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少々脱線したので話を元に戻そう。
呼吸法に豊かな才能があった舞ちゃんは勉強会でいつも最前列に座り、最も熱心に講義を受けてくれた。すると舞ちゃんと同じ201号室の女の子たちも最前列に座り熱心に講義を受けてくれて、そして嬉しいことに呼吸に長けるほど、その子たちの持久力も飛躍的に伸びて行った。松果体を光らせること(略して光化)によって回復力も伸びたその子たちは戦闘順位をグングン上げ、それに触発されて皆も呼吸と光化を熱心にするようになり、その過程で201号室の女子と101号室の男子に親交が生まれた。男子が積極的に教えを請い、女子がそれに優しく応えたのである。そして成果を共に喜び合っているうち、両室の20人はいつの間にかやたら仲良くなっていたのだ。前世の記憶のある俺としては心配な要素も少々あったけど、母さんと鈴姉さんが「いつものことよ平気平気~」とニコニコしていたので、大丈夫なのだろう。
そうそう鈴姉さんと同士のような関係になったのも、変化の一つなのかもしれない。なぜ同士かと言うと、鈴姉さんは数少ない、母さんと親交のある人だったのだ。孤児院の保育士が業務報告をするのは孤児院担当AIのみでマザーコンピューターとの接点は通常ないそうなのに、どのような経緯で親交を結ぶようになったのだろうか。それについて尋ねても「詳細はそのうちね」とウインクされるので、未だ判らないでいる。判らないでいるのは構わないのだけど、ウインクに頬を赤らめてしまったのは悔やんでも悔やみきれない。偶然が重なり二人だけで会話することが稀にあり、その最中に不意を突いてウインクして、鈴姉さんは俺をからかうのだ。苦情を言おうにも、年上美女が楽しげにしていると何も言えなくなるのが年下男子というもの。また鈴姉さんは俺にだけ気安く接する節があり、それを嬉しく感じてしまうのも正直なところだったのである。とはいえ、やられっぱなしは癪に障る。なのでせめて膨れっ面をして一矢報いようとしたのだけど、膨らませた頬が真っ赤だったらしく、「キャ~可愛い~」とむしろ撫でまくられてしまった。よってウインクされても、ジッと耐えるだけの日々を俺は続けている。
いや鈴姉さんは超優しくて大好きだから、虐待とかでは全然ないんだけどね。
・・・なんとなく落ち込んだので話題を少し変えよう。
誇張や妄想ではなく、鈴姉さんと俺の相性が良いのは間違いないと思う。確証はないがおそらく鈴姉さんは、元地球人。しかも日本人のような気が、しきりとするのだ。さすがに面識はないはずだけど、それを確認するためには鈴姉さんの生年月日を知らねば、つまり年齢を知らねばならない。アトランティス人は110歳まで老化しないとはいえ、女性に年齢を訊くのはやはり躊躇われる。ただ何となく鈴姉さんの十八番の「詳細はそのうちね」には、それら諸々がすべて含まれている予感がするので、まあいいかと今は考えている。
虎鉄は、以前より元気になった。本人曰く、隣の孤児院との間にある広大な林の探検が、元気の源なのだそうだ。本人という語彙を使っているように、それは虎鉄自身から直接聞いた話。そう俺は試験に合格し、猫語翻訳ソフトを獲得したんだね。
ただ翻訳ソフトの効果は、期待していたほど高くなかった。虎鉄は以前から肯定の「にゃ」と否定の「うにゃ」を使い分けてくれてしたし、また虎鉄の表情と仕草を観察し続けたことが実り、大まかな意思疎通を俺達は既に確立していたからである。というか、大まかな意思疎通を確立している者のみが試験を受けられるのだから、翻訳ソフトに効果をさほど感じなくて当然なのかもしれない。
お隣の孤児院との交流は、奇妙なほど無かった。何となくだが、互いの孤児院が意図的に避けている節があったので鈴姉さんに訊いてみたところ、こう返答された。
「6年間の前半は、いつもこんなものね。後半になっても交流があるかないかは、半々という感じ。あまり気にせず、流れに身を任せなさい」
鈴姉さんがそう言うのだから、きっとそうなんだろうな。
母さんと冴子ちゃんとの交流は、順調の見本の如く順調だった。月一で二人が昼食に加わり、親交を深めていたんだね。特に冴子ちゃんは「たまたま時間ができた」などと宣い、月に二度必ずやって来るようになった。たまたまと言いつつ必ず加わってくれる冴子ちゃんがいじらしくてそれ自体は手放しで嬉しいのだけど、稀に母さんが仕事を放り投げて四人目のメンバーになるのは、大丈夫なのかなと少し心配している。
とまあこんな具合に日々が過ぎ、気づくとここに来て1年近くが経っていた。正確にはあと3日で1年になる、3月29日が今日の日付だ。そして、孤児院内の戦闘順位を入れ替える4月1日の3日前にあたる今日は、代わり映えしない日々にちょっとした彩を加える日となったのだった。
