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話を戻そう。
幻想的な美しさに涙するほど月が大好きなエインティータさんに、俺は提案した。
「前世の俺の祖国でも月は非常に愛されていて、月の字を含む女性の名前がとっても多かったんだ。その例を、元祖国の発音で挙げてみようか?」「嬉しい、ぜひお願いします!」「じゃあ最初はド直球に、月子」「グハッ!」「えっと、どうしたの?」「いえ、何でもないです。もっと聴きたいので続きをお願いします」「う、うんわかった。じゃあ次は、美月」「ダハッ!」「え~っとですね」「すみませんすみません、でもどうか続きをお願いします」「了解。優月」「ドハッ!」「月乃」「ブハッ!」「月白」「ベハッ!」「葉月、奈月、瑞月」「ドヒャ~~!」
ドヒャ~を最後に、エインティータさんはとうとう横向きに倒れてしまった。正確には分身を出して支えたから倒れはしなかったけど、いったい全体どうしたのか? それにしても前々から思ってたけど、エインティータさんって素晴らしい花の香りがするんだよな。2メートルの振袖を後方へたなびかせるべくいつも自分の前方から風を吹かせている関係で、香りを感じるまで時間が随分かかったんだけどさ。・・・って、あれ?
「どうかしましたか?」「今更でホント申し訳ないのだけど、エインティータさんは何の妖精なの?」「ふふふ、翔さんはどう思いますか?」「初対面の時はどの妖精なのか考えもしなかったけど」「ふむふむ」「振袖がいつも風にたなびいているのを見るようになったら、風の妖精かなって思って」「なるほどなるほど」「次は偶然・・・」「偶然?」「いやそれは置いて」「ダメです、白状してください」「ひょっとして、バレてたりする?」「翔さんが匂いフェチなことですか?」「ヒエエッ、ごめんなさい~~!!」
思いがけずその後、女性講師による女性の匂いについての講義を聴くことになった。幸いこの状況は二度目だったこともあり、面食らいはしなかったけどさ。
エインティータさんによると、肉体を持たない妖精族は基本的に無臭らしい。ただ嗅覚はあり、そして花や果物の世話をするうち花や果物の香りが大好きになると、その香りを自分も纏うようになるのは珍しくなく、また女性の妖精はその割合が若干多いという。これは良い香りに限定される現象なため、人族が自分に良い香りを感じても、妖精は喜びこそすれ恥ずかしがったりは基本的にしないそうだ。俺はそれを創造主による妖精保護の一環と思ったが今は時期尚早と判断し、傾聴を続けた。
自然を世話し保護することを目的として創造された妖精族が、自然界の悪臭を忌避することは無い。しかし例外もあり、闇落ちした元同族の放つ悪臭だけは本能的に無理と感じるという。俺は前世の欧州出張で小耳に挟んだ、サタンの伝承を思い出していた。
サタンは人を闇落ちさせるさい、天上の芳香を放つ美少年として現れることが多いらしい。だが自分の正体を看破されるや、頭を殴られるほどの悪臭に一変するそうだ。ちなみに頭を殴られるほどの悪臭というのは比喩ではなく、死体処理をする特殊清掃員の新人は当該部屋に入った途端、殴られた頭を庇う仕草を無意識にするという。再度ちなみに地球の某自称霊的指導者は「前世の悪因により人は悪臭を放つ」と宣っていたが、来世の自分の自己紹介乙というのがホントのところだな。
話を戻そう。
肉体を持たず物質的な代謝もない妖精は無臭ゆえ恥ずかしがったりは原則せず、然るに人が体臭を恥ずかしがる気持ちも初めは理解不可能だが、成長するにつれ理解可能になっていくという。特に恋する女性が自分の悪臭を排除すべく涙ぐましい努力をする姿に成長した女性の妖精ほど共感し、応援の気持ちを強く抱くらしい。ただし香水等に頼ることは涙ぐましい努力にかすりもしないそうだがそれは置き、つまりどういう事かというと、
「翼の努力を、翔さんは腹が立つほど過小評価しているのです!」
のように、三白眼のエインティータさんに語気鋭く叱られてしまったという事。俺は平謝りに謝った。しかしだからといって翼さんの努力に報いる方法を一つも見つけられず、途方に暮れることしか俺にはできなかった。
報いる方法を見つける手助けになるかもしれないから、同種の講義を聴いた第一回目のことを思い出してみよう。
あれは、ひ孫弟子候補の講師を俺がしていた頃の出来事。講義前の雑談時、桜子さんの友人達に俺の匂いフェチが偶然バレてしまった。ただでさえ頭の上がらない優しく麗しいお姉さま達に変態性癖がバレてしまい講師を辞めることを本気で考えていたら、
「翔さん、今日は私も研究成果を発表して良いですか?」
俺の丸まった背中をさすりつつ、桜子さんがそう請うてきた。俺は講義後に希望者が研究成果を発表することを奨励していて、希望者の有無を急いで確認したところ、まだ誰もいないことが判明した。よって姿勢を正し、よろしくお願いしますと頭を下げた。すると桜子さんを始めとするお姉さま達に、頭と背中を一斉に撫でられてしまったのである。皆さん口々に「翔さんは変態なのではありません」と言ってくれて、視界をぼやけさせずにはいられなかったな。マズイ、あの人たち全員が既にこの星を去ったことを思い出したら、当時をなぞるように視界がぼやけてしまった。気合を入れて回想することにしよう。
講義後、桜子さんは研究成果を発表した。それが女性講師による女性の匂いについての講義を聴いた一度目であり、講義名は忘れもしない「地球人女性の匂いについて」だった。俺のためにそれを発表してくれたのだと知った俺は再び視界を・・・ヤバい、気合を再度注入して回想を進めると、桜子さんはだいたいこんな話をした。




