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が、俺は間違っていた。正解には遠くとも予想なら幾つか出来ていてそれに自負を覚えていたのだが、そんなのただの幻想でしかなかったのだ。それに気づかせてくれたのは、美雪の歌だった。機械の美雪は0と1の信号をスピーカーで音にして歌っているだけなのに、
「なぜこうも感動するのだろう」
俺は心の中で、そう口ずさまずにはいられなかったのである。
総じてキリスト教に疎い日本において、シューベルトのアベマリアは宗教的な歌と誤解されがちだが、実際は物語詩の一場面をシューベルトが歌として表現したものに過ぎない。その一場面を超絶要約すると、「囚われた父を案じる娘が父の安全を聖母マリアに請う場面」になるだろう。その物語詩に聖母マリアは登場せず、父の解放も人の寛大さによって成されるため、宗教歌ではないとの見解に俺も同意している。危険にさらされた大切な人の安全を超常存在に希うことに、宗教は無関係と思うからさ。
俺が喜ぶからだろう、美雪は地球の歌をしばしば歌ってくれる。それら全ては俺と美雪の両方が好きな歌で、惚気になるが俺の好みに合う歌は美雪の好みにたいてい合い、美雪の好みに合う歌は俺の好みにたいてい合うというのが俺達のお約束だ。それは嬉しいことでも、恋や愛の根拠にするのは極めて危険といえる。好みが合おうが合わなかろうが、恋や愛は成立するからだ。それは置き話を進めると、シューベルトのアベマリアは俺と美雪の両方にとって最も好きな歌の一つになっている。キリスト教系の孤児院で育った前世の俺は声変わりする前、アベマリアを年に幾度か合唱していた。前世も今生も歌の才能などからしきなかったが、シューベルトのアベマリアは大好きだったため練習に励み、その甲斐あってコーラス最後部の隅っこにオマケとして毎回参加できていた。お客さんも喜んでいたし、孤児院の行事としては例外的に良い思い出になっている。
さて次は美雪だ。シューベルトのアベマリアは美雪にとっても、最も好きな歌になっている。おそらくそれには、戦争に行った教え子たちが関わっているのだろう。教え子を送り出した美雪にできるのは、生還を祈ることだけしかない。その時の気持ちと、アベマリアの歌詞と調が重なるから、美雪はこの歌を好むのではないかと俺は考えている。
それは間違っていないはずだけど、それだけでは説明不可能な状況に美雪の周囲はなってきた。多数の妖精達が周囲に集まり、美雪の歌に聴き入っていたのである。妖精達の数は多分、土地神巡りで集まる妖精達の半数に届くと思われる。興味は尽きないがこの諸島の土地神と目が合ったさい頷いていたから、歌が終わったら説明してくれるのだろう。ならば興味より、この数の妖精が集まった事実を重視すべきだ。俺は意識の二分割を止め、伴奏に全てを捧げた。
そうこうするうち歌が終わり、万雷の拍手が鳴り響いた。これほど大勢の前で歌ったことも拍手喝采を浴びたことも初めての美雪はやはり恥ずかしいのだろう、首から上を真っ赤にしてカチンコチンになっていた。しかし自分の名を呼びながら周囲をクルクル飛ぶ子供妖精達の可愛さが、最後は勝ったらしい。体の硬さが取れ笑みを浮かべ、美雪は子供妖精達と話し始めた。それによって生じた時間的猶予を一瞬たりとも無駄にするなとばかりに土地神がテレポーテーションで隣にやってきて、事と次第を説明してくれた。
それによると昨夜の俺の弦楽四重奏は、散山脈諸島の妖精達にも衝撃を与えたらしい。この諸島の妖精達は楽器を知らず、したがって器楽曲を聴くのも昨夜が初めてだったからだ。土地神以外の妖精は基本的にテレポーテーション不可能かつ妖精族は人類と長期間意図的に関わってこなかったため、この諸島の妖精達は人類大陸の文化や風習をとりわけ知らなかったんだね。かくして弦楽四重奏は妖精達に衝撃をもたらし、するとおしゃべりのお調子者はどの種族にもいるもので、自分達の体験を諸島外の妖精達へテレパシーで伝えてしまった。土地神は口外禁止にするつもりだったが、弦楽四重奏に感動する余り後手に回ったそうなのである。俺はここの土地神と交流が深く、情緒豊かな芸術家と前々から思っていた。そんな芸術家に感動してもらえたのだから、おしゃべりのお調子者が妖精社会の決まりを破ったのでなければ、テレパシーの件に負の感情は一切覚えない。逆に妖精社会の決まりを破ったなら、キツイお灸が不可欠と思うけどさ。
と土地神に伝えたところ、お情けをいただけますでしょうか系の懇願をされた。「あの者を妖精の掟で厳格に裁くと、妖精界追放になります。妖精界を追放されたら、闇落ちの未来しかありません。翔殿、お情けを伏してお願いします」 そう請われたんだね。幸いあることを思い出し、それが関わっている気がしてならなかった俺は、土地神に尋ねた。
「過度の厚遇は苦手なので意識しないでいましたが、妖精界における俺の立場は母さんに準じるんでしたよね。それが適用されお喋り者も『星母様への背信行為に準ずる』とされているのではありませんか」「仰るとおりです」「なるほど、では俺にも過失があります」
鈴桃達の訓練を、俺は白紙委任されている。そこまで信頼されているのは俺の背後に母さんがいるからであり、俺個人の力量では決してない。このような場合、義務と権利に厳格すぎるくらいでないと問題が生じる。親の七光りで不相応の権利を行使しているのだから、権利の対となる義務を俺は厳格すぎるほど意識していなければならなかったのである。それを今回、俺は怠った。器楽曲が竜族と妖精族に及ぼす影響を過小評価したせいで混乱を招いたのが、その怠りだ。それは明らかな過失であるため、お喋り者の罪は相殺されなければならない。妖精界追放ではなく、キツイお灸を据える程度になりませんか。俺は土地神に、そう頼んだんだね。




