悪役令嬢に転生したおれ、幼い頃のはじまりのおはなし
おれか? おれのことなぞ、どうだっていい。
どうしても知りたいっていうなら、一つだけ教えたって構わないことがある。おれは、おれの生まれ育った街では知らぬものなしというぐらいの、飲んだくれだったということだ。
それも、とびきりの飲んだくれだ。たいして多くもない稼ぎを、ぜんぶ酒に変えちまい、人生のなにもかもをうっちゃって飲んだくれたもんさ。
そのうち、うっちゃっていくものが、どんどん無くなっていって、しまいにゃ失うことができるものは命だけというありさまになったんだ。
その最後に残った命も、酔っ払いならではのとんまさで、いつの間にやら落としちまった。
命というやつは、いちど落としたら、もう拾うことのできないもののはずだが、どういうわけか、おれの眼はぱっちり開けることができた。
最初のうちは、わけがわからなかったが、しだいに物事のみきわめがつくようになって、おれもやっと事の次第が飲み込めた。
どうやら魔法だのなんだのがある異世界というところに転生したのだ。異世界とはいっても、コミックやアニメ映画がいくつもできるような、大はやりのゲームだ。なんたって、おれでも知っているぐらいなんだから。
そうはいっても、電気の水道もない世界で、もう一度、人生をやりなおすなんざ、あまり気がすすむもんじゃないが、ぶつくさいったってしょうがない。酒さえのむことができたら、やり直しの人生だってなんとかやりすごせるだろう。
ただ、どえらい問題がひとつある。おれが転生したのは、悪役令嬢というやつだったのだ。
いつ、自分が転生したか気付いたかというと、あんまりはっきりしたもんじゃない。子どもが、両親がいて、街があって国があると、世界を認識していくように、おれはだんだんと自分に前世の記憶があり、転生しているのだと自覚するようになっていった。
おかげで言葉も自然におぼえられたのはありがたかった。言葉がわかると自分の名前がわかる。自分の名前はアドライア・クレアノーレというのがわかり、母親がどこぞの皇帝の娘であり、父親が血統目当てに結婚した商家の次男というところまでわかってくると、はて、おれはこの名前にも家族にも心当たりがあるぞとなる。
だんだん前世の記憶がもどってきたところで、こりゃあゲームの世界に転生しちまったようだ、おまけに悪役令嬢に転生したんだぞと飲み込めた。まったく、ひとむかし前のはやりものまんまじゃないか。
はやりものの中じゃあ、悪役令嬢というやつは、たいがいヒロインをいじめた罪で処刑だの追放だのとひどい目にあう。だれかを殺したわけでもあるまいに、あんまり可哀そうじゃないかと思ったが、まあそういうのを見たいってのが群集心理というやつだろう。パンがなければ菓子を食えといったお姫さまのころからそうじゃないか。
さて、おれが転生したこのゲームではどうだったかしらん、と思い出そうとするが、どうもはっきりしない。まあ、なんだってかまやしないさ。どうせロクでもない人生のロスタイムだ。好きなようにやらせてもらうさ。
ところで、おれが転生したゲームの名前だが、伏せさせてもらう。なにせ、このあとおれは、酒に煙草に夜遊びと放蕩の限りを尽くすつもりだ。コンプライアンスてやつに、にらまれちまうからずばりとわからないようにしておく。名前や地名なんかはちょいともじっておくだけだから、読者のなかには元がなんだか気づく方もいるかもしれないが、ご本家に伝わらないようにだまっておいてくれ。
おお、コンプライアンスよ!なんじ飲酒と喫煙と姦淫と暴力とそのほか悪いこといろいろを世の中から消し去り、健全な社会を造りしものよ!
