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 追熟とは収穫した果物を一定期間保管し、果肉を柔らかくしたり甘みを増したりすることを指す。この追熟中にエタノールを、つまりアルコールを生成する果物がある。果物の皮に付着している酵母が果肉の糖分をもとに、アルコールを作るんだね。追熟は風通しが良く直射日光の当たらない常温の場所が適していて、竜族は収穫したメロンやマンゴー等を岩山の岩陰に運び追熟させるという。アルコール度数を高めるには追熟しすぎの過熟にせねばならず、しかし過熟は即ち腐敗で食べられないため、腐敗はしていないがアルコール度数は高いというギリギリのラインにするのが杜氏達の腕の見せどころなのだそうだ。俺は今回が初めてということで様々な果酒を用意してくれて、どれもこれも美味だったがとりわけパイナップルの果酒が好みに合った。実を言うと前世の俺はパイナップルが大好きで、何気に今生も引きずっていたのである。高校の夏はお小遣いをはたき、部活の昼食のおやつとして食べまくっていたなあ・・・・

 話を戻そう。

 思惑どおり園長はアルコールに助けられ、胸に押し込めた想いを吐露した。それによると竜族の子は優秀であればあるほど活発で挑戦心に溢れているため、250余年に及ぶ保育士生活で今以上に苦労したことは無いとのことだった。「私だって本当は、ただただ可愛がって甘やかしていたいんです。でも空を飛ぶために無茶な崖に登った子が、頭や脚を散りぢりにして息絶えるのは絶対嫌なんです。それを避けられるなら、私は幾らでも心を鬼に・・・」 俺はもらい泣きし、山風も前足で目元をしきりに拭っていた。就寝時間が近づいたので先に帰らせてもらったけど、園長と山風は深夜まで飲んでいたという。う~ん正直、少し羨ましいな! 

 余談だが、地球では自己犠牲と言えばキリスト教的なイメージがあるけど、イエスの磔刑を歪めて広めているくらいだから、自己犠牲の説明も原型を留めぬほどズレているのがホントのところ。白化組織は自己犠牲を「創造主の計画を『主』、自分の人生を『従』として生きること」と定義している。このために不可欠なのが、己の本体と常時直結状態に戻ること。創造主の分身である本体と常時直結して初めて人は、創造主の計画を十全に知ることが出来るのだ。いや違うか、竜族を訪問しない理由が解らなかった母さんのように、大聖者といえど創造主の計画の完璧な把握は不可能なのが現実。大聖者すらそうなのだから俺達のような凡人は悲惨であり、よって俺らは、不十分だったり部分的に間違っていたりする自己犠牲しかできないのである。

 しかしだからと言って、「不十分だったり部分的に間違っていたりするから自己犠牲なんてしなくていいや」と考えるのは誤り。料理を例にすると、こんな感じになるだろう。


『人生初の料理を、完璧にこなせる人はいない。不十分だろうと部分的に間違っていようと料理を作ってみなければ、料理の腕は決して伸びないのだ』


 心と本体の共鳴率の低い人は、創造主の計画を感じにくい。だが計画に沿って行動しなければ、共鳴率を上げることはできない。それはただでさえ無限の試行錯誤を強いられる茨の道なのに、心を鬼にする園長のように、計画に沿ったとしても苦労を免れない道なのだ。それでも逃げずに行い続けるからこそ、それは尊く偉大な自己犠牲になるのである。

 今度こそ話を戻そう。

 園長を始めとする素晴らしい保育士さん達に育てられている事もあり、子竜達は飛行器活性法を驚くべき速さで習得していった。中でも鈴桃の成長ぶりは目を見張り、一カ月掛からず飛行器を目覚めさせてしまったのだ。まったくもって、恐ろしい子である。その上さらに、喜びの余りまたもや一直線に飛び付いて来るもすんでの処で気づき、急制動を掛け何事も無かったかのようにニッコリ微笑むなど、前世の翼さんを知る者としては心配でならない。鈴桃が竜族における翼さんなのは間違いないが、異性との交流は前世の翼さんに類似するのか? それとも、今生の翼さんに類似するのか? 人族の俺の目にも鈴桃は非常に美しく映り、3歳の時点で男子に滅茶苦茶モテている。それも翼さんと同じだけど、異性と交流する未来の鈴桃が現時点ではまだ見えてこないんだよね。いや見えたからといって、俺にはどうにもできないんだけどさ。

 地球人に限って言うと、地球卒業の進捗度と容姿の優劣に関連性は一切ない。正比例もしなければ反比例もしないのが、進捗度と容姿なのだ。しかしその一方、善行の報いの一つに容姿の美しさがあるのも事実と言える。それだけでも複雑なのに、現実は更にややこしい。地球には、善行の報いではない美男美女もいるのだ。来世の美しい容姿を「自分自身で選んだ人」も、地球にはいるのである。まとめると地球の美男美女には、創造主の報いとしてそうなった人と、出生前に自ら選んでそうなった人の、二種類がいるんだね。

 地球卒業の進捗度と、来世のステータスボード及び出生環境の設定自由度は、正比例する。進捗度が高いほど、来世の自分の能力や容姿や家庭環境の設定自由度も高くなるのだ。しかしこれはあくまで「設定自由度」であり、進捗度が高くても凡庸な容姿や能力で生まれて来る人も大勢いる。心の成長を促すステータスボード及び出生環境と、物質社会で恵まれているとされるステータスボード及び出生環境は異なるし、かつそれは人によっても異なるからだ。平たく言うと、「ある人にとって良いものが別の人にとっても良いとは限らない」という事だね。したがって容姿や能力や血筋で人の力量を計るのは間違いも甚だしいのに、地球では容姿や能力や血筋が良ければイージーモードの人生になりやすかった。これは地球の社会が、低知性低民度社会であることの証明でもあるのだ。

 ということを、前世の俺は朧げにしか理解していなかったが、今生は組織に招かれたお陰でまあまあ理解することができている。まあまあでしかないから、「鈴桃はどっちなのかなあ」と悩んじゃうんだけどね。いやホント、どっちなのかなあ・・・・


「キュルル」「おや、どうしたんだい鈴桃」

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