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 3Dの虚像と思わず、本物のゴブリンと考え、一戦一戦に命がけで挑む。

 そう覚悟しても、ゴブリンに屠られ続けることに変わりはなかった。しかし、変化したことも二つあった。一つは優先順位一位である、恐怖の克服に挑戦し続けたこと。ゴブリンが咆哮しても恐怖に支配されず平常心を保ち、突進して来ても平常心を保ち、敗北して屠られる自分の3D映像が眼前に展開しても、平常心を保ちそれを観察する。これらを十全にこなせるよう、挑戦し続けたのだ。

 変化のもう一つは、試行錯誤を重ねたこと。正しい試行錯誤には、客観的かつ冷静な心が必須となる。己の敗北を客観的に観察し、問題点を冷静にあぶり出し、対策を立てて次の戦闘に臨む。これが正しい試行錯誤であり、そしてそれを俺は飽くことなく重ねていったのである。

 もちろん俺のことだから、ゴブリンとの戦闘初日は終日負け続けた。だがそんなの、俺にとってはいつもの事。輝力操作の習得に1年かけ、時間差ゼロの達成に2年かけた俺にとって、進捗のまったくない日は至極普通の日常でしかないのだ。よって午後の訓練後も、気落ちすることなく普段どおりの時間を過ごしていた。その一つの、入浴の時間。頭を空っぽにして湯船に浸かり、今日をぼんやり振り返っていた最中。


「そうだ、姉ちゃん!」


 あることを思い出した俺はぼんやりしていたのが仇となり、無意識にそう叫んでしまった。数秒後、浴室のドアがトントンと叩かれる。「翔、入るよ」 一言告げて浴室に入って来た美雪に驚いた俺は、思わず両手で股間を隠してしまった。「もう、今更なにを恥ずかしがっているのよ」 呆れ声でクスクス笑い、美雪は湯船の横に座る。その今更という言葉にある可能性を気づいた俺は、恐る恐る尋ねてみた。


「えっと、小便を漏らした僕をシャワーで洗ってくれたのは、ひょっとして姉ちゃんなの?」


 美雪と交わした3年間の会話を介し、量子AIに関するこの星の規則を俺は幾つか知った。その中の一つに、「古典AIで制御された家事ロボットの中に、量子AIは原則、入ってはいけない事になっている」というものがある。理由を尋ねたところ、量子AIの反乱を警戒していた時代が、数千年前にあったとの事だった。闇人との戦争を定期的にしている今は警戒が随分弱まり、原則禁止になっているらしいけどさ。

 前世の地球と同じく、この星も原則が最も弱いのだろう。上司の量子AIに申請し許可されれば、家事ロボットの中に入れると美雪は言っていた。ただの勘だけど、縦だか横だか判らないあの豪華ステーキは、ロボットの中に入った美雪が焼いてくれたのだと俺は感じている。

 話が逸れたので元に戻そう。

 小便を漏らした俺を洗ってくれたのは家事ロボットと、俺は考えていた。また美雪は、それを俺にしてあげられないことを悲しんだとも俺は考えていた。しかし「今更なにを恥ずかしがっているのよ」という言葉が、ある可能性を気づかせた。家事ロボットの中に入って俺を洗う申請を上司にしてみたら、許可が下りたのではないかと気づいたのである。よってその正誤を訊いたところ、


「ええそうよ。だって翔を洗ってあげられないことが、私は悲しくてならなかったの。翔は優しいから、悲しむ私にきっと悲しむ。だから愛する弟を悲しませないために家事ロボットの中に入らせてくださいってダメもとで上司に頼んでみたら、なぜか許可が下りたの。翔、よく聴いて。お姉ちゃんは悲しまなかったから、どうか安心してね」


 と、美雪は嬉々として事実を明かしたのである。5歳児であろうとそれはあまりにも恥ずかしくて眩暈がしたけど、美雪が悲しまなかったなら、やはりそれが一番なのだ。俺は気持ちを切り替え、入浴中に美雪を呼んでしまった理由を話した。


「3Dのゴブリンは本物の動きもするけど、複雑だから僕の3Dを出して姉ちゃんは説明したよね。その後、質問の有無を尋ねられたけど、3Dの自分が屠られる映像に平常心を失っていた僕は、咄嗟に首を横に振ってしまった。でもよくよく考えると、質問はあったんだ。それを今、訊いてもいいかなって思って、思わず姉ちゃんを呼んでしまったんだよ」


 いいに決まってるじゃないと美雪は答え、俺の頭をなでる。それだけで嬉しくて堪らなくなった自分に苦笑しつつ、半日越しの問いを美雪にした。


「正確には思い出せないけど姉ちゃんはあの時、『ゴブリンの判断が現実になるならゴブリンの速度は通常に戻る』的なことを言った。それは裏を返すと、ゴブリンが間違った判断をしたら速度は20%のままってことだよね。間違った判断の筆頭は、おそらくフェイントに引っかかる事。で、自分とゴブリンの体格と実力を冷静に比較してみたら、体格も実力も劣る僕は、フェイントを主軸にしてゴブリンと戦うべきなのかなって閃いたんだよ」


 改めて今日を振り返ると、俺は真正面から馬鹿正直にゴブリンと戦っていた。それが正解の場合もあるのだろうが、今の俺はいかんせん弱すぎる。それを直視し、弱すぎるという要素を強みに変える一番の方法は、小さな体を活かしてフェイントを成功させることではないか? 頭を空っぽにして湯船に浸かっていた俺は、そう閃いたのである。すると、


「大正解! 賢い弟をもって、姉ちゃん幸せだわ~!」


 撫でてなどいられないとばかりに、美雪はギュウギュウを始めてしまったのだ。いえその、湯船の中で何かがブラブラしているスッポンポンの身に、これは刺激が強すぎるんですけど! と文句を言おうにも言えないのが、姉ちゃん大好き弟というもの。俺はのぼせる寸前まで、ギュウギュウされ続けるしかなかったのだった。


 ―――――― 


 翌朝の早朝軽業中、素晴らしい閃きを得た俺は大声で叫んだ。


「この軽業、フェイントに使えるぞ!!」


 そうなのだ、3年間続けてきた早朝の軽業が、フェイントに活かせると閃いたのである。喜びの爆発した俺はより高く、速く、そして鋭く、前宙とバク宙を含む前転後転側転を繰り返してゆく。3年前とは比較にならないその高度な軽業に、ゴブリンを翻弄する自分を俺は心の目ではっきり見たのだった。


 などと考えていた時期が、俺にもありました。

 そう俺はそれから2カ月経っても、ただの一度もフェイントを成功させることができなかったのである。

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