実のところは臭いものに蓋をして、いやなことから目をそらしているにすぎないんだけどな。
4歳になり、前世の記憶がある事に慣れたころに妹が生まれた。
父親に呼ばれ、母親の部屋にはいると、かわいらしい赤ん坊がいた。いつもは神経質で近づきがたい母親だったが、赤ん坊を抱いている姿は美しかった。聖母マリアさまだってんじゃない、しかめっ面をしないで微笑んでりゃ、母親というのは美しいものなんだ。
「あなたの妹、エレノラよ」
母が言った。赤んぼうの、形のいい目がぱっちり大きくひらいておれを見た。ぷくぷくとした頬をつつくと、心地よさそうに声をあげた。
ほんとうに可愛らしい赤んぼうだ。そうだ。思い出したぞ。この愛らしく賢さの片鱗を見せる妹は、いずれ家族や使用人たちの愛情を集めることになる。そう、アドライア以上にだ。よくあることだが、妹に嫉妬したアドライアは妹をいじめ、妹は陰キャになってしまう。陰キャだってさ。前世の世界じゃもう死語になってるかな。
でもおれは、かわいい赤んぼうをいじめやしない。だいたい、他人の子どもをわざわざいじめたって面白いことなんて起きやしない。
それでも、家族が増えるというのは、そう悪い気分でもなかった。
家族が増えるといえば、6歳の誕生日に、家族みたいなのが増えた。朝食を食べ終えると、父親がおれを引き止めた。
「パーティーまで待たせておくのもなんだからね、いま、引き合わせることにした」
父親が手まねきすると、女がふたり、メイドに連れられてきた。ゲームの世界だからか知らないが、この世界はやたらと美人が多い。それでもなお、ふたりはとんでもない美人だった。
ひとりは銀髪、ひとりは金髪、肩で切りそろえられた髪はつややかで、絹のようなという例えはまさにこれかといったぐあいだった。
顔立ちも完璧だった。目も耳も口も、大きさといい形といい、文句のつけようがなかった。抜けるような白い肌に、どこか怜悧な印象の美貌で、いつだったか、博物館でみた日本刀のような印象があった。
なにより目立つのがとがった耳だ。5センチほどのびており、見るものに蝶の羽根のような印象を与えるが、妖しげな雰囲気もあり、それがまたひとの眼をひきつけずにはいられないのだった。
そう、エルフがふたり、おれの前に立っていたのだ。
「奴隷が欲しいと言っていたろう」
そんなことを言ったろうか?言ったんだろうな。実のところ、おれとアドライアの意識はまざりあっている。たまに、高慢ちきで傲岸不遜ではなもちならない悪役令嬢の役目を果たすことがある。
二重人格だとか、意識がふたつあるとか、そういうんじゃないのがやっかいなところだ。いや、あたまのなかに、だれかがいないのは良かったかもしれない。四六時中、だれかといっしょなんてこた、ぞっとしない。
「ああ、そんなことも言いましたっけ」
忘れたふりをしたが思いだした。国中の貴族の、だれも持っていない奴隷がほしいと。
父親は6歳の子どものすました返事に鼻白んだようだが、もちまえの鷹揚さを我が子に発揮することにしたようだった。
「そろそろ、家庭教師をつけるころでもあるし、専属の侍女が必要だろう、たしかに、奴隷を持つというのを認めてもよかろう」
ごほうびはいつもらっても悪くない。サプライズならなおさらだ。おれはありがたくふたりの身を受けることにした。
それからさっそく、おれはふたりをひきつれて屋敷を練り歩いた。はたからみりゃ、意気揚々と見せびらかしていたようにみえたろうが、そういうわけでもない。
ふたりを最初に連れていったのはおれの部屋だった。家具は華美ではないが、品のよいものがそろえさせていた。それが意外だったのか、エルフのふたりは、ほうと声をもらした。
「女の子らしくない部屋だとはよく言われるよ」
「いいえ、お嬢様。男の子の部屋というには繊細ですわ」
「男の子だったら脱ぎっぱなしの靴下だとか、食べかけの干し肉だとかが散らばっていることでしょう」
「ありがとう。あー、名前をきいていなかったな」
「ミンと申します」と金髪のほう。
「フィリアです」こっちは銀髪のほうだ。
いっておくが、このふたりの名前はてきとうなもじりで付けたやつだ。さっきも書いた気がするが、元のゲームがなんだかわかっちゃ、権利だのがこうるさいんだ。聞き覚えがあっても黙っておいてくれ。
「じゃ、ミンとフィリア、この部屋のものは好きにつかっていいし、足りなければいってくれ。用意させる」
「身にあまる待遇、感謝いたしますわ」
しゃっちょこばってるなぁ、と思ったが、初対面のあるじだ。かたくなるのも仕方ないし、ワガママお嬢様で通っているはずなのだ、元のゲームであれば。
「そうだ、きみらの部屋はどこだ?呼んだらすぐこれる部屋だろうな」
「申し訳ありません、お嬢様。わたしたちに部屋はありませんわ」
「わたしたちは奴隷です。命じられれば馬小屋でも、廊下でも、どこでも寝ます」
