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「母さんのお陰で、母親を追い求める幼い俺を卒業できたよ。今の俺は思春期くらいだと思うから、過度な接触はもう控えてね」
それ以降の数十秒間が、今の俺は思春期くらいという説を証明した。酷い、悲しすぎる、あんまりよと泣いてすがってくる母さんを、普通にメンドクサイと思えたんだね。
とはいえ息子というものは幾つになっても、最後は母親に甘いらしい。
「母さんは俺のたった一人の親だから、ずっと大切にし続けるよ。仕事も大変だろうけど、無理だけはしないでね」
本心を真っすぐ述べて背中をポンポンしたら、母さんは途端に機嫌を直した。「息子に労わられるのは良いものね、幸せだわ~」と、極上の笑みで幾度も呟いたのだ。そんな母さんを見ていたらマジ大切にしなきゃと心から思えてきて、ならば今すべき事をしようと口を開きかけたのだけど、機先を制されてしまった。
「翔、何か質問はある? どんなことでも良いよ」
おそらく母さんは、今日の当初の予定については気にしなくていいと、暗に教えてくれたのだと思う。となれば、何を質問しようかな? 意識投射以外の幽霊の正体も気になるし、闇人との戦争も凄く気になるし、地球時代のオカルト的な謎も超絶気になるが、今はやはりコレだろう。俺は体の向きを変えて母さんに正対し、正座に座り直した。
「同じ孤児院にいる天草舞という女の子は、先頭に立つのが大の苦手だそうです。しかし心根が正しくとても優秀な彼女は、責任者を務めることの多い人生からきっと逃れられないでしょう。現に今日も俺のせいで、筆頭になりましたしね。そこで思ったのですが、何事にも動じない不動の心とまではいかずとも、『肝を太くする』ような心身の鍛錬法は、何かありませんか?」
母さんは俺の質問を、いたくお気に召したらしい。大聖者に教えを乞う機会を、自分のためではなく他者のために使ったことを、前途有望な若者の鑑と誉めそやしたのだ。母さんに褒められたらそりゃ嬉しいけど、ものには限度がある。しかしそれについて不平を述べるなり「では代わりに頭を撫でさせなさい」や「抱きつかせなさい」などとほざく気配が濃厚だったため、じっと耐える戦法を俺は選んだ。
「翔あなた、ナカナカやるわね」「これでも、母さんの息子だからね」「むむ、あのね翔」「うん、なに?」「お願い、たまにでいいから頭くらいは撫でさせて!」「はぁ、たまにならまあ良いよ」「キャー、翔ありがとう!」「って、言ったそばから撫でてるじゃん!」「いいじゃない。翔が舞のために質問した時から、私はこうするのをず~~っと我慢していたの。本来の10分の1の長さに頑張ってしたんだから、『たまに撫でる』にどうか分類して」「ぬぬ、母さんにはまだまだ敵いそうもないよ」「ふふふ、翔の髪はサラサラで気持ちいいねえ」
母さんはこれまでと異なり、最後に指を櫛のように使って髪を整えてくれた。俺は決死の努力をして、ふにゃふにゃ顔にならぬよう努める。そんな俺にクスクス笑っていた母さんは立ち上がり、俺の後ろに歩いて来て膝立ちになった。そして、
「翔、松果体第一部を光らせて。次は第三部を中心に図形を描いて動かして」
厳格な声でそう命じた。心身の鍛錬法を教える資格の有無を試験しているのだと直感し、今できる全てをつぎ込んでそれを行う。「ふむ、及第点ね」 母さんは満足げに呟き、新たな課題を出した。
「第三部に描いた図形は、松果体を介して流入する複数の力を適切に分配する手助けをするの。感じてごらんなさい」
こりゃ難問だ、との思いが挑戦心に自動変換されるようになった自分を、俺は褒めていいのかもしれない。俺はまず輝力の防風壁を前方に展開し、源命力の当たりを付ける。朧げに感じられたのでそれに隣接するであろう複数の力を探ったところ、力の束のようなものを感じた。その力の束に、意識を集中していく。すると第三部に思い描いた図形が、肉眼で見ているのと変わらぬ明瞭さを帯びるようになった。帯びると同時に力の束が各々に分かれ、図形の然るべき場所へそれぞれ流れていく。そのあまりの美しさに見とれている最中、『私は別の調べものをしているから、気のすむまでそれをしていなさい』とのテレパシーを受け取ったので、お言葉に甘えることにした。その数十秒後、気づいた。俺の脳には眠っていた機能が、まだ沢山あったのだと。
眠っていた機能の一つ一つに然るべき力が流入し、活性化していく。けど今回は、これが上限のようだ。よし、続きは明日にしよう。と満足し目を開けたところ、
「翔の脊髄脳は、ちょっとやそっとじゃお目にかかれないくらい優秀ね。眼福だったわ」
母さんが背後から語り掛けてきた。背後にいるので少しくらいふにゃふにゃ顔になってもバレないだろう。などと油断した俺を見逃してくれたのだから、母さんは優しいな。
「脊髄脳は、太陽神経叢の上位器官。翔、太陽神経叢を知ってる?」
「鳩尾の内側にある、神経が網目のように密集しているところ。その程度だね」
「地球のチャクラという言葉をこの星では使わないけど、今日は良しとしましょう。チャクラと太陽神経叢に関する知識を、地球で見聞きしたことはあるかしら」
「はい、あります。第三チャクラ、だったような?」
「では、第三チャクラの有する唯一の特徴は?」
分かりませんと答えた俺に、「第三チャクラは唯一の、肉体器官のチャクラなの」と母さんは教えてくれた。続いて俺の眼前に、太陽神経叢及び人体の上半身の内部映像が映し出される。その人体が筋肉を使い、鳩尾を内側から外側へ盛り上がらせたところ、太陽神経叢内の神経の先端がほんの僅かだが伸びた。「イメージとしては、体積が大きくなり余裕を生み、その余裕が神経の成長を促した。みたいな感じかしら」 との母さんの説明に閃きを得たので、その正誤を問うてみた。
「ひょっとして第三チャクラは、物理的な訓練だけで鍛えられるんですか?」
「ご名答。ただ第三チャクラの未熟な人が今の映像の運動を急にすると、気絶することが稀にあるの。さっき見に行ったら舞はそれに当てはまる、気の弱い子だったわ。だから気絶しても問題ないよう、最初は横たわってさせるのよ」
「えっ、俺がですか?」「まったくこの子は、勇敢さとヘナチョコが同居しているんだから。腹をくくりなさい」「ヒエエ、くくります~~」
正座のまま回れ右をしてペコペコ謝る俺にププッと噴き出したのち、母さんは第三チャクラの固有振動数に沿う呼吸のリズムとマントラムを教えてくれた。そして、訓練方法のまとめに入る。
「心と筋力がまだ弱い舞は、固有振動数の丁度半分の8-4-8を当分させて。舞のことだからすぐ慣れるでしょうけど、鳩尾を含む周囲の筋肉の生成が今は優先。そして最優先事項は、第三チャクラの成長によって得られる能力と、日常生活の主目的を一致させること。筆頭の重責から逃げず受け入れ、責任を果たしつつ日々を過ごすことは、第三チャクラの恩恵と一致するわ。そうすれば去年の三月に教えた、『力だけを求め、力だけを習得する』ことを免れるの。翔、舞をお願いね」




