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ふわり
と、音も衝撃もなく地面に着地した。これは、早朝の軽業で習得した技術。もっと正確に言うと、虎鉄に見限られないため懸命に磨いた技術だった。前世で軽業に憧れていた俺は思いのままに動けることが嬉しくて、より速くより高くを一心に求めて軽業を毎朝こなしていた。けどそれは猫にとって、怒り心頭の行為だった。理由は偏に、ドタバタとやたら煩かったからだ。地上の生物で肉食に最も特化した猫は本来、狩りを成功させ続けないと命を繋いでいけない。よって不注意に音を出したせいで獲物が逃げてしまわぬよう、静けさを尊ぶ本能が猫には備わっている。そんな猫にとってドタバタ煩い軽業はただでさえ本末転倒なのに、しかもそのドタバタを、一日で最も静かな早朝に毎朝必ず聞かされたのだから堪ったものではない。いかに仲が良かろうと本末転倒軽業をあのまま続けていたら虎鉄は俺が嫌いになり、どこかへ行ってしまっただろう。それが悲しくてならなかった俺は虎鉄に土下座し、静かな軽業になるよう懸命に努力しますからどうか猶予をくださいと頼んだ。虎鉄は快くそれを受け入れ、俺の努力を見守り、そして努力が実ったことを認めてくれた。俺は虎鉄に見限られる未来を、回避したんだね。
またそれだけでなく、静かな軽業には思わぬ副産物があった。それは柔らかく滑らかな身体操作の方が、高品質の神経になると気づいたことだった。筋肉を酷使し速く高く動いてもその動作が雑だったら、筋肉は育てど神経は低級のまま。細心の注意を払い緻密かつ丁寧に動くからこそ、高品質の神経が育つのだ。そしてその緻密かつ丁寧な動きに、柔らかく滑らかな動きがピッタリ合致した。着地の衝撃を一度で受け止めるのではなく数度に分けて緻密に受け止めれば、それは柔らかな着地になる。主要関節のみを使うのではなく全ての関節を連携させて使えば、体は滑らかに動いてくれる。こんな当たり前のことに、俺は気づいたんだね。よって柔らかさと滑らかさを心がけて軽業に励み、それを介して育んだ高品質の神経をフル稼働させて、白薙を緻密かつ丁寧に振ってゆく。剣術スキルを持たない俺が白薙を手にゴブリンと戦えるようになった理由の一つはこれであり、そしてその大本となったのは、虎鉄に嫌われたくなかったからだったのである。
てな具合に前置きが長~~くなったが、
ふわり
と音も衝撃もなく地面に着地した俺は、訓練場の西端目指して一目散に駆けた。輝力圧縮を発動すればもっと速く走れたが幸い間に合いそうだし、また試験のせいで少なくなった運動量を補うためにも、5組の訓練場西端から3組の訓練場西端までの200メートルを筋力のみで駆けたのである。そして視界右上のカウントダウンが残り4秒になったとき目的地の訓練場西端に着き、それと同時に3組A班の戦闘が終了した。A班の10人が戻って来たら次はB班で、その左端が俺の担当場所。左端はここまで駆けて来た北壁側でもあったため俺は素早くB班に合流し、ゴブリンとの第七戦に臨んだ。
第七戦に脱落者はいなかったが第八戦で両班とも2人ずつ落ち、4組以降のメンバーを補充して第九戦に臨んだ。その戦闘で3人ずつが一気に脱落するも、補充メンバーは1人もいなかった。4組以降の戦闘可能者は、皆無になっていたのである。したがって生き残りは14人となり、2組へ移動する立候補を募ったところ丁度4人だったので俺達は2組へ走った。だが2組のB班に加われたのは、俺だけだった。残り3人は疲労のあまり足が動かず、戦闘開始に間に合わなかったのだ。よって急遽7人で戦い、生き残ったのは俺を含む2人のみだった。だが1人は戦闘終了と共に地に崩れ、また地に崩れたのはA班にも4人いた。A班の残り6人に俺を加えて挑んだ第十一戦は辛勝するも、続く第十二戦を終えて立っていたのは俺だけだった。試験官が問う。
「1組に行くか?」
「はい、行きます!」
そう答えるや頷かれたので1組へ全力疾走した俺の背中が、聞いた。「なぜ翔は汗をまったく掻いていないんだ」と。
1組の訓練場にふわりと着地した俺の目に、ゴブリンと戦うA班が映った。戦闘中に脱落者が出たのだろう、生き残っているのは6人しかいない。その中に勇を認めた俺は無意識に応援しそうになり、慌てて口を閉じた。他者の戦闘中に大声を出すのは禁止されていずとも、避けるべき事とされていたんだね。心の中のみの応援に留め、訓練場の西端へ駆けて行った。
西端で戦闘を見守っているのは、B班の生き残りの7人。そのB班の左端に並んだ俺は、両班の一人一人へ改めて目をやる。昨晩訓練場に泊まっていた9人に勇を加えた10人は、全員生き残っていた。さしずめこの10人が、この孤児院のトップ10なんだろうな。
A班は6人というハンデを克服し、第十三戦を辛勝した。さあ次は、俺を含むB班の番だ。B班は辛勝では無かったものの、脱落者を1人出して第十三戦に勝利した。と言うことは・・・・
「いわゆる地獄の始まりってヤツだな」
小声を心がけ、俺はそう呟いた。両班合わせて13人以下という状況が地獄の始まりと呼ばれる所以は、試験前の語らいで教えてもらっていた。この状況になったら一分間の臨時休憩を設けたのち、1人の立候補を募る。それに選ばれたら加点を得られると同時に、減点を食らう可能性も浮上する。なぜならその1人は、A班とB班の両方のメンバーになるからだ。平たく言うとその1人は、休憩なしの連戦を強いられるという事。試験を継続させるべく犠牲になったことを称され加点されても、連戦のせいで脱落したら減点を余儀なくされる。加点の方がやや多く設定されているとはいえ、自分が脱落したら新たな立候補を募り試験を続けてゆくのだから、立候補せず戦い続けた方が得点は結局高くなるのだ。しかし立候補者がいない場合は抽選となり、抽選で選ばれたら加点は付かないため、最初に脱落するくらいなら最初の犠牲者になっておいた方が得点は高くなる。ならばいっそ立候補した方がいいのかな? いややはりやり過ごした方が・・・・と葛藤する時間がこれから続くので「地獄の始まり」と呼ばれていると、俺は教わっていたんだね。う~んでも今回の初回に限っては、地獄じゃないんだよな。なぜなら一分間の臨時休憩を終え試験官が立候補者の有無を問いかけるや、
「はい、立候補します!」
と、俺が真っ先に挙手したからだった。
その瞬間、皆の表情は二つに分かれた。納得組の7人と驚愕組の5人に、分かれたのだ。種を明かすと両者を分けたのは、俺の無発汗を知っていたか否かの違いだった。知っていた者は、つまり俺が微塵も疲労していないと知っていた者は俺の挙手に納得したが、知らなかった者は俺が迷いなく挙手したことに驚愕した。という訳だったんだね。
ちなみに無発汗の無疲労は、俺にとっては当たり前のことでしかない。俺は昨日までの十二日間、午前の三時間五十分を、二体のゴブリンと休憩無しで戦ってきた。俺一人にゴブリン二体なので気を抜く時間など0.1秒もなく、そして勝利したとたん次の二体が現れるという三時間五十分の無休憩訓練を、十二日間続けてきたのである。筋肉ではなく輝力で体を動かしていようと、小学校入学前の子供にこんな訓練は本来させてはならないに違いない。だが、神話級の健康スキルを持つことを知っていた母さんは、午後を丸々休むという条件でそれを許してくれた。俺もその方が何となく良い気がしたし、訓練を午前のみにしたお陰で母さんの講義をああも楽しめたのだから、さすが母さんなのだ。
話が若干逸れたけどそういう訳で、無発汗の無疲労は俺にとって当然のことだった。また疲労は、納得組と驚愕組を分けた大きな原因でもあった。疲労の少ない7人は俺がやって来るなり俺を観察して納得組になったが、疲労困憊の5人は俺を観察する余裕がなく驚愕組になった。そういう事だったんだね。
したがって合格することだけを冷徹に求めるなら、余裕のある納得組と連携して戦い、残りの7人に入るのが最良なのだろう。けど俺は、それをしたくなかった。そんな計算づくの戦いを、とにかく無性にしたくなかったのだ。よって試験官に、
「そうか、翔が立候補してくれるか。試験継続への貢献を評価し、多少の融通を認めよう。担当位置に希望があるなら、述べよ」
と譲歩を示されても、俺はそれを利用しなかった。戦闘が最も楽な左端を希望すれば、生き残る確率は跳ね上がる。試験継続への正当な報酬なのだから、優遇を享受する権利が俺にはあるはずだ。が、
「ありがとうございます。ではリーダーゴブリンと戦う位置を、希望します」
俺はそれを突っぱねた。その根底にあったのは、昨日俺を貫いた名状しがたき何かが残していった、家族愛だった。
これからチームを組む13人は、試験合格を阻む敵ではない。
敵はゴブリンであり、皆ではない。
皆は俺の戦友。
人類を闇人から守る、俺の家族に他ならない。よって、
「確認する。翔はリーダーゴブリンとの戦闘を希望するんだな」
「はい、希望します!」
13人の家族と共に、俺は戦うのだ。
宇宙のポジティブ勢力の総本山に所属する大聖者の講義を、つまり母さんの講義を受けた翔は、その人達を母さんの仲間だなんて決して思わないのです。さあでは、もう一つ考えてください。
「おもうまい店」の店長さんと従業員さん達が、その人達に会ったとします。すると、どういう反応をするでしょうか? 私には、想像することしかできません。しかし、以下のような反応になる気がします。
財力と人脈に驚き、超科学力の機械に度肝を抜かれるも、「運の良さを保つ」には、肩透かしを食らうのではないかと。




