五章 新しい孤児院、1
100台の飛行車が、垂直上昇に近い角度で空を昇ってゆく。といっても車体は地面と平行なままだし、発進時の振動や揺れもなかったし、加速による加重も一切感じない。つまり体の感覚は「移動してないよ」と脳に告げているのに、視覚だけは「上昇しているよ」と主張しているのだ。酔ったりしないかなと、俺は不安にならざるを得なかった。
気持ちを替えるべく、視線を上へ向ける。ゆっくりゆっくり離れていく、勇の飛行車が目に映った。勇が100台の飛行車の先頭で、次が俺。もしかしてこれって、試験に合格した成績順だったりするのかな? との推測が頭をよぎったとき、ピロポロロンとの電子音が鳴った。続いて、
「約十秒後に、垂直上昇から水平飛行へ移行します」
女性の声でアナウンスが入る。「了解です」と答え、体と首を正面に向けて加速に備えた数秒後、
バビュンッッッ
景色だけが一気に加速した。違和感が押し寄せ、反射的に車外へ目をやる。一辺100メートルの訓練場が、コメ粒の大きさになって地平線の果てまで続いている。ジャンボジェットから見る地上を彷彿とさせるので、高度は1万メートルほどだろう。時速はおそらく、ジャンボジェットの三倍に少し届かないくらいだろうか。夕日が巧みに弱められているため意識しなかったけど、俺は夕日の沈む西へ飛んでいるらしい。なんとなく答えてくれる気がしたので、声に出して尋ねてみた。
「お姉さん。高度と対地速度と、目的地までの到達時間を教えてくれますか?」
お姉さんは高度1万メートル、時速2400キロ、到達時間は約2分後と優しい声で教えてくれた。2分後との返答に驚いた俺は、咄嗟に計算して口走ってしまう。
「あれ? 新しい孤児院は100キロくらいしか離れていないんですか」
「そうね、だいだいそれくらいだわ」
「反重力駆動の飛行車に初めて乗ったので物足りない半面、酔わなくて良かったとも安堵してしまいます」
お姉さんはクスクス笑い、美雪に聞いていたとおり素直ないい子ね、と興味深い発言をした。短い時間しかなかったが会話を介して知ったところによると、昨日まで続いた母さんの講義に、コンピューターの次元でお姉さんも出席していたそうだ。ということは前世の俺の小説をお姉さんも読んでいたりして・・・と顔を赤くした俺の耳に、
「そろそろ着くわ。美雪によろしくね、勇者の卵さん」
本物の姉のような愛情溢れる声が届いた。「お姉さんとぜひいつか、お会いしたいです!」「ふふふ、私も楽しみにしているね」 なんてやり取りをしているうち、新しい孤児院の広場に飛行車は着地した。
「車外は寒いわ。ファスナーを顎まで上げて」
お姉さんの指示に従ってから、ドアを開けて外へ出る。注意を促されたほど寒くないというのが、正直なところだ。けど子供の世話をしているうち、AIはみんな優しくなるんだろうな。との想いに胸を温められつつ、アルバムを回収すべく後部ドアへ足を向けた俺は、驚きの声を上げた。
「おわっ、別の孤児院が隣にあるんだ!」
以前の全ての孤児院は、1キロ四方の訓練場の北西に必ず建てられていた。よってどの孤児院も孤立していたが、これからは違う。北西の隅と北東の隅を繰り返すことで、二つの孤児院が隣り合うようにしていたのである。といっても西側の孤児院とは100メートル以上離れており、また広場も前とは異なり十字型をしていた。その十字型広場に停車している飛行車は、俺の乗って来た一台のみ。計二百人の子供の一番乗りというのは、ヘタレ者には少々きついなあ。などと戦々恐々としつつ、アルバムを回収する。続いて助手席に回りクッションごと虎鉄を抱きかかえ、そしてお姉さんに言われたとおりベンチコートを着たまま、東側の孤児院へ歩を進めた。
玄関前の階段の直前で足を止める。知らなかったので今朝は何も思わなかったが、この階段は、孤児院を旅立つときの写真撮影の場でもある。ここを巣立っていった先輩方へ敬意を表し、一礼してから階段を上った。といってもこの階段は、二段しかないんだけどね。
