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そして今、カノン冒頭のチェロの独奏部分。
生まれて初めてどころか種族初となる音を、竜達は聴いていた。
言うまでもないが竜達は全員漏れることなく、チェロの奏でた最初の音に体を激しく痙攣させた。けれどもここで、さきほどの騒動が役立つことになる。警戒心を抱いたことを恥じていた親竜達が同じ轍を踏んでなるものかと、心身をリラックスさせたのだ。そして子供というものは、それ系の親の変化をたちどころに察知するもの。左右の両親が心身をリラックスさせたのだから、自分もそうしよう。子竜達はそれを、本能でなしたのである。
そのリラックスした心身に、チェロの音が届いた。
低く落ち着いた味わい深い音が、心と体に心地よく響いていく。
竜も歌を歌うから、チェロの音にもメロディ―があることにすぐ気づいたらしい。それが安堵を呼び、もう一段リラックスしてチェロの音に心身をゆだねたその時、第一バイオリンが演奏に加わる。はかなげなバイオリンの音色と落ち着いたチェロの音色が、冒頭の独奏と同じメロディを奏でてゆく。竜族に初めて聴かせる曲をパッヘルベルのカノンにした理由の一つは、これ。総じてバロック音楽は同じメロディをゆっくりしたテンポで繰り返すから、耳に馴染みやすいと予想したんだよね。目まぐるしく変化する難解なメロディを最初に体験したら、器楽曲を嫌いになってしまうかもしれないからさ。
また竜の歌に、高音と低音をそれぞれ受け持つデュエットがあるのも、弦楽四重奏を選んだ理由だ。高音のバイオリンと低音のチェロのハーモニーに、竜達はうっとりした表情を浮かべた。
そこに、第二バイオリンが加わる。メロディは変わらずとも二挺が三挺に増えたことによって重厚さが生まれ、竜達がより一層うっとりしたところでビオラも参加。そしてこのビオラが参加したことにより三度繰り返されたメロディが初めて変化し、新たなメロディを聴衆は聴くことになる。パッヘルベルのカノンはこのように、段階を追い少しずつ変化していく曲なんだね。「異文化交流の最初の担い手としての役割も想定し、パッヘルベルはこの曲を作曲したのかな?」と考察せずにはいられぬほど、カノンは竜達に受け入れられていった。それもあったからか3分ちょいの演奏が終了した数秒後。
「ちょっとみんな落ち着いて、お願いだから落ち着いてください~~」
アフリカ像の群れの突進もかくやとばかりに押し寄せて来た竜達へ俺は上空10メートルから、幾度も幾度もそう呼び掛けなければならなかったのだった。
竜達が落ち着きを取り戻すまでに要した正確な時間を、俺は知らない。美雪は知っているはずだけど俺は訊いたことないし、今後も訊く予定はない。竜達をどうしても信じられずカレンを呼び楽器を収納し、上空に待機してもらったことを思い出してしまうからだ。思い出すだけで背中が丸まる出来事だけど、楽器達の避難を優先させたのは間違っていなかったと断言できる。楽器達は自ら逃げることができないのだから、俺が代わりに逃がしてあげねばならない。俺はそう、確信しているんだね。
という俺の強い思いを、竜達は正確に感じ取ったらしい。この世の終わりとばかりに、竜達は落ち込むことになったのである。可哀そうだけど、自業自得の面が少しあるのも事実。もちろん少しでしかなく、今回の過失が最も多かったのは俺。想像したことすらない音楽を聴くことになった竜達を、俺はもっと気遣ってあげるべきだったのだ。
よって雰囲気改善に俺は務め、その一環として明かした「前世の俺は今の系統の音楽が大好きだったんだ」に、竜達は飛びついた。いや竜達の名誉を守るべく明言するが飛びついたというのは比喩で実際は一斉に挙手したのであり、同じ過ちを繰り返したのでは決してないのだが話を進めると、
「先生の前世を教えてください」
系の質問を竜達はした。言われてみれば、今生について語るだけで前世の話を竜達にしたことが俺には一度もない。理由はおそらく、地球の毒を竜族に広めたくなかったのだと思う。地球の文化には素晴らしいものも無数にあるけど強すぎる刺激が竜達をステージに殺到させたように、衝撃的な異文化は対応を間違えば毒になってしまうからさ。
かくなる理由により、前世の話は厳選せねばならない。禁止事項として真っ先に思い浮かぶのは「戦闘を教えてはならない」だけど、他にあったかな? 与え過ぎると自ら創造しなくなる、も失念厳禁だ。そういえば改めて振り返ると、タキシードを着てステージに上がったのはマズかったかもしれない。竜の社会には服がなく、お洒落をしたい時は鱗を綺麗にして、目上の人へ敬意を示したい時は所作を恭しくする。これは総じて素の自分を磨くことであり、地球にありがちだった「お洒落な服を着さえすればお洒落」や「ドレスコードを外した者は裏で嘲笑していい」が竜族には存在しないのだ。タキシードの説明が大本になってそれらが広まったら、まさしく俺は毒を広めたことになってしまう。こりゃ予想を遥かに超えて責任重大だぞ、と己を戒めつつ俺は口を開いた。
「前世の社会は、間違った方角に進んでいてね。心労が溜まりやすく、心労に押しつぶされそうなことが多々あった俺は、心の癒しに音楽を選ぶことが多かったんだよ。さっきみんなに聴いてもらった曲は、前世の俺が最も好んだ曲の一つなんだ」
音楽には複数の種類があることを、今は伏せるべき。心を穏やかにする器楽曲を聴いたのに、大興奮状態になったくらいだからだ。対して心労は、竜の社会にもあるから平気なはず。実際、子竜達はポカンとしていたけど成竜達は、感慨深げな表情で重々しく頷いていたな。




