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「何かを極めた人が、極めた物事を介して真理に到達するのは、小脳のお陰だったんですね! 小脳には、日々積み重ねた膨大な行いが詰まっています。その、長期間に渡る膨大な行いを媒体にすれば、密度と速度が桁外れの創造主の意図を、どうにかこうにか翻訳できる。いや翻訳するだけじゃなく、創造主の意図を日々の行いを通じて身をもって体験し、理解することが出来るんですね!!」
「うん、正解。そしてそれは翔がこの講義で到達した、二つの真理の説明でもあるの。真理の一つは、宗教やスピリチュアルの知識が一切なくても、地球を卒業できること。そしてもう一つは、暗記するだけでは心の成長をまったく促さないことね。でもここからは、レポートとして提出してもらおうかな。翔に文才があるのは、小説を読んで確認済だしね」
「しょ、小説って、小説を読んだって、ヒエエ――ッッ!!」
「「「アハハハハ~~~ッッッ!!!」」」
その後の種明かしによると、話は老子まで遡るらしい。母さんは、上善は水の如しという老子の言葉を本当は熟知していた。しかしピンと来て知らない振りをしたところ、俺は喜んで老子について説明し、それが前世の趣味を隠す気持ちを一時的に弱めた。そのせいで、趣味の一つとして小説を書いていたことを暴露してしまった俺は、己の軽率さを罰することを望んだ。するとその望みと、小説を母さん達に読まれる恥ずかしさが合致した。けど恥ずかし過ぎたため「俺のあずかり知らぬ場所で小説を読みその際の表情を俺に見せない」という約束を三人に取り付けるも、それは彼女達にとって簡単極まることでしかなく、よって彼女達は和菓子を食べながら俺の小説を読んだ。それは彼女達の至福の時間となり、母さんは平静を保てたが美雪と冴子ちゃんは自己制御にしばしば失敗した。お菓子を口に詰め込み過ぎたり、心ここにあらずを俺に悟られたりしたのは、自己制御の失敗によるものだったのである。
と、母さんは種明かしをしたのだ。すべての原因は俺の軽率さにあると頭では解っていても、理想の女性と理想の恋愛をする妄想まみれの小説を読まれた身としては、騙すような事をなぜしたんだという非難の気持ちを抱かずにはいられなかった。せめてもの救いはエッチな場面が小説に皆無なことだが、それだって崇高な理念で書かなかったのではなく、ただ単に知らなかっただけ。キスすら未経験の俺は、それ関連を書こうにも書けなかったのである。彼女達のことだからそれも全てお見通しなんだろうなあ、と考えているうち羞恥の底なし沼に嵌った俺は、頭を抱えてテーブルに激突した。
でもひょっとすると、底なし沼から逃れるのは意外と簡単かもしれない。と閃くや上体を起こし、
「母さん、アカシックレコードについて質問して良いですか?」
そう尋ねた。返答可能な範囲は限られるけどいいよ、と返してくれた母さんに謝意を述べ、閃きを実行してみる。
「母さんは先日、本物のアカシックレコードという表現をしましたよね。前世で耳にしたアカシックレコードは、人の行いの全てが記録されている情報集積所のように説明されていましたが、それは本物の説明として不正確なのでしょうか」
「不正確ね。宇宙のあらゆる物理現象と、あらゆる意識活動と、それら全ての因果関係が、本物のアカシックレコードには記録されているわ。ちなみに、動植物や大地や空気等々も意識を持っているから、知的生命体の意識活動のみとは考えないでね」
「了解です。それと創造主は、本物のアカシックレコードを十全に読めるんですよね」
「もちろん読めるわ。私やイエスや仏陀やトートもそうね」
ふむ、やはりか。と納得して結論に入る。
