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3Dゴブリンの行動速度を、本物の25%から20%へ下げました。

 100メートルを50秒なら、さすがに怖くない。俺は立ち上がり白薙を構えた。と同時に、ゴブリンが静止する。3Dの虚像だったことを今更ながら思い出し、白薙を構えつつ顔を赤くした俺を、「初めてだからそれくらいで丁度よいよ」と美雪はいたわってくれた。苦笑いするしかない俺に、美雪がクスクス笑う。軽やかな空気が場を満たしたところで、ゴブリンの説明を美雪は再開した。


「このゴブリンは、本物に等しい動きもするの。けどちょっと複雑だから、翔の3D映像を出して説明しましょう」


 ゴブリンの2メートル前方に、白薙を構えた俺の3D映像が浮かび上がった。それを合図に、ゴブリンが突進を再開。3Dの俺は白薙を振りかぶり、タイミングを計ってそれを振り下ろした。俺に掴みかかるべく前に突き出していたゴブリンの右手首を、白薙が半ば以上切断する。ゴブリンの顔が痛みに歪む。と同時に、映像が停止した。張り詰めた空気に、美雪の銀鈴の声が響いた。


「手首を半ば以上斬られたゴブリンは、咄嗟にこう判断しました。『痛みを我慢してこのまま突き進み、敵を屠ろう』 その判断が現実になる場合、ゴブリンの速度は通常に戻ります。この通常に戻るのがさっき言った、本物に等しい動きですね」


 本物に等しい動きという言葉に、俺は目を皿にしてゴブリンを見つめた。それは正解という他なく、前世を含めても人生初となるモンスター戦に挑むことになった俺は、目を皿にしなければ何が起こったかを目視できなかったはずだ。静止画像が動画に戻るやゴブリンは驚くべき速さで左手を突き出し、3Dの俺の首を掴み、それを易々と折ったのである。それはやはり衝撃の光景で「質問ある?」との美雪の問いに、俺は何も考えず首を横に振ってしまった。そのせいでその日の訓練を、まるまる無駄にすると知らずに。

 ゴブリンの映像がいったん消える。続いて前回より近い10メートル前方に、新たなゴブリンが投影された。耳に届いた「翔、戦闘を開始するわよ」との声に、俺は黙って首肯する。美雪は小さく息を吐き首を横へ振るも、エンターキーを押す。俺は白薙を中段に構え、ゴブリンを見つめた。

 俺の身長は5歳10か月の男子としては平均的な、114センチ。対してゴブリンは、前世の俺と同等の170センチくらいだろう。だが筋肉量は同等とはほど遠く、全身に分厚い筋肉をびっしり纏っている。脂肪率も一桁に違いなく、筋肉の筋がはっきり見える体をしていた。肌の色は地球のフィクションと同じ、緑色。頭部に髪は無く、身に着ける衣服は腰に巻いた腰蓑のみ。二度目となる今回の咆哮で確認した歯は、犬歯が牙のように大きい以外は、地球人と大差なかった。

 というようにゴブリンの容姿をじっくり観察できたのは、ゴブリンが俺に突進しなかったからだ。突進しなかった理由は、おそらく俺の心構えにある。前回は咆哮の恐怖に腰が砕けたが、今回は心の手綱をしっかり握り、臨戦態勢を崩さなかったからな。

 そんな俺にゴブリンは、バカ正直な突進を選ばなかった。右斜め前に駆けだし、緩やかな弧を描きつつ俺の左側に到達する軌道を選択したのである。走る速度にも緩急をつけ、走り出しは緩やかだったが、弧の半ばを過ぎるや全力疾走に変えた。これらのことから知能が高く、戦闘経験も豊富と考えるべきだろう。俺は平常心を保ったまま体を左に向け、正対するゴブリンが間合いに入るのを待った。

 神話級の健康スキルの作用により、俺は異常なほど良い目を持っている。前世の視力2.0を十倍した、視力20といったところだろう。動体視力もすこぶる良く、朝食前の軽業の最中も周囲の景色は一切ぼやけないし、虎鉄の突進も体毛の一本一本の動きをはっきり追えた。よって平常心を保ちさえすれば、ゴブリンとの最良の間合いを見極められるはず。そう自分に言い聞かせ、俺は白薙を中段に構えていた。