「あぁ、そういう…。もしかして、ほかの使用人と同室も気まずかったりするのか?」
「そうですね、立場がちがいますから色々と難しいものがあります」
もしかして、このふたりとずっと同じ部屋で過ごすことになるのか?おれが気にしなきゃそれまでだろうが。それに、おれの中のアドライアがいっている。かわいがっているペットは同じベッドで寝たいものでしょうってさ。
けれども、おれは王族貴族でもないしペットを飼ったこともない。奴隷だろうがエルフだろうが、馬小屋や廊下で寝かせたくはないし、ひとつのベッドに3人で寝るのはいかにも窮屈だ。
そういうわけで、おれは3人部屋を探して屋敷をうろつくことにしたのだ。
生まれ育った屋敷ではあるが、全ての部屋に入ったことはない。使用人にだってプライベートはあるからね。おれは気を使える令嬢というわけだ。
そして今日は気を使うのはやめて、ノックもそこそこに全てのドアを開けた。ばたんとドアを開け放し、さっと部屋を見渡す。広さはもちろん、日当たり、湿気、その他いろいろ。居心地のよさを確認し、ミンとフィリアにどうだときく。そうやって3人そろってヨシ!という部屋はなかなか見つからなかった。
とうとう見つけたのは、物置きになっていた部屋だった。もともと、客間かなにかだったのが、いつの間にやら物置きになってしまったというふうな部屋だ。
「少し掃除するだけで、居心地の良い部屋になりますわ」
「家具はどういたしましょう?すでにある家具をそのまま使用しても、十分そうです」
「備え付けの家具はふたりで使ってくれ。おれの分は元の部屋からもってこさせよう」
「わたしたちにも家具を?」
「自分のものはひとりじめしたいってだけ」
「わたしたちはお嬢さまだけのものですわ」
そうじゃない、きみたちは人間だ、と言おうとした。だが、おれの一部はそうではない、と言っていた。
命は地球より重いだとか、人類みな平等なんてお題目は、人類の歴史のほんの最近のスローガンだし、もうだれも信じちゃいないだろう。エルフが人間じゃなかったり、奴隷がモノだったりするのが当たり前でもおかしなことじゃない。
「じゃ、片付けはきちんとやっておいて。おれのものはおれのもの、ミンのものはミンのもの、フィリアののものはフィリアのもの。別々のチェストにしまって」
ミンとフィリアは微笑んだ。ちゃんと伝わったようだ。おれはふたりを、できる限りは人間として扱いたいのだということが。そうしておれはやっと、うまくやっていけそうだと、思った。
それから部屋のひっこしという大騒ぎをやって、誕生日のパーティーをずいぶんと遅らせてやった。ごちそうを前にして食前酒とオードブルだけで待たされたとあって、お客様方はいくぶんかうんざりした顔をしていたが、父親は妙に機嫌よく話しかけてきた。
「よくやったじゃないか、これであのふたりが、お前のお気に入りだということが、みなに良くわかったろう」
「なんのことです?」
「あのふたりを大事にしている様子を、屋敷じゅうに見せてまわったじゃないか。奴隷の扱いに慣れていないものもいるだろうが、お前が大事にするなら、みなもそれにならうだろう」
そこまで考えていたわけではないが、ミンとフィリアが大事にされるならそれで良かった。
そうして、おれの生活に家庭教師を付けての勉強が加わった。
勉強ったって、ありがたいことに自然科学の分野ではゲームの世界でも違いはなかった。1足す1は2だし、水は100度で沸騰する。たぶん、特殊相対性理論も間違いってこともないだろう。アインシュタインもクビにならずにほっとすることだろう。
だが、読み書きや歴史となるとそうはいかなかった。馴染も聞き覚えもない地名や人名を覚えるのはずいぶんと苦労する。指輪がどうだの、ダンジョンがどうだのっていう映画がすきなやつは、楽しめるかもしれないが、おれにはどうしたって面白みのない観光案内だ。
「というわけで、授業はミンとフィリアもいっしょに受ける」
「はあ、奴隷に授業を受けさせるというのは聞いたこともありませんが…」
家庭教師は困惑しきりだが、それこそ、おれの知ったこっちゃない。
「授業をうけたら忘れないようノートをとるだろう。ノートの代わりに奴隷に覚えておいてもらうってこと。奴隷もノートも持ち主のものに違いはないだろ?喋って息をするってだけでさ」
「お嬢さまがそういうなら、かまいませんが…」
おれにとっちゃ、ただのずるに過ぎないが、人さまからするとそうでもないようだ。
ある夜、小腹がすいて目が覚めたことがある。空腹では眠れないたちだ。月の傾きかたをみると、朝まではまだずいぶんある。そうときまれば、厨房へ抜き足差し足だ。ミンとフィリアもついてくるといったが、みつかって怒られるのはおれだけにしときたい。