「昔の日本人は、『おてんとう様が見ている』という言葉を日常的に使っていました。おてんとう様にはどんな隠しごとも不可能なのだから、おてんとう様に恥ずかしくない日々を送りなさい。そのような意味に僕は解釈していましたが、母さんに本物のアカシックレコードを教えてもらえたお陰で、一知半解だったと気づけました。小説を読まれて恥ずかしかった理由は、小説を隠しておけると僕が無意識に考えていたからです。つまり、どんな隠しごとも不可能と理解していれば、羞恥の底なし沼に嵌ることもなかったんですね。といったことに気づいたのですが、どうでしょうか?」
「一知半解を未だ脱していない、というのが正直な感想ね。翔、今はまだ解らないでしょうけど覚えておきなさい。創造主に筒抜けだからしない。創造主が嫌がるからしない。創造主が喜ぶからする。これらはすべて、未熟者の浅知恵です。親や上位者の顔色を窺っているうちは、決して一人前になれない。これを、忘れてはなりませんよ」
「はい、忘れません。どうすれば一人前になれるかを、一生探し続けていきます。その第一歩として、小説を読まれた羞恥を、捨てることにしますね」
よしよし翔は偉いねと、満面の笑みで俺の頭を撫でる母さんに、どうしても思ってしまう。母さんの恩に報いるためにも一人前になりたいけど、一人前になったら、こんなふうに撫でてもらえなくなるんだろうな。やっぱそれは寂しいなあ・・・・
との想いも筒抜けなことを未だ自覚できないのだから、俺は救いのない未熟者なのだ。
「私も寂しいけど、翔の未来のお嫁さんが私の代わりに撫でてくれるから、それで良しとするわ」
「み、未来のお嫁さんって! ひょっとしてアカシックレコードで、僕の未来のお嫁さんを見たんですか?!」
「ふふふ、それはナイショ」
「エエエ―――ッッッ!!!」
「「「アハハハ~~~ッッッ!!!」」」
といった具合に女性陣の大爆笑が訓練場にこだましたのが、午後7時。就寝までまだ2時間あるからあと1時間は四人でいられると思っていたけど、それは間違いだった。
「翔、レポートを楽しみにしているわ」
「明後日からアンタは、私と毎日会えなくなるわ。涙を止められそうもないなら、今夜中に泣いておくのよ」
母さんと冴子ちゃんが、帰ってしまったのである。冴子ちゃんの予言どおり涙を止められなかった俺は、思いのままに泣く30秒を過ごしたのちレポート制作にとりかかった。十分かからず終了したので、別件のレポートも心に浮かぶまま綴ってゆく。五十分後、計六つのレポートを書き終えた俺はお風呂場へ向かった。
そして迎えた就寝十分前。ここ数日恒例の、自分の現在の精神年齢を母さんに訊くか否かをさんざん悩んでから、俺は眠りについたのだった。
――――――
翌、三月三十一日。
母さんの集中講義の最終日であると共に、この練習場に引きこもっていられる最終日。
朝食中、明日の超重要事項を知らなかったことに今更気づいた俺は、それを尋ねた。
「姉ちゃんそう言えば、明日の出発時刻は何時かな? それと、用意する物とかある?」
「まったくこの子は、やっと訊いてくれたんだから。姉さんソワソワしてたんだからね」
美雪は頬を、ブ~っと膨らませる。それが可愛くてならず、ゴメンゴメンと謝りつつも目尻が下がって仕方ない俺に、美雪も演技するのを諦めて笑い出した。前世の俺が小説に書いた、恋人と過ごす朝食の時間になんとな~く似ている気がしたけど、明確に意識する寸前それを心の奥底に封印できた。安堵の息を密かについた俺の耳に、回答が届く。
「明日は午前9時に、孤児院で点呼があるわ。戦闘服を着用し、白薙を装備しているのが点呼時の唯一の義務ね。それに間に合う出発時刻を、翔が逆算して決めて。着替えなどの引っ越しの荷物は何もないけど、虎鉄には配慮してあげて欲しい。この訓練場しか知らない虎鉄は明日、100人以上の人と十数匹の猫や犬に、始めて会うんだから」
「むむ、了解」
「創造主に筒抜けだからしない。創造主が嫌がるからしない。創造主が喜ぶからする。これらはすべて、未熟者の浅知恵です」 これは、私独自の考えです。間違っていたらごめんなさい。