 だが、それは甘かった。俺より身長が60センチ近く高い筋肉隆々のモンスターが俺を屠るべく全速力で突進して来ているのに、平常心を保つなど今の俺には不可能だったのである。俺に向かって突き出された両手も、心を大いに乱した。当初俺はゴブリンの胸から腹にかけて白薙をまっすぐ振り下ろし、意識を一瞬で刈り取る計画を立てていた。しかしそれをすると、突き出された両手が俺の顔の直前まで迫ることになる。たとえ速度を20%に抑えていようと、顔前に迫る大人の両手は怖い。爪が人間とはまるで異なる、カギ爪の形状をしていたなら尚更だ。かくして心を大いに乱した俺は、白薙がゴブリンの胸に届く間合いよりずっと手前の、右手を指から肘にかけて両断する間合いで白薙を振り下ろしてしまった。

 3年間の素振りが活き、ゴブリンの右手を肘まで両断できた。しかしその直後、ゴブリンの3Dが急加速し、俺を通り抜けていった。5メートル前方に、この目で今見た光景の再生映像が投影される。急加速したゴブリンが左手で俺の首を掴み、小枝を折るようにへし折っていた。そう俺は、死んだのである。


「1分あげるわ。呼吸を整えて、対策を考えなさい」


 美雪の声が耳に届いた。神話級の健康スキルが働いて呼吸は10秒で整ったが、その後の50秒を費やしても有効な対策を閃くことは無かった。そんな俺に、


「ウガ――ッッ!!」


 ゴブリンが咆哮する。腰の砕けた俺にゴブリンは突進。恐怖のあまり白薙を構えさえしない俺に、ゴブリンが急に速度を上げる。ゴブリンの右パンチが、3Dの俺の顔面に炸裂。俺は5メートルほど吹き飛ばされ、地に着いても勢いは止まらず、ぼろ雑巾のように地面を転がっていく。その俺に追いついたゴブリンが、走ったまま右脚で俺の頭部を蹴る。ゴブリンは右足の甲で頭部を捉えつつ、指のカギ爪を首に食い込ませていた。5歳に満たない俺の首は、カギ爪と脚力に耐えられなかったのだろう。蹴られたサッカーボールのように俺の頭部が飛んでいった。俺は声の限りに叫ぶ。


「もういやだ、止めて姉ちゃん!」


 美雪は悲しげに顔を横に振り、エンターキーを押す。と同時に、


「ウガ――ッッ!!」


 ゴブリンが咆哮。直前のサッカーボールの光景が脳裏を走り、恐怖に駆られた俺は白薙を放り出して逃げた。だが逃げたところで、それが叶うなどあり得ない。いとも容易く俺に追いついたゴブリンが俺の後頭部を殴り、地を転がる俺を蹴って、サッカーボールが再現されるだけだったのである。四つん這いの俺は美雪に助けを求めるも、またもやエンターキーが押される。四つん這いのまま逃げる俺にゴブリンは本来の速度で突進し、蹴り上げ、あの光景がまたもや目に映り、俺はとうとう小便を漏らした。今度はさすがにエンターキーを押さず、人が乗れるAIカートと並んで美雪が俺に近づいてくる。俺の口が、無意識に言葉を紡いだ。


「姉ちゃん、ごめんなさい」


 美雪は大粒の涙を流し、膝立ちになって俺を抱きしめ、「翔ゴメン翔ゴメン」を繰り返した。俺の意識が急速に霞んでゆく。それが幻を体験させたのか、それとも奇跡を呼んだのか。虚像のはずの美雪から、人と変わらぬ温かさと柔らかさと、優しい香りが伝わってきたのだ。俺は心から安堵し、美雪に全てをゆだねる。

 それ以降のことを、俺は覚えていない。


 ――――――


 気づくと、ベッドの中にいた。洗い立てのパジャマを着ていて、シャワーを浴びた後の爽快感が肌に残っている。家事をしてくれる人型ロボットは、俺をシャワーで洗えるらしい。生暖かい小便が股間周辺をベチョベチョにしていく感覚を思い出した俺は掛け布団を引き上げて顔を隠し、「ロボットじゃなく美雪だったら恥ずかしかったな」と呟やいた。でも、そう呟いたことをすぐ後悔した。俺をシャワーで洗ってあげられないことを、美雪は悲しんだに違いないからだ。

 掛け布団で顔を隠したまま、ゴブリンとの戦闘を思い出す。そのとたん、体温が一気に下がったのがはっきり感じられた。しかしこれは、どうしても必要なこと。美雪を泣かせないためにも、俺はゴブリンに勝たねばならないのである。顔を布団から出し、深呼吸を繰り返した。温かで安全な布団に助けられ、通常の体温を比較的早く取り戻すことが出来た。俺は覚悟を決め、ゴブリンとの戦いを詳しく振り返っていった。

