時間を過ごすことの方が大事ですから。では、お気をつけてお帰り下さい」
アダムが扉を閉めるのを合図に、馬車は音を立ててゆっくりと走り始めた。
「……」
アダムは馬車が走り去ると、懐中時計を取り出して時間を確認する。
「……そろそろ待ち合わせの時間だな。行くか」
ポツリと呟くと足音を響かせ、夜の町へ消えて行った――