電灯なんてものはないが、月明かりがさしてそれなりに明るい。皇都までいけば、魔法で作った灯りがそこかしこにあって明るいというが、この辺はまだそこまで便利にはなっていない。夜番の兵士もランタンを持って歩いているぐらいだ。皇帝の娘だというのに、海運商の娘に嫁いだということでこんな辺境までくることになったのだ。それが原因だろうか、父と母のなかはあまり良いようには見えなかった。アドライアが悪役令嬢になった遠因にもなったのだろうか。
夜番だというのに、兵士たちはあまり真面目なふうでもなく、あくびを噛み殺しながらうろついてるんだから、平和なものだ。物陰にかくれたおれに気づいちゃいない。まあ、おれの前を通り過ぎるとき、視線がやたらにあらぬ方を向き、妙な顔をしていったことには、おれも気づかなかったということにする。
そうやってなんらかのはからいというやつのおかげで、だれにもとがめられずに厨房までたどりついた。盗み食いなんて悪事を助けてくれたわけだから、十字を切って感謝の祈りを捧げるわけにもいくまい。おれは母親の権威と、父親の財産に感謝を捧げた。もっとも、この世界に耶蘇教があるわけもないが。
さて、パンや干し肉のかけらでもあればいいがと厨房を覗き込むと、若いメイドが3人たむろっていた。3人いてもかしましくないのは、夜中ということもあるが、さすがに教育がいき届いている。
耳をそばだててみると、どうも夜番の中に意中の兵士がいるってんで、夜食を作ってやっているらしい。
なんともいじましい話だから、ついでにおれのいじましい悪行も見逃してほしいところだ。おれは開いた戸によりかかり、ノックした。
さっと3対の目がおれを見た。おれは人差し指をまっすぐのばして唇の前にもっていった。こういうことをすると、アドライアの指は長くしなやかでさまになる。白魚のような指という言葉があるが、まさにそれだ。おれが若い子だったら、こんな指をもって生まれたことを誇って生きることだろう。
「夜中にごくろう。おれがつまみ食いできる分はあるかな」
メイドたちは、お嬢さまと声をあげかけて口を押さえた。
「素直に食いものを差し出したほうが利口だぞ。さもなけりゃ、でっかいネズミがでてきて、せっかくの夜食にみんな歯型をつけちまうぞ」
おれは、両手でネズミのジェスチャーをしてみせた。ネズミというか、怪獣っぽくなったかもしれない。
「まあ、それは大変だわ!ネズミさんは温め直したスープとキッシュのあまりはお気にめすかしら?」
「うん、それでいいよ」
メイドたちはクスクス笑いながら、おれの分の夜食も用意してくれた。しめしめといったところだ。幼い主人のかわいらしいワガママと受け入れてくれたようだ。
用意されたスープは湯気がたっていて、ぶつ切りの野菜や肉がごろりと入っていた。まかない飯という感じが食欲をそそり、おれはすぐにがっついた。
「お口にあいますでしょうか」とメイドのひとりが不安げにきいてきた。こんな粗野な料理が晩餐にでたことはない。機嫌を損ねないか心配したのだろう。
「こんな夜中に、作法を気にせず食べるものは、みんなご馳走さ」
おれは最後に、皿に口をつけてスープを飲み干した。おれの中のアドライアの部分が、なんと無作法なと憤っていたが、かまうもんか。まかない飯をがっつく楽しみなど、悪役令嬢のままな知ることはなかったろう。
「そうだ、少しでいい。甘いものか、果物をもらえないか。ミンとフィリアにももってかえる」
メイドたちは焼き菓子を少し包んでくれた。
「お嬢さまは、あの奴隷たちに、教養を与えようとしているのですね」
「教養?」
「ええ、授業にふたりを連れているでしょう。お嬢さまは奴隷であっても無教養なものを身近にいさせないつもりなんだって、みんなが言っています」
だれが言い出したのかしらないが、買いかぶりもいいところだ。だいたい、教養ってなんだろうな。教養とは常識のことである、と、誰かに教わったおぼえがある。だとすれば、おれに教養がないことは確かだ。なにせ異世界の常識なんかさっぱりわからない。ミンとフィリアのほうが、おれよりずっと常識を知っている。それどころか、どの家庭教師よりも、ものを知っているんじゃないかと疑っているくらいだ。
いつだか、歴史の授業を受けたことがある。ひどく込み入っていて、途中でおれは聞く気がなくなっていた。授業が終わるとベッドに身を投げ出した。いそいそとミンとフィリアがよってくる。髪をといたり爪にやすりをかけたりと世話を焼く。あまりべたべたするない、とはねつけるが、いいからいいからと膝枕までされる。
このふたり、ふだんは猫をかぶっていて、三人だけになるとおれを年のはなれた妹のように扱いだす。あとで知ったことだが、ミンとフィリアはこのとき100歳を超えていたらしい。エルフにしたってやたらと長生きなことだ。10歳に満たないおれのことなど、かしこい猫ちゃんぐらいにしか思っていないにちがいない。
猫をあやすみたいにしておれの髪をなでながら、ミンとフィリアが今日の授業にでてきた時代の昔話を始めた。昔話だぜ?