繰り返すが、4月1日は孤児院内の戦闘順位を入れ替える日。然るに戦士を目指す子供達にとってその日は一年で最も重要な日に違いなく、事実そのとおり数週間前からピリピリそわそわした空気が孤児院に漂っていた。しかし何事にも例外はあるもので、そして今回の例外は俺だった。そう俺は戦闘順位の入れ替えに、まったく興味を持っていなかったのだ。俺の日々の訓練は、美雪のもとに生きて帰って来るためのもの。中二病のそしりを恐れず明言するが、俺が命がけで訓練している理由はその一点に尽きる。強くなればなるほど敗北の可能性が、つまり戦死の可能性が減るなら、俺は己の強化を全身全霊でするのみ。それを一瞬たりとも忘れず訓練に励んできた俺にとって院内順位は、まことどうでもいい些事だったのである。
という俺の本心を、嬉しいことに気づいてくれた人が多数いた。101号室の男子と201号室の女子の、計19人がそれだ。こいつらに俺を加えた20人はこの1年間本音で付き合ってきた事もあり、戦闘順位試験の3日前にあたる今日の夕食中、こんな会話が自ずと交わされた。
「翔って、全然ピリピリしてねぇよな」「それでいて、私達を見下している気配は微塵もないのよね」「うん、私も同意」「俺も、それについては疑問の余地がない」「そうまさしく、それについては疑問の余地がない、よね!」「わかる! それ以外は疑問があるって事だよな」「ぶっちゃけると俺、疑問に思い過ぎて困ってるんですけど」「私も、疑問に思い過ぎて眠れないことが多々あるんですけど」「ふふふ、それは舞が・・・」「はいは~い、それは話が脱線するからまた今度ね。とにかく!」「う、うん。とにかく俺らは困ってるんだよ」「そうだそうだ、俺らを困らせやがって」「という訳でせえの!」「「「「翔、白状しやがれ!!」」」」
因みに最後の「白状しやがれ」は、100人によって唱和された。19人の会話に食堂にいる皆が耳を傾けた結果、鈴姉さんを加えた100人全員が面白がって声を揃えたのである。唯一の救いの鈴姉さんがニマニマしているのだから、ここは諦めるしかない。だがそれでも、美雪のもとに生きて帰って来る云々は流石に恥ずかしかったので、前の孤児院の引きこもり生活について明かした。
とても不思議なのだけど、それについて皆に詳しく話したのはこれが初めてだった。鈴姉さんを除く全員が驚愕し口をポカンと開けているから、見落としもないと思う。ただ「詳しく」と限定したように、引きこもっていたのを軽く話したことならほんの数回あり、その「軽く話した」ことが皆の口ポカンの原因になっているのは確実なようだった。軽く話したため、みんな思い違いをしたみたいなのである。引きこもりと言っても、月に数度は孤児院に帰ってたんだろ、と。
「えっと、皆にとっては予想外すぎて混乱している人がいるかもしれないから、もう一度言うね。俺は3歳の4月2日から7歳の4月1日まで、孤児院に一度も帰らなかった。だから院内の戦闘順位試験を受けるのも、これが初めてでね。あと俺が特殊なのだろうけど、引きこもってた4年間で自分の戦闘順位を尋ねたことも無かった。南東の隅の訓練場を割り振られた、三大有用スキルを一つも持たない俺が落ちこぼれってことは、知ってたしさ。落ちこぼれだから不可能なことが多すぎて、その対処を一生懸命していたら4年経ってましたというのがホントのところ。不可能を可能にするだけで大忙しなのは今も同じってことも、戦闘順位試験に興味がない理由の気がするよ」
嬉しい事に、みんな俺を信じてくれたようだ。けどそれと、俺と同種の人が他にいるか否かを知りたいと願うのは、まったく別の話。最初は小声で、だが瞬く間に声高に、4年間一度も帰ってこなかった人の有無をみんな周囲に訊きまくっていた。ほどなく前の孤児院に該当者がいないどころか、噂すら聞いたことが無いと判明し、99人の視線が鈴姉さんに集まる。鈴姉さんが目で「いいか?」と問いかけて来たので、首を縦に大きく振った。鈴姉さんは立ち上がり「準機密なのですぐ忘れるように」と、事実上不可能な命令を出してから皆の要望に応えた。
「いるにはいるが、皆無ではないと表現するしかないのが実情だ。通いの保育士を含めると31年になる私の保育士歴でも、該当者は翔ただ一人だな」
っておい、私の年齢がバレてしまったではないか! と大仰に天を仰いだ鈴姉さんに、拍手喝采が湧き起こった。続いて「鈴姉さん綺麗!」「素敵!」「憧れる!」等々が連発し、鈴姉さんがふんぞり返ったところで大爆笑が発生する。そしてそれが収まったら、この件はうやむやになっていた。年齢を公表してまで俺を守ってくれた鈴姉さんには、感謝してもしきれない。その恩に報いるのは、51歳という年齢を可及的速やかに忘れるのが一番なのだろう。しかしそう解っていても、43歳という年齢差に俺は脳をフル回転させずにはいられなかった。
前世の知り合いに43歳年長の女性はいたかな、と。
4月13日の池袋のデモを無視している、マスコミへ。
害悪ですから、もう消えてくださませ<(_ _)>




