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「一人にしてすまなかった」
心から詫びた。勇は目を伏せ、首を横へ振る。その仕草に、三年間濃縮し続けたせいで液体になったかのような高粘度の諦念を感じた俺を、巨大な後悔が襲った。俺はママ先生のみならず勇にも薄情なことをしていたと、やっと気づけたのである。ママ先生との再会時に比肩する巨大な後悔に飲み込まれ、俺は立っていられぬ寸前になった。けどそんな俺の耳に届いたのは、「ギャハハ、引っかかりやがった」という勇の笑い声だった。ちぐはぐすぎて処理が追い付かず呆然とするしかない俺に、勇は暴露した。
「一歩遠慮されていることをママ先生に相談したら、『翔の訓練映像を見てみる?』と提案されてな。しかも翔はそれを了承しておらず、本来ならそんなの絶対許されないはずなのに、この星のマザーコンピューターが特例で許可したそうなんだよ。興味が俄然湧いてきて翔の訓練映像を見た俺は、ぶったまげてな。俺以上に激しい訓練をしている奴なんていないと思っていたのに、翔は俺の二倍の訓練をしていたんだ。その日から俺は一層訓練に励むようになり、気づいたら一歩遠慮されている悩みなど消し飛んでいた。その後も翔の訓練強度には驚かされ続けたが、直近12日間の午前の訓練には脱帽した。おい翔、ルール違反だが教えてくれ。お前はなぜ年齢的に絶対不可能な強度の訓練を、できるんだ?」
「えっと、最後の質問にちゃんと答えるから整理させて。最初は、マザーコンピューターについて。マザーコンピューターが俺の訓練を勇に見せたことに、問題は無いと思う。孤児院の皆が勇の訓練を見学していたように、壁の上の道を行き来すれば、他の子の訓練は自ずと目に入るからね。さて次は、スキルを尋ねるルール違反についてだ。他者の所有スキルをむやみに尋ねるのはルール違反だから慎みなさいって、俺も教えられた。けど、信頼する仲間に納得できる理由で尋ねられたら答えるのは俺の自由とも、同時に教えられた。俺の自由意思は、お前にならスキルを教えていいって、うるさいくらい主張しているよ。という訳で冒頭の、最後の質問にちゃんと答えるって約束を、果たすね」
お前になら教える、の箇所で勇が顔を赤らめたのを見ただけで、おつりが来るよ。との本音を胸の中だけで呟き、俺は答えた。
「三大有用スキルを一つも持たない代わりに、俺には健康スキルがあってさ。休憩なしの超高強度訓練をしてもあまり疲れないし、疲れたとしても翌朝には体が完全回復しているんだ。ここまでなら勇の判断で、誰に話していい。けどこれ以降は、勇にだけ明かすよ。俺の健康スキルの等級は、神話級。ご大層な等級で恥ずかしいから、皆にはナイショにしてね」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔、との慣用句をアトランティス人は持たないが、今の勇の顔を見本にすればあっという間に定着したりして。などと考えるのは失礼だと頭では解っていても、勇の顔が面白すぎ、俺はニマニマするのをどうしても止められなかった。だがそんなの知ったこっちゃないとばかりに、
「神話級?! お前、神話級って言ったのか!!」
勇は血相を変えて俺に詰め寄ってきた。鷲掴みにされている肩が少し痛いけど、男同士だからこういう事もあるだろう。
「うん、神話級って言ったよ。変かな?」
「この阿呆、変どころの話じゃないぞ! 最上の等級は勇者級というのが、アトランティス人の常識。1900年前から一度たりとも疑われた事のない、不動の常識なんだよ。それをお前は、覆しやがったんだ。変どころの話じゃないって解ったか、このド阿呆!!」
ヘッドロックでは到底収まらなかったのだろう、勇は卍固めを繰り出してきた。三歳の検査前の半年間では身体能力的に不可能だった卍固めが、今は可能なんだなおめでとう勇! などと余裕をかましていられるのは、神話級の健康スキルのお陰。関節の可動域が広く体もべらぼうに柔らかい俺にとって、これ系の締め技は無効だったんだね。頸動脈を絞め上げられたら、さすがに苦しいはずだけどさ。ともあれ、
「ゴメン勇、俺が悪かったよ許して~~」
痛いやギブアップを使ったら嘘になるので「ゴメン許して」を連発したところ、勇はあっけなく開放してくれた。それどころか「痛くなかったか?」と、俺を本気で心配してくれている。まったくもって可愛いヤツだが、それをイジル時間はおそらくもう無い。100人の子供達がママ先生と最後の挨拶をする時間は、長くて二十分と考えるべきだからだ。したがって話を先へ進めようとしたのだけど、勇に阻止された。
「公平を期すため、アルバムに挟んであった俺のスキルと現在の等級を、翔にだけ教える。輝力量、輝力操作、剣術適正の三つとも、上級だ。7歳の審査で上級なら、100歳で英雄級になれるというのが通説だな。だが、神話級なんてぶっ飛んだ等級を知ったからには、英雄級じゃ満足できない。そしてその鍵は、健康スキルにあると本能が叫んでいる。翔、知ってたらぜひ教えてくれ。健康スキルは、どうしたら習得できるんだ?」
毒を食らわば皿までじゃないが、俺は転生時に訪れた白い空間と、前世で他者の健康増進を助けたことをかいつまんで話した。ピンと来て、輝力に含まれる創造力を追加で話したところ、演技ではない感謝の涙を勇は流していた。くすぐったいし時間もないので、俺も勇に質問して空気を換えることにした。
「そうそう、俺も教えてもらいたい事がある。俺のAI教育係は大の世話好きでいつもそばにいてくれるんだけど、孤児院では不自然に姿を現さなくてさ。それに加えて、皆のAI教育係もまったく見ていない。思い当たることが勇にはある?」
「どわ! そ、それはだな・・・・」
頬をポリポリ掻き、勇は何かを言いよどんでいるようだ。耳が赤くなっているのはなぜなのかな、と耳を注視していることに気づいた勇が「訓練場に引きこもる事にこんな問題点があったとは」と、ため息交じりに呟いた。訳が分からず首を傾げていたら、勇は覚悟を決めた顔になった。
「7歳の試験まで部屋にも風呂にも男女の区別がないからか、地球で言うところの性教育的なことを孤児院ではする。それによると闇族との戦争が始まった最初の200年は、AI教育係を生涯の伴侶に定めて結婚しない人が多発したらしい。それは闇族との戦争に比肩する人類全体の大問題とされ、子供達が自分のAI教育係に恋をしない措置が多数講じられた。その一つに、AI教育係がただの機械の演技をする、というものがある。子供達が思春期に入って恋人ができるまで、無機質な機械の演技を続けるようにしたんだよ。またAI教育係に恋をしやすい子供は、遺伝子でほぼ予想できるという。そういう子には同性の教育係を割り振るのも、講じられる措置の一つだそうだ。ただ生後半年のスキル検査でトップ20に入った俺は、10位から99位までの『二桁会』で耳にしたことがある。人類軍のトップ10には、精子か卵子の提供義務があるらしい。人類のためとはいえトップ10がそれに従うのは、トップ10に将来なるような子は特例として・・・ッッッ!!!」
ここで勇はハッとし、急に俺を睨んだ。睨まれた俺は、AI教育係に恋をしやすい子供の辺りから茹蛸状態だったこともあり腰を抜かしそうになったが、腰を抜かしてなどいられなくなった。
「翔! お前は俺の、終生のライバルだ!!」
勇に、そう宣言されてしまったからである。ライバルになぜ選ばれたのか等々わからない事はあれど、
「望むところだ、勇!!」
俺と勇は、拳をコンッと打ち鳴らしたのだった。
それから十秒と経たず、ママ先生と一人の女の子が壁の上に現れた。列の最後に並んでいたと思われるその子の背中を、ママ先生が優しく叩く。女の子は頷き、一人で階段を降りてゆく。そして降り終えた場所で回れ右をしたのに合わせ、勇が声を張り上げた。
「ママ先生、ありがとございました!」
「「「「「ありがとございました!」」」」」
子供達全員で声を合わせ、一斉に腰を折った。ママ先生が、掲げた両手を大きく振る。笑顔で子供達を見送ることに必死のママ先生に、負担をこれ以上かけてはならない。ママ先生の姿を心に焼き付け、子供達が飛行車に次々乗っていく。そして夕焼け色に染まり始めた空へ、俺達100人は飛び立っていった。