100年も200年も生きるエルフがその辺をほっつき歩いてるんじゃあ、この世界の歴史家は商売あがったりだな。地面をほっくり返したりしなくても、そのとき生きてたやつに話をきけばいいんだから。それとも、だれかにきけば疑問の答えが返ってくるから、いくらかサボれるんだろうか。
「教師の方は民衆が力を合わせて作った国だといっていましたけど、みなさま、お若い騎士様のほうを頼っていたように思いますわ。」
「あの左脚をなくした騎士様ですか?」
「そう、病が悪くなったとか」
「教師さまはあの騎士様のことについて触れませんでしたが、良くは知らなかったのでしょう。良く知らないものは教えることができませんから」
「貧しい生まれに、両親が仲の悪い国どうしの生まれ。辛い境遇のかたでしたけど、いつも明るくてハンサム方でしたわ」
つまらない歴史のお話も、エルフのふたりが話すと子守唄みたいだった。
そうして、気持ちよく寝付くのがいつものことで、カーテンを透かして陽射しが射し、にわとりは鳴くわ、飯炊き女が走り回るわで、起きる以外ないとなってから起きるのもいつものことだった。
ベッドに寝たままのびをすると、腕が固いものにあたる。これも毎回のことだ。おれのベッドにもぐりこんだミンとフィリアの首枷に、おれの腕があたったのだ。歴史物で罪人が首にはめられてるような、木でできた四角いやつの親戚だ。
「どうにかならないのか、その固くてでかいの。ベッドに上にあるものとしては最悪の部類だぞ」
「これだけはどうにもできません。奴隷は、身分がひとめでわからなければなりませんし、主に逆らわぬよう、力を抑える役目もあるのです」
「理屈はわかったけど、やっぱり邪魔だよそれ。おれはふたりが逆らったってかまやしない。他にもだれもいないときだけでいいから、外しちまえよ」
「そうはいきませんわ。どんなにばかばかしく思えても、守らなければならない決まりごとというのがあります。決めた人のためだけでしかなくとも」
そんなものがあることは知っているさ。どんなに意味がなくて、かえって悪い結果をまねくとしても、その決まりごとがあることを前提にいちど社会が作られてしまえば、変えることにも面倒がつきまとって、だれも何もしなくなってしまうんだ。
「だったら布かなにかに、でっかく私は奴隷ですとでも書いて、首にまいときゃいい。おれはベッドの上に、でかくて硬いものがあるのがいやなだけなんだからな」
まあ、とミンとフィリアは笑った。どうして今までだれも思いつかなかったんでしょう?
思いついたところで、だれもやらなかったんだろう。それこそ、今までだれもやらなかったからという理由で。
そんなことは知ったことか。おれにとっちゃ、ここは異世界だし、親だろうがなんだろうが、おれの魂を生み育てたのとは別だ。どこまでいったって他人事なんだ。
無責任だって?育ててもらった恩もあるだろうと?もういいだろう。ひどい終わり方をしたとはいえ、おれは人ひとり分の人生をやりとげたんだ。責任なんてほうっておかせてくれ。過去の振り返りも、未来の展望も、不安になるようなことは考えたくない。ただ、いま目の前の良いこと以外に眼をむけたくない。
で、おれはその日のうちに裁縫屋だのまじない師だのをまわって、魔術のかかった首巻きを作らせてミンとフィリアに着けさせた。
周囲のみなは目を剥いたが、わがままお嬢さまのやることに文句はつけなかった。
後々の話になるが、このやり方はほうぼうに広まった。ほらみろ、でかくて硬いものが身の回りでうろうろされちゃあ邪魔だと、みんな思ってたんだ。
ミンとフィリアはといえば、どうも最近、目つきがおかしい。なにか機嫌を損ねただろうか。ゲームじゃ、ふたりの不興を買ってはめられ、勘当される展開もあった。メイドに嫌われて流行りの小説みたいに追放されるなんて、間抜けすぎる。どうにか機嫌をとらなきゃな。