たたきに足を踏み入れ、犬猫用の足ふきマットに虎鉄を下ろす。ベンチコートを脱ぎ、用意された長テーブルの上に置きながら周囲へさりげなく目をやる。建物の西端に玄関ホールがあること。土足で入るたたきはホール南東にあり、その西が下駄箱スペースなこと。下駄箱の西が刀置き場で、北西に女子トイレがあること。そして玄関ホールの東隣が食堂なこと。ここまでは、前の孤児院と同じ。だが異なることもあり、それは俺の下駄箱に入っていた新品の上履きの、色が違っていたことだ。前の孤児院に置いてきた上履きは赤色だったが、新しい上履きは黄色をしていたのである。ひょっとして戦闘服の色も、赤から黄に変わるのかな? などと考えつつ俺の刀置き場に白薙を掛け、虎鉄と並んで食堂へ向かった。
食堂の位置は同じでも、広さは違った。以前の食堂の、二倍近い広さがあったのである。だがその理由を考察するより、今は挨拶が最優先。とても綺麗なお姉さんと四台の家事ロボットに一礼し、3メートルの距離まで歩を進めて俺は立ち止まった。
「今日からお世話になる、空翔です。この雄猫の名前は、虎鉄です。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。私の名前は、深森鈴音。深森さんでも鈴姉さんでも姉ちゃん先生でも、好きに呼んでね」
鈴姉さん、の箇所で尻尾を無意識に振ってしまったのが、本当はバレバレだったと思う。にもかかわらず微笑むだけに留めてくれたのだから、すこぶる優しい先生に違いない。との想いが尻尾振りを加速させ、ブンブンという擬音語を充てるに相応しくなったところで、鈴姉さんはプッと噴き出した。優しくて綺麗なお姉さんの笑顔は、年下男子の心を恋の矢で射抜くのがお約束と言える。けど鈴姉さんの場合は、恋ではなく親近感が湧いてくるのだから、保育士としての才能によほど恵まれているのだろう。それがなぜか堪らなく嬉しくてニコニコしていたら、
「筆頭が翔なのは、幸運だったわ」
という、限りなく意味不明な言葉が俺の耳朶をくすぐった。沈黙の三秒を経て、
「・・・へ?」
限りなく間抜けな受け答えを俺はしてしまう。その羞恥が、筆頭という語彙を理解した衝撃と重なって俺を襲った。それは本来ならこの愚か者を、醜態の無限地獄に突き落としたはずだが、
「ウニャッ!」
すんでのところで虎鉄が猫パンチを放ち、俺を正気に戻してくれた。それだけでなく、虎鉄が西隣の部屋をしきりと指さしたお陰で、玄関の人の気配に気づくことが出来たのである。まごつく足音から察するに、あの子は先陣を切るのが苦手なタイプなのだろう。俺は咄嗟に、
「二人目の子が来たようです、迎えに行ってきます!」
鈴姉さんに元気よく告げ、虎鉄を抱き上げて玄関へ向かった。背中に「さすが筆頭ねえ」との言葉がかけられ足がもつれそうになるも、今は不安がる子を安心させるのが最優先。虎鉄を抱いていれば、初対面の緊張も和らいでくれるんじゃないかな。なんてことを考えつつ、俺は玄関へ引き返していった。
まごつく足音から窺えるように、気弱な面を持つであろうその女の子は、俺を一瞥するや一瞬だけ身を固くした。だがそんな事をしたら相手に失礼になると思ったのか、必死になって笑顔を浮かべようとしている。そういう気遣いができる人に、悪いヤツはいない。俺は自然と笑みになり、足取り軽くその子に近づいて、初対面の挨拶をした。
「こんばんは。今日からここで暮らすことになった、空翔です。この雄猫は、前の孤児院でも一緒だった虎鉄。どちらもヨロシクね」
虎鉄が空気を読み、「にゃ~」と可愛く鳴いてくれた。女の子の表情から緊張が消え、パッと笑顔になる。いやはや、猫様は偉大なのだ。然るにこの機を逃さず、
「そうそうこれ見て、上履きの色が変わったんだ」