 冷静に振り返ると、価値のある複数の事柄に気づけた。最も価値があったのは、平常心の重要性を実感できたこと。俺はさっき、ゴブリンと計四回戦った。その四回とも、ゴブリンの強さは等しかったはずなのに、戦闘には雲泥の差があった。最初の戦闘は心を大いに乱しながらも、ゴブリンの右手を肘まで両断してのけた。あのとき俺の心には、平常心の欠片が残っていた。ほんの僅かではあったが、欠片を確保できていた。そのお陰で四回の戦闘の中で唯一、ゴブリンを斬ることに成功したのである。

 平常心の欠片を手放してからは、悲惨だった。そして恐怖が増大するほど、悲惨さも増していった。これは、二番目に価値あることを気づかせてくれた。虚像の俺を殺したのは、ゴブリンではない。俺の心を支配した恐怖こそが、虚像の俺を殺したのである。

 価値ある三つ目は、最初の戦闘の分析によって得られた。右手を斬られたゴブリンは速度を急に上げ、左手で俺の首を掴みへし折った。その一部始終を、俺はこの目ではっきり見ていた。これは通常速度のゴブリンを、俺の動体視力は明瞭に捉えられるということ。目で捉え、かつ平常心を保てていれば、臨機応変に行動できるに違いない。これに気づけたのが、価値ある三つ目だった。

 三つ目の発見を合図に、俺はベッドを後にした。そしてテーブル備え付けの椅子に座り、目を閉じて、頭の中で戦闘をシミュレーションしてゆく。それを経て、今俺のすべき最優先事項は、恐怖の克服であることが判明した。ではどうすれば、恐怖を克服できるのか? いくら考えても、具体的な方法を閃くことは無かった。ただ、この方法だけは絶対に選んではならないという確信だけは、心の中にあった。「ゴブリンはしょせん3Dの虚像だから俺が死ぬことはない」と自分に言い聞かせる方法だけは、何があっても選択してはならないと俺は確信していたのである。決意表明を兼ね、その理由を口ずさんだ。


「3Dの虚像と自分に言い聞かせて恐怖を克服する方法が、本物のゴブリンとの命がけの戦いに役立つとは思えない。それどころかその方法は俺の心を恐怖で支配し、俺を殺すだろう。なぜなら戦争で目の前にいるのは虚像ではない、実際に俺を屠れる、本物のゴブリンだからだ」


 声に出してみたら、閃きがやって来た。いやそれは閃きとはほど遠い、単なる思い付きに分類されるものなのかもしれない。だがそれでも、具体的な方法が一つもない今の俺にとって、それは試す価値が十分あるように思えた。決意表明を兼ね、それを口ずさんでみる。


「3Dの虚像と思わず、本物のゴブリンと思って、一戦一戦に命がけで挑むこと!」


 これは前世の座右の銘である、練習は本番のように本番は練習のように、を今生に当てはめたとも言えよう。俺は将来、ゴブリンと命がけの戦闘をせねばならない。それはまさしく本番だから、日々の訓練を本番の覚悟でこなしてみせるぞ! 俺はそう、決意したのだ。

 するとそれに応えるかのように、シュワ~ンという効果音を響かせて美雪がテーブルの向かい席に現れた。3Dの虚像に過ぎないことをあえて強調した、こんな登場方法を美雪がしたのはこれが初めて。俺にはそれが、美雪の償いに思えてならなかった。さっきの訓練で俺を気絶させた自分を罰するべく、虚像を強調した登場方法をこうしてあえて採用した。そんなふうに、思えてならなかったのである。

 ならば俺がすべきは、ただ一つ。正面に座る美雪へ、俺は約束した。


「姉ちゃん僕、絶対ゴブリンに勝つからね!」


 これは俺の、正真正銘の願いだ。かつ俺が、もうすぐ5歳の男の子であることも本当のこと。然るに瞳を輝かせて未来を語る少年に俺がなっても、嘘は微塵もないのである。というワケで、


「だから協力してね、姉ちゃん!」


 元気はつらつな弟になり、俺は美雪に言った。美雪は泣き笑いになり、うんうん頷いている。そんな姉が好きでたまらない俺は演技抜きで元気百倍になり、ゴブリンと再戦すべく外へ駆けて行った。

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