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「翔、お帰り」
ママ先生の懐かしい声が耳朶を震わせた。声の方へ顔を向けるや、巨大な後悔の念が押し寄せてきた。両親の記憶のない俺にとって、ママ先生はたった一人の親だった。その大好きだった人に、どれほど恩知らずなことを俺はしてしまったのだろう。その後悔が巨大な波となり、俺を打ちのめしたのである。立っていられず地に崩れるも、無様な姿をこれ以上見せてはならぬと膝立ちになった。だがそこで意志の力は尽き、顔を覆って泣きながら自分の薄情さを俺はひたすら詫びていた。すると、
「まったくこの子は、親をまったく解っていないんだから。こうして帰って来て元気な姿を見せてくれただけで、すべてを水に流せるのが親なのよ」
ママ先生は無限の愛で俺を許してくれた。俺が今度こそ前後不覚になったのは言うまでもない。その後の数十秒間の記憶が俺にはほぼなく、ただ額に土がビッシリ付いていたのを足掛かりに、無我夢中で土下座していた記憶だけはどうにかこうにか掘り起こすことが出来たのだった。
俺はその後、勇の勧めに従い額に土を付けたまま地面に座っていた。前後不覚が尾を引き最初こそボンヤリしていたが、名前を思い出した計7人の子たちと車座になって今日の試験について話し合っているうち、意識が明瞭になっていった。それにつれ話し合いは熱を帯びるようになり、意見交換を夢中でしている最中、訓練場に泊まっていた俺以外の9人が連れ立って帰ってきた。と言ってもそいつらは俺と違い週に一度はママ先生に顔を必ず見せていたらしく、それもあって俺への反発も他の90人より多かったそうだが、
「額の土下座の跡に免じて、許してやるよ」
「反省もしているようだし、水に流すわ」
「ま、いいか」「そうね」「じゃあせえの!」「「「「おひさし~~」」」」
なんて感じに全員があっさり許してくれたのである。いやはやホント、友達ってありがたいなあ。
そういえば、と虎鉄のいる方角へ顔を向けた。俺が車座になっているように、虎鉄も数匹の猫たちと猫集会を開いていた。ただ俺とは異なる点もあり、それは「雌のボス猫に大層気に入られて、逃げようにも逃げられないでいる」という事だった。勇によるとあのボス猫は女王と呼ばれる絶対権力者で、とりまきの雌猫軍団をいつも従えているという。雄猫達は恐れおののき隅で縮こまっているのが常だが、女王猫は虎鉄をなぜか気に入り、自分のそばから離さないそうなのである。現に今も女王は虎鉄にぴったり身を寄せ、満ち足りた表情をしていた。対して虎鉄は不安げな表情で視線をせわしなくさまよわせていて、その視線と俺の視線が交差するや「助けて翔!」の声が頭の中に響いた。錯覚とするには真に迫り過ぎ、また女王もその声を聞いたとしか思えない行動をした。左右の前足を素早く動かし、虎鉄を抑え込んだのである。再度頭に響いた「助けて!」の声に、錯覚や笑い話で済まされる領域を超えたと判断した俺は、皆に断りを入れてスクッと立ち上がった。けどそのとき、
「お~い皆、点呼5分前だぞ~」
との呼びかけが丁度かけられた。それでも5分あれば救出可能と思い猫達の方へ足を向けるも、
「オラア翔!」「トイレに行くぞ!」「「「連れションだ~~!!」
勇を始めとする野郎共の腕が次々延びてきて、俺を捕縛したのである。屋外トイレにズルズル引きずられつつ両手をゴメンの形にした俺へ「うにゃ~~」と、虎鉄は悲しい声で鳴き続けていた。
用を足し孤児院横の広場へ戻ると、空中に大きな3D映像が映し出されていた。それは組分けの名簿で1組から5組まであり、更に組は10人ずつのA班とB班に分けられていた。並び順は右端が1組A班、左端が5組B班だ。俺は確信をもって、名簿の左下へ視線を向ける。すると案の定、5組B班の一番下に俺の名前が浮かんでいた。孤児院から最も遠い南東の隅の訓練場を割り振られたため分かってはいたけど、やっぱ俺って孤児院最弱だったんだな。アハハハ~~~
なんて感じに余裕でいられる理由は、試験方式にある。なんとこの試験は、持久力のある者に有利だったのだ。空中の3D名簿の上でカウントダウンする、残り1分07秒という数字を脳裏に刻み、猫達のいる場所へ走る。そして女王猫に羽交い絞めにされ死んだ目になっている虎鉄の隣に片膝つき、空中の俺の名前を指さした。
「虎鉄、僕の名前が浮かんでいるのは、最も弱い者の場所だ。でも安心しろ、僕はきっと合格する。だから虎鉄も、負けるなよ」
虎鉄は顔をキリリと引き締めて頷いたが、女王は侮蔑の眼差しで俺を一瞥するやそっぽを向き、前足に力を籠めて虎鉄をグイッと抱き寄せた。なんだこのお約束のザマア展開は、と吹き出しそうになるも、それは後のお楽しみ。俺は虎鉄に親指を立て、自分の場所へ駆けて行った。
カウントダウンが0分00秒になり、各組の前に男性型AIの3D映像が現れた。試験官は全員190センチ近い長身イケメンだったのに、黄色い声が一切上がらず俺は首を捻っていた。
各組ごとの点呼はつつがなく終わり、訓練場へ向かった。訓練場の割り振りにも強弱は適用され、孤児院の最寄りが1組になっていた。その1組の20人が、階段を使わず壁から一斉に飛び降りる。それが習慣なのかは判らずとも、残りの79人に倣い俺も壁から飛んだ。着地の際、5組の19人の足音に耳を澄ませてみる。輝力圧縮を使わず無音で着地したのは、俺一人だった。
準備運動を各々自由に5分間行ったのち、訓練場の西側に全員整列した。そして「試験開始!」の声とともにA班10人が戦闘開始線へ駆けて行き、ゴブリン10体との戦いが始まった。強敵のいない至極普通のゴブリン戦は1分後、1人も欠けることなくA班の勝利に終わる。間を置かず、A班の10人が駆け足で戻って来る。すると入れ違いにB班の10人が戦闘開始線へ駆けて行き、一列横隊を成すと同時に戦闘が始まった。強敵のいない至極普通のゴブリン戦をB班も1人も欠けることなく勝利で終え、西側に駆け足で戻って来る。すると入れ違いにA班が・・・・というふうに、生き残りが両班合わせて7人になるまで戦闘を続けるというのが、7歳時の試験だった。そうそれはまさしく、持久力に優れた者に有利な試験だったのである。
ただ、試験前の友人達との語らいでも話題になっていたが、7人に残れば合格という訳では決してないらしい。それは最後まで残った100人中の7人にすら適用され、必ずしも7人全員が合格という事にはならないそうなのである。皆はその理由を知らなかったけど、俺は美雪に教えられ知っていた。俺達の孤児院は125万人いる戦災孤児の、下位5万人が集められたグループに属している。そうこれが、最後の7人すら合格確定ではない理由なのだ。
ということは、3歳のスキル審査における俺の成績は、1000万番に限りなく近かったに違いない。にもかかわらずゴブリン戦をこうして続けられるのは、一にも二にも神話級の健康スキルのお陰。第三戦の終了時に呼吸の乱れた子が現れ、第四戦でB班の1人が脱落し、第五戦で2人目が脱落し、第六戦で3人目が脱落しても、俺は準備運動時とまったく変わらない体力を維持していた。第六戦で両班の生き残りが14人になり、お隣の4組と3組へ移動する立候補を募った際、俺は真っ先に手を挙げた。それが認められたのか俺は3組へ移動することになり、時間もないので階段を使わず普通にジャンプして壁の上に立ったところ、「「「「ウオオ――ッッ!!」」」」との雄叫びが背後で上がった。続いて、
「翔、お前は俺らの代表だ!」「最後まで残って!」「勝ち続けてね!」
との応援の声を、沢山かけてもらえた。汗ひとつ流していないのに目から心の汗が溢れそうになり、すこぶる困った俺だった。
困っていたのは、女王猫も同じだった。六戦終えても発汗せず、3メートルの壁に輝力圧縮なしで跳び乗った俺の戦闘力に、女王猫は動揺していたのである。それと対照的だったのが、虎鉄。瞳を爛々と輝かせていた虎鉄は俺と目が合うやシュバッと駆けだし、俺と並んで3組へ向かった。その後ろを女王猫が慌てて付いて来たが、足音から推測するに、虎鉄と比べたら月とスッポンの身体能力しかないらしい。増長したダメ雌に虎鉄が引っかからなかったことが、巨大な安堵となって心を満たした。そしてその気持ちのまま壁から全力疾走で飛び降りた俺は、
ふわり
「財を成しそれを保持するために最も必要なのは運」との主張に拒否反応を示す日本人は、非常に多いと思います。それへの説明は動画に任せるとし、「最も大切にしているのは運」と答えた人達について書きます。その人達が接触した某団体のトップを、Aさんと呼びますね。
Aさんはまず、その人達の財力と人脈に感心したそうです。続いて、地球の科学力を超える機械をその人達に見せられ、度肝を抜かれたとのことでした。そして最後に「最も大切にしているのは何ですか?」と問うたところ、「運の良さを保つこと」との返答をAさんは得た。さあ、考えてください。
この小説の主人公の翔君が上記の体験をしたら、「この人達は母さんの組織の一員なんだ」と判断すると、皆さんは思いますか?




