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 美雪は、焦点の合わない眼差しと前後左右に揺れる体でやたら機嫌良く「翔、好き好き~」と抱き着いてきた。その数十秒後にはウルウルお目々で必死になって「翔、生きて帰って来て。死なないで~」と縋りついて来て、と思いきやウルウルは一分続かず「好き好き~」に代わる。だがそれも数十秒後には「死なないで~」になり、そして振出しの「好き~」に戻るといった具合に、この二つを美雪は永遠に繰り返したのだ。しかしそれでも、ウンザリした気分にはまったくならなかった。正体を失うほど酔っぱらい、ありとあらゆる制約と虚飾を取り払った心で紡がれた言葉が、「好き」と「死なないで」だったからである。その二つを厳粛に受け止め、俺は美雪を介抱した。そんな俺を、つまり自分がどんなに絡んでも嫌な気持ちに少しもならない俺を、美雪は本能で知覚したらしい。美雪は折を見て、酒果に手を伸ばし続けた。酒量がかさむにつれ好きは「ちゅき」に死なないでは「ちなないで」に変化し、そして次第にそれすら覚束なくなり、最後は俺に抱き着いたまま美雪は眠ってしまった。完全に身を預けて眠っているのに重みを一切感じないことが、胸を締め上げてゆく。歴代最高の痛みに耐えかね胸に手を添えてしまってから、己の失態に気づき慌てて顔を上げた。だが予想と異なり、母さんはAⅠ用の酒果を造った真相を、安堵した表情と声音で教えてくれた。


「翔なら容易く気づいたでしょう。お酒に興味があった理由を、この子は半分しか明かしませんでした。『お酒には悲しみや苦しみを和らげる力があるのかな』と期待していたのが、残りの半分です。美雪が教育担当AⅠとして育てた子供は、翔が33人目。翔以前の32人は、悉く戦死しました。無限の愛情を注ぎ大切に大切に育てても、生きて帰って来た子は一人もいなかったのです。その都度美雪は尋常ならざる悲しみと苦しみに襲われ、そしてそのような場合、人がお酒を飲むことを美雪は知っていたのですね」


 美雪の寝顔に目をやる。心の奥深くにしまい込んでいた「死なないで」を存分に吐き出したからか、その寝顔は安らかだった。恥ずかしげな気配がちょっぴり漂っているのは、好き好きを連発したことを朧げに覚えているからなのだろう。俺の胸に、温かな想いが広がっていく。その自分を客観視し、やっと理解した。安らかに寝る今の美雪と、その寝顔に温かな想いを抱く未来の俺を母さんは時間を超えて見たから、安堵したのだな。

 という理解をやっと得たにも拘わらず、母さんはダメ息子を更に安心させてくれた。

 それよると、美雪は二日酔いにならないらしい。あのへべれけは演技ではなく、余程のうわばみでない限り二日酔い確定なのに、アルコールとアルコール分解酵素が双子のようにくっ付いている特殊な酒果を造ることで、母さんはそれを回避したという(しかも分解酵素は少し遅れて働きだすのだそうだ)。それだけでなく、美雪を酔わせるため母さんは美雪の体内に肝臓を急遽造り、そして体内に肝臓がいきなり出現したことを美雪に悟られぬよう、酒果による酩酊状態を利用したとの事だったのである。でもあれ? それって時間が一方通行だと無理じゃないか?!


「えっとですね、それって時間を遡及しないと不可能な気がするんですけど」「息子よ、この母の手にかかれば、大抵のことは可能になるのです」「そうは言っても母さんをもってしても、美雪の酩酊と二日酔い回避は大規模な試みだったのではありませんか?」「それは否定しないわ」「美雪のためにかくも大規模なことをしてくださり、心から感謝します」「ふふふ、いいのよ。優しく優秀な息子を持てて、ここのところずっと幸せだからね」


 土地神巡りでは妖精達から、散山脈諸島訪問では成竜達から、俺への称賛を母さんは近頃ずっと聞き続けているという。それだけでもお尻が痒くなったのに、称賛の詳細を聞かされたせいで痒みが限界を超えた俺は、話題を変えるべく質問させてもらった。


「母さんは昼食中、物質化した手で子竜達を撫でていましたよね。愛情たっぷりの撫で撫でに子竜達は母さんを信じ切り、心身のすべてを開放していたように見受けられました。その『心身のすべてを開放されること』と『物質化した手で子竜達に触れること』の二つがなければ不可能なことを、もしくは二つがあれば比較的容易になることを、母さんは内緒でしていたように感じます。どうですか?」「二つがあれば比較的容易になること、が正解ね」「やはりそうだったのですね! 母さんが内緒でしていたことへの推測を、話していいですか?」「まったく、ダメな訳ないでしょう。何でも母に話しなさい」


 お言葉に甘えて、推測の経緯を最初から発表させてもらった。

 子竜達を撫でていたとき、母さんは青色輝力と磁気力を同時に使っていた。この二つを同時に使うと治癒力になるが、病気を患っている子竜など一頭もいない。ならば治癒力を、いったいどのような用途で使っているのか? そう考えたところ俺の天然ワクチンが脳裏をよぎり、そのとたん母さんの意図を推測できたのである。

 俺の神話級の健康スキルと青色輝力は、体に付着する細菌やウイルスを悉くワクチン化するという。然るに俺と接触しただけで子竜達は諸島外の細菌やウイルスに耐性を付けられたが、だからといって子竜達もワクチン化した訳ではない。子竜達には無害でも故郷の竜達には有害な細菌やウイルスを、子竜達は保有していると考えるべきなのだ。しかし母さんは、子竜達を宿主とする疫病の蔓延はないと保証した。ではなぜ、保証できるのか? それは母さんが子竜達を、直々にワクチン化するつもりだったからだ。母さんを信頼し心身を解放した子竜達を、治癒力を使いつつ直接触れることで、子竜達の保有する細菌やウイルスを徹底的に弱めてワクチン化していった。これが俺の、推測だったのである。

 母さんの表情から察するに、俺の推測は概ね正解だったらしい。けど概ねでしかなかったのだろう、考察不足を補う質問を母さんは二つした。


「内緒にした理由は?